第六十五話 嘲笑う義昭
何故この御方は、こうも下品な笑い方をなさるのか。肩を小刻みに震わせ、歯をむき出しにしたそのさまは、将軍というより何者かを威嚇する猿となんら変わらない。畏れ多いと承知はしていても、細川藤孝は主人のこの表情を好きにはなれない。
彼が知っているだけでも、義昭がこのような笑い方をするのは二度目だ。一度目は、信長の強大な軍事力を背景に上洛した時のこと。自分や亡き兄を苦しめてきた松永弾正久秀を平伏させた際、ざまを見ろと言わんばかりに高らかに笑った。まるで己一人の力ですべてを手に入れたといわんばかりだった。
そして今回は……。
「信長め、将軍の力がどれほどのものか思い知ったであろうっ!フッハッハッ!」
義昭の歓喜は絶頂に達していたといっていい。つい数刻前に届けられたばかりの書状が、抑えようのない興奮の源といえた。この日、元亀元(1573)年1月下旬、遠江と三河の境目となる刑部から武田信玄より届けられたものであった。
内容は、三方ヶ原台地において徳川家康を相手に記録的な大勝利を挙げた。つきましては、これによって一気に信長を倒すためにも、将軍家においては朝倉義景などを今一度励まして事に臨んでいただけますまいか。ざっとそのような事が書かれていた。
「そうじゃ、義景のたわけめが。戦を放っておいて、さっさと越前に戻るとは何たる小心者よ……」
何度目かに読み返して、ふといまいましげに義昭はつぶやいた。怒りたくなるのも無理からぬことだ。事実、朝倉義景の突然の帰郷は巨大な網として信長を取り巻いていた反信長派の結束を見事に乱れさせた。浅井長政に至っては、おれはこんな男のために信長を裏切ったのかと泣いて悔しがったとか。なんにせよ、戦に飽いたからという理由だけでは言い訳しきれぬ大失態であった。
だが、それも信玄によって帳消しにされた。唯一の同盟者であった家康が叩きのめされた今、もはや信長に味方する者は日本中探してもおるまい。そして、それはすべて……。
「わしをみくびるから、こうなるのじゃ。信長の田舎者めが。うつけの流儀は、尾張のような所でこそ通用するというものよ。おとなしく尾張に引っ込んでおればよかったのじゃ」
藤孝は無言で平伏していた。将軍の言っていることは全く矛盾している。最高権力者である彼が、一介の大名にいいようにこけにされたのは事実だ。だが、その信長の元へ走り助けてくれと頼ってきたのは誰であったか。何事も自分を中心に考えたがるという点では、この主人は信長と合わせ鏡のようだ。
(違う点があるとすれば……)
いや、もうよそう。己の主人の欠点ばかりをあげつらっては気が滅入るばかりだ。とはいえ、この先も義昭に仕えていることに疑問を感じ始めている藤孝ではあった。
同じ頃、武田軍は三河は徳川方の支城野田城を囲んでいた。