第1章 ジャスミンこと私と、その能力について その2
そんなことは、どうでもいい。
問題は私の能力に関することだ。
これまでは、直接肌に触れなければ意識を読み取ることはできなかった。それに満員電車なんかでしかたなく接触している場合でも、私が強く念じればテレパシーを遮断することができた。
それが、最近どうも調子が悪い。
病院実習をしていると、突然、不潔でいやらしい意識が頭の中に飛び込んでくるのだ。
(あんな澄ました顔しても、やることはやってるだろ。俺も、あいつの**をXXして、OOな格好にさせて、△△になった□□をXXしてやりてぇなー)
あきらかに私をターゲットにした妄想。しかも毎回いつも同じ人物だろう。
変態男がよっぽど強い思念を発しているんだろうか? それとも、私の能力が強くなっているのかもしれない。特異能力のピークは二十代前半にくると、「ぬる癇」さんに聞いたことがある。ひょっとして、接触しなくても人の意識が読めるようになってきてるのかもしれない。
そのキモい意識が頭に入ってくるたび私は身震いをしたし、夜も夢に出てずいぶんうなされた。
まったくもって、納得できなかった。
能力が高くなっていやな思いをするって、こんな理不尽な話はないっつうの!
私は控えめにいってもかなりの美人だし、スタイルもいい。欠点といえば、若干胸囲に欠けるくらいだ。中学生の頃から、周りの男子たちは私に対してかなりいやらしい妄想を抱いていた。中学や高校ではプリントの受け渡しなんかで肌に触れることがちょくちょくあった。普段何気ない顔をした同級生の指先から伝わる思いもよらない下心に、私もずいぶん鍛えられたもんだ。
ちょっとやそっとの事では驚かないつもりだったんだけど、今回ほど強烈な「エロ電波」は、いままでになかった。
しかも、その相手がどこの誰だかわからないから性質が悪い。
もちろん、その変態男がただ頭の中で卑猥なことを考えているだけなら、私が我慢すればいい(というか、我慢するしかない)んだろう。でもこれだけ邪悪なことを考える人間だと、そのうち現実的な行動を起こしてこないとも限らない。
そうなる前に、何か対策を立てるべきだろうか?
少なくとも、この「エロ電波」の持ち主が誰なのかくらい突き止めたい。
可能性として考えられるのは、病院実習の同じ班の同級生の男子学生、担当してくれている指導教官、その他にも患者さんや、病院の職員まで疑いはじめるときりがない。
これが、憂鬱の原因だった。
これから二週間は、私たちの班は皮膚科で実習することになっている。
初日の今日は、ポリクリだ。
「ポリクリ」というのは、大学病院の外来を訪れた患者さんの中から、指導教官が実習に適した患者さんをピックアップし、学生が診察を行うという実習だ。選ばれた患者さんにとってはいい迷惑かもしれないが、そこは医学の発展のため、辛抱していただく以外にない。
最初の患者さんがピックアップされるまで、四畳ほどの狭いカンファレンス室に待機させられた。
私たちの班は、男子四人、女子二人。
女子の一人が遅刻しているので、狭い部屋に私一人が男四人から囲まれている状態だ。男といっても一年生の時から顔を合わせている連中なんで、いつもなら別に気にすることはない。
でも、今日はちがった。
この四人の中に、私にいやらしい妄想を膨らませている変態がいるかもしれないんだ。
私は少し悩んで診察用のゴム手袋を手にはめた。こうしておけば、いやな意識の流入が弱くなるかもしれない。積極的に犯人を捜そうと思ったら、手袋なんかしないほうがいいんだろうけど、とてもそこまでする勇気はない。
「前田は、皮膚科志望なんだろ。今週は頼むなー」
そういってやる気のなさを見せているのは、片山真吾さん。私たちより三歳年上で、医師免許を取ったら公衆衛生の道に進んで役人になりたいといっている。心の中で「オヤジ」というニックネームをつけておく。いつもみんなに愛想を振りまいているけど、そういえば彼が普段どんな生活しているかは聞いたことがなかった。怪しい。
「いやー、俺は皮膚科志望だから、皮膚科の勉強は入局してからやるわ。今週ちょっと彼女と約束があるんで、後半は出席できないかも」
片山さんよりさらにやる気がないのは、前田克典くん。顔立ちはハンサムで、女たらしという噂が高い。ニックネームは「ホスト」。この男もかなり怪しい。
「カッちゃん、皮膚科はともかくさ、四月からそれだと、夏に外科まわるときヤバくない?」
「そうそう、外科はきっちり出席とるってよ」
真面目なのは萩野隆志くんと大山裕樹くん。
萩野くんは、アメフト部でガタイがいい。でもその見かけとは裏腹に、優しい性格で物腰穏やかだ。同じ班になって初めて知ったけど、小さいときからクリスチャンなんだそうだ。ニックネームは「イエス」。
もう一人の大山くんは、真面目というよりはドMといったほうがいいかもしれない。講義や実習をサボったことはないし、レポートも規定の枚数の倍くらいを書いてくる。はやく医師になって、病院に泊り込んで仕事をしたいのだそうだ。ニックネームは直球で「ドM」
この二人が犯人だとは思いたくないけど、真面目な人間ほど裏の顔があったりするもんなんだ。やっぱり怪しい。
この四人とは、これから一年半の間、一緒にいろいろな科を回ることになる。できれば、彼らが犯人であってほしくない。
「高木さん、欠席なのかな?」
来ていない一人は、高木 桜。私の以外のもう一人の女子だ。
「サボりかな。皮膚科の実習って甘くって出席すらとらないって話だし」
「体調悪いのかな?」
「ジャスミン(仮名)さん、何か聞いてない?」
イエスが私に話をふってくる。
高木さんは去年一年を病気で休学した、つまりダブりってことだ。それ以前も病気がちでサークル活動もやってなかったらしい。私とは先週の顔合わせが初対面だった。
「なんで私が?」
どうやら男連中は、私と高木さんが女子同士だから当然仲がいいものと思っているらしい。
高木さんは顔立ちは可愛くて、背が小さく、おとなしいかんじだった。いい人だとは思うけれど、それだけで友達になれるほど私は簡単な人間じゃない。
すると、男子たちは顔を見合わせてフッと笑った。
「何で笑うのよ」
「だって、ねえ」
「ジャスミン(仮名)さんらしいよねぇ」
「クールだよねえ」
「ねえ、今度、班の親睦会というか。まあ、軽く飲み会でもやらない?」
「いいねえ」
あんたら、男の癖に、ねぇねぇ言ってるんじゃないわよ。
「それでは、実習生さん。診察室に移動してください。出席ですが、えっと、君たちの班は六人ですね。女子が二人か……まあ、そのくらいはいますね」
皮膚科の指導教官がやってきた。教官は甘谷講師。あきらかにやる気のなさそうな態度である。皮膚科はここ数年人気のある科なので、実習のときに学生に媚を売らなくても人材が集まるということらしい。
「またこの部屋へは戻ってきますので、荷物は置いていてかまいませんが、貴重品だけはしっかり持って行ってください」
甘谷講師の年齢は三十代半ばといったところか。やっぱり男の人はこのくらい年上のほうが安心できる。もちろん彼だって怪しくないわけじゃないけど、頼りになりそうな男性が登場して、私はほっと一息をついた。ニックネームはそう、「ぬる燗2号」ってことにしておく。