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第五話 二条御所の惨劇:後編

 後年のこと。信長が五万の大軍を率いて上洛した際、真っ先に降伏したのが他ならぬ松永弾正久秀だった。機を見るに敏という点では、どこまでもしたたかであったといえる。残虐さ、ということにかけては日本史上類を見ないといっていいほどの信長であったが、その彼をして、


 「この者、誰もが恐れる天下の大罪を三つも行った男だ」


 と言わしめたのが久秀という男である。信長は、自分と同じ匂いをさせたこの老人にあるいは嫉妬していたのかもしれない。それはともかく―。


 久秀はついに、義輝殺害の行動を起こした。この男の大胆さは、軍勢をそのまま夜襲に用いなかったことである。一献差し上げたい。その一言で義輝を油断させ、二条御所へとこの若き将軍を留めさせた。


 永禄八(1565)年五月十九日辰の刻(午前八時。巳刻(午前十時)の説もある)、三好義継を総大将とした三好・松永軍は二条御所へと襲いかかった。


 「しまった!」


 義輝は己の甘さを悔やんだがもう遅い。近臣は一刻も早く逃れて再起をと勧めた。が、密謀を重ねた上での久秀らの暴挙である。既に周りは、十重、二十重にも囲まれていて蟻の這い出る隙間もない。


死のうと、義輝は覚悟した。とはいえ、ただでは死なぬ。近臣に命じて、庭のあちらこちらに幾十もの刀を突き立たせた。


 一説には、、義輝は剣の達人であったという。当時剣聖の誉れ高かった神泉信綱や塚原卜伝から手ほどきを受けた彼は、どうせ死ぬなら敵の何人かでも道連れにしてやろうとしたのだ。


やがて、戦いは開始された。一人斬っては刀を取り換え、また一人斬っては血のりでべっとりとした刀を投げ捨てていく。


時代劇でやるように、本来日本刀は何十人となく人を斬り殺せるものではない。大概、一人か二人斬ってしまえば血のりで切れ味は大幅に落ちる。


だから当然、大勢を相手にするのであれば義輝や後の宮本武蔵のように幾十もの刀を事前に用意しておかなければ太刀打ちはできない。


 義輝は斬った、走った、叫んだ。久秀はどこにいる、久秀よ出て来い!せめて、あの憎い白髪首をはねてやらねば気がすまなかった。


だが、ここに久秀はいない。息子の久通、弟の長頼に軍の指揮を任せたこの梟雄は、己の拠点である大和(現在の奈良県)の信貴山城で義輝弑逆しいぎゃくの一報を悠々と待ち侘びていた。


 替えの刀がいよいよ底を尽いた。しまいに、相手の得物を奪い取って斬り伏せたが体中にできた刀傷が、急速に義輝を疲れさせた。


 「上様、お覚悟!」


 あまりに強過ぎる義輝に業を煮やして、四方から畳を盾に近づく者たちがその距離を縮めてくる。さすがの剣豪将軍も、畳を相手にでは成す術もない。


 「もはや、これまで……」


 

 そして、正午に決着は着いた。周りを畳で囲まれた義輝は、串刺しになぶり殺されていった。享年三十歳。世にいう、永禄の変であった。


 かくして信長をして天下の大罪と言わしめた将軍殺害を、久秀は白昼堂々とやってのけた。これより数年久秀と三好三人衆が争う時代となり、情勢は急速に雪崩のように動いていく。

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