第1章 ジャスミンこと私と、その能力について その1
はじめにいっておくけど、私は絶対に百合じゃない。
だから、可愛い女の子を見ても好きになったりしないし、キスしたいとか、触ってみたいとか思ったりすることは決してない。
ただ同時に、男の子に対しても恋愛感情を持つってことがなかった。
簡単に言うと、男ってヤツに絶望していたんだ。もちろん、男性の中には深く付き合えばいい人だっているのかもしれない。でも男たちが、私のような美人(ハハ、言っちゃったよ)を前にしてまず心に思い浮かべるのは、いやらしい想像や何とかして私をモノにしたいという下心だ。
おおげさだと思うかもしれないけど、ホントの話だ。
そんなわけで、私はこれまで男の人とのお付き合いってものをしたことがなかった。
四月のある朝。
ガチャガチャと大きな音を立てて、扉の鍵が二つとも閉まったことを確認する。
一つは、アパートにもともと付いていた鍵で、もう一つはわざわざ特注して付けた鍵だ。ちょっと大げさって気もするが、うら若い女性の一人暮らしなのだ、用心するに越したことはない。
二つの鍵をしっかり閉めなおすと、大学へ向かう。
大学へは徒歩五分ほどの距離しかないが、その足取りは鉛のように重かった。
そりゃあ、私はもともと学校が好きな人間じゃない。中学だって高校だって毎日楽しく通っていたわけじゃない。でも、こんなに学校に行くのがツラいのははじめてだ。
私はT医科大学の五年生。この四月から病院での実習が始まっている。
これまでの講義や実験中心のカリキュラムと違って、時間も不規則で気苦労も多い。でもそれは医師になることを決めた時に覚悟していたことだ。私の憂鬱の原因はそんなことじゃない。
中学のときに両親と妹を失くして以来、私には特別な力があった。
私のような特別な能力を持つ人間を特異能力者、というのだそうだ。現在のところ、だいたい十万人に一人くらいの確率で存在しているらしい。単純に計算しても日本だけで千人以上の特異能力者がいるわけだから、それほど珍しいってこともないんだろう。
特異能力者の能力は人によって様々だけど、私の能力は「接触テレパス」だ。
他人に触る事でその人の表層意識を読み取ったり、物に触れることで残留する思念を読み取ったりすることができる。便利な力のように思えるかもしれないけど、読み取れるのはあくまで表面的な意識だけだし、衣服を介するとはっきりしなくなる。覚えている限り、特にこの力のおかげで得をしたということはなかった。さっきの男性の話じゃないけど、他人の考えてることなんて、知らないほうがいいことばかりだ。
まあそれでも、私の能力はいわゆる特異能力の中ではずいぶんマシな方らしかった。
他の能力者の力は、例えば「果物の熟れ具合がわかる」とか「あくびをするとバニラの香りがする」とか、一体なんの役に立つのかわからないものばかりなんだと特異能力者保護育成課の担当官の人に聞いたことがある。
特異能力者保護育成課というのは、市役所にあって、特異能力者のためにいろいろと便宜を図ってくれるところだ。私は両親が死んでからの諸々の(金銭的な面を含めて)面倒をこの課に見てもらっている。特に能力がマシな分、私の待遇は普通よりいいらしい。
私が特異能力者だってことは、特に秘密というわけじゃないんだけど、別に宣伝して楽しいことでもないので、特異能力者保護育成課の人以外には誰にも話していない。
そこで秘密保持のために、これから私の事は、「ジャスミン(仮名)」と呼ぶことにする。
「ジャスミン」というのは、高校を卒業するまで私の担当官だった「ぬる癇」さんがつけてくれたニックネームだ。特異能力者保護育成課では互いをあだなで呼び合う習慣があり、「ジャスミン」というのは、当時の特撮戦隊ヒーロー物にでてきたテレパシストの女性隊員なんだそうだ。
今になって考えてみると、日本人にジャスミンっていうセンスはどうなの?と思うけど、あの頃はそのニックネームで呼ばれることが嬉しかった。本物の「ジャスミン」はかなりの美人だったし。
ぶっちゃけた話、私は「ぬる癇」さんのことが好きだった。年はどのくらいだったんだろう? 結構なおじさんで三十歳は越えてたと思うけど、優しくて、いつも笑顔だった。
彼だけは、いつ心を読み取っても、奥さんの事しか考えていなかった。
彼の心にあるのは、ちょっと幼い顔をした優しそうな笑顔だった。
当時の私はぴちぴちの女子高生だったし、どう見ても私のほうが数段美人だった。彼の心に私の居場所がこれっぽっちもないのは少々不満で、そして結構切なかった。
でも同時に、浮気ひとつもしないだろう彼にまた魅かれた。
まあ、初恋だったわけだ。