第七十四話 信長の逆襲
話を多少戻す。三月二十五日、信長は上洛を目指し岐阜を発った。この頃、三河からの情報により武田軍が退却を始めたと聞いたからだ。病かもしれない。偵察した者は未確認ながらそのようなことを述べた。この時点では、武田の真意がどこにあるかなどわからない。が、信長は迷わなかった。
「この機を逃す手はない!」
かくして二十九日に京知恩院に陣を張ると、何日かの間沈黙を守った。行動を起こしたのは翌四月三日で京の郊外に火を放った。無言のデモンストレーションだった。間もなく、二条城に立て籠もっていた将軍義昭の元に信長の使者が向かった。
和睦しようではないか。信長にしてみれば精一杯の譲歩であった。義昭はあくまで強気だった。二月に反信長の旗色を鮮明にして以来、将軍はかつて御父とまで言っていた信長に従うつもりはなかった。心の拠り所としていた武田信玄が、生死の境をさまよいながら退却をしているなどとは思いもよらなかったからだ。
翌四日、信長軍は二条城を取り囲んだ。やれ、との主人の命令になおも柴田勝家や明智光秀らはなおも躊躇していた。
「よろしいのでございますか……」
「かまわん。もはや将軍家は公家や朝廷はもちろんのこと、万民に至るまでこれを見限ったというではないか」
三日前、信長は由緒ある吉田神社の神官吉田兼和を呼び出して、京における義昭の評判を尋ねた。その際、件の如き返答をしてきたことに信長は己がこれから行おうとすることに自信を得た。
二条城は上京と下京のほぼ中心に据えられた城だった。義昭が将軍家として、京の町を支配するためにこの立地を選んだのである。そして信長によって城は、二ヶ月強という驚くほどの早さで四年前に造営されていった。
下京は、ここに住む庶民等が信長の命に従う姿勢を示したこと、食料品・軍需品の市場があったことから信長も手出しをしなかった。上京には幕臣や公家のみならず富裕な商人が居住を構えていた。そしてここには、義昭と共に信長に反意を持つ連中が集まっていた。信長の下知で、やがて上京のみに火が放たれた。
驚きあわて逃げまどう者たち。将軍家としては、自分の支持者たちの惨状を見過ごしにはできないはずである。だが、義昭は動くに動けなかった。二条城は水も漏らさぬ大軍で取り囲まれていた。突破しようにも、それだけの兵力をこの将軍は持ち合わせていない。
上京が燃えております。泣き叫ぶ家臣たちは、今にこの二条城も焼かれるであろうと右往左往した。義昭は、紅に染め上げられていく上京を無言で眺めるしかなかった。ただ一言、
「信長め、おのれ……」
それが精一杯だった。糸が切れたマリオネットのように座り込んだ義昭は、紅蓮の炎と共に何かが自分の中から消え去っていく思いがした。この後、朝廷の口添えで信長と義昭は和睦した。足利義昭は、こうして敗れ去った。