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第八十九話:雌伏せし者、動き出す者・後編

同じ頃、越後春日山城はにわかに活発になっていた。合戦の準備に上へ下への大騒ぎとなり、怠けている者はたちまち見咎められ、中には張り倒される者まで出るほどであった。


「お館様、いよいよでございますなっ!」


 左足を引きずりつつ廊下を行く主君謙信の後に、重臣直江景綱が歩調を合わせてついてくる。


「景綱よ、もはや北条など問題ではないわ」


「御意」


「武田も、しばらくはこちらから手出しはすまい。四郎勝頼めが、どこまでやれるか見守ってやるとしよう」


「御意」


「問題は信長よっ!」


 立ち止まるや謙信は、南西の空を睨んだ。その先には京があり、信長が専横を振る舞っている。誰が想像したであろうか。信長という男がこれほどまでに巨大な存在になろうと。そして誰もが望んでいよう。自分こそが、信長を倒さばならぬと。


 我が生涯の好敵手は、武田信玄ただ一人。そう思い定めていた時期があった。今でも、その想いに代わりはない。ただ、死んでしまった者とはもはや決着はつけられぬ。信玄が打ち破ろうとして果たせなかった打倒信長。それこそが、今後の自分の命題になると謙信は信じて疑わない。


 翻って思う。本当に信長は強いのかと。たしかに彼の勢力は、尾張、美濃はおろか京を中心とした近畿の大半まで手中に収めている。全盛期の三好長慶に優るとも劣らぬ大大名といえよう。だが、それだけだ。


 信長は、上洛からわずか五年で目を見張るほどの大勢力をたてた。反面、将軍家を追放したり改元に関して朝廷に横槍を入れたりと人も無げな振る舞いをしている。このような横暴がいつまでも続けられるはずがない。


 自分がこの手で、信長めを成敗してやらねばならない。正義とは何か、将軍家・朝廷という伝統のある権威を守り抜くことの大切さを、あの者に骨身に叩き込んでやる必要がある。


「景綱、わしはな何十、何百となく想像してみた。あの者とわしが一戦を交えるさまをな。ところが、一度として思い浮かばぬのじゃ」


「?」


「わしが、信長めに負けるさまが浮かばぬのじゃ。一度としてな」


 いたずらっぽく微笑む主君に、景綱もつられて笑い出した。共に歴戦を戦い抜いたこの主従の哄笑は、豪快であり頼もしささえ感じさせた。


「当たり前のことにございましょう。御館様は、毘沙門天のお生まれ変わりにございます」


「まずは、越中(現在の富山県)を治める。信玄の手先となり果てた一向宗徒をことごとく討ち滅ぼして、越中を拠点に上洛への足がかりをつけることじゃ。そしていずれは、信長めも…」


 倒す。そうつぶやいた謙信は、幼子のように邪気のない笑みを浮かべていた。四年後の天正五(一五七七)年、この言葉通り謙信は加賀(現在の石川県南部)手取川での夜戦にて織田軍を一気に粉砕。信長をただ一騎で敗走させるほどの武威を示すこととなる。


 信長と義昭。信長と信玄という形で展開されていった戦いの渦は、数年後謙信と毛利氏という二大勢力を交えて新たな戦乱を生み出していく。そして信長は今―。


 天正元年となってから間もない八月の初め。集結した大軍を前に、信長は満足の笑みを浮かべた。自分が一から手塩にかけて育て上げた軍勢だ。そう思うと、朝廷が自分をひそかに成り上がり者と見下していることすら気にならない。


あの古びた権威は、しょせん自分の力では何もできない。自分や、その時々の権力者に取り入って生き延びていくことしか考えてない哀れな連中。いずれは、わしのほうからあの天子や公家どもを切り捨ててやる。ひそかな想いを胸に、信長はゆっくりと威厳をこめて呼びかけた。


「これより、浅井・朝倉めを攻め滅ぼす!」


 応と、数万の軍勢の雄叫びがこだましていった。

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