第七十九話 最後の説得(五)
絶え間なく続きそうな義昭の高笑いを前に、光秀は黙然としていた。信長など物の数ではない。己の発言に半ば酔いしれている将軍家の語るがままにさせていたが、やがて―。
「気は、お済みになりましたか」
そう見上げてきた光秀の表情は、相変わらず落ち着いていた。むしろ、その目には哀れみの光さえ宿っていた。何故、そのような目で見る。不安も手伝ってか、義昭はなじるように問い詰めた。
「義昭様……。どうか、現実をお見据えくださいませ……」
「現実じゃと。現実とは、どういう事じゃ!」
「もはや、我が殿に弓引こうとする大名などいなくなりつつあること、それを認識なさってくださいませ」
平伏しながら光秀は、ゆっくりとした口調で語り出す。仇敵として対立した浅井、朝倉には、もはや彼らだけで信長に対抗するだけの力は持ち合わせていない。松永弾正久秀に至っては、もはや過去の人。他人の尻馬に乗って牙をむくことはできても、自分が不利になればサッサと逃げ出してしまう。
石山本願寺を総本山とした一向宗徒は、これからも抵抗勢力として脅威にはなろう。とはいえ、戦のやり方や武器・食糧の供給の点で織田方に一日の長がある。いずれは決着が着く。
上杉謙信には、今の時点では期待はできない。信長の同盟者徳川家康と同盟しているという、大きな壁があるからだ。確かに将軍家の権威を振りかざせば、うなずかざるを得まい。とはいえ、謙信その人には義理堅いところがある。
同じく義理堅いと言われている家康(彼の場合は、打算も充分組み込まれてはいるが)との同盟は、よほどの事情がなければ破棄しまい。そういった点が謙信の最大の魅力でもあり、遂に超えられなかった彼自身の限界でもあったのだが。武田信玄であれば、何の造作もなく家康を切り捨てるであろう。
さて、その信玄であるが―。
「義昭様も、あの噂は聞き及んでいましょう」
「噂、噂とはなんじゃ……」
先程から気にかかっていた。光秀が上様とは呼ばず、名前で自分に話しかけてきたことだ。ぬけぬけと上様だなどと怒鳴りつけはしたが、こうまで豹変されては不気味でさえある。まさか、やはり信長に命令されて我が命奪いにきたのではあるまいな。唾を飲み込み、疑惑に満ちた視線を注いでいく。
「入道信玄が、既にこの世にないということです」
「何を馬鹿なっ!あれは根も葉もない噂じゃっ!信玄ともあろう者が、そう簡単に亡くなってたまろうか!大方、そ、そ、そちたちが流したものであろう。そうであろうがっ!」
何故、自分はこれほどまでに動揺するのだろう。間違いないという信念があるのなら、声が震え冷や汗をかくこともなかろうに。気持ちを落ち着けようと鼻髭をしごき始めると、引導を渡すかのように光秀がまた口を開いた。




