第五十五話 苦い現実
だから言わぬことではないのだ。三河の田舎者は戦を知らなくて困る。佐久間信盛は、己が軍勢を動かさぬ理由をなんやかやと己の内で塗り固めていた。時間が経つに従って、徳川軍の動きは鈍くなりつつあった。激情に駆られて動いたのはいいが、武田はまともに戦おうとはしない。大軍を要している側の余裕であろう。
何より陣形の弱点も徳川方にはあった。その陣形は鶴翼の陣といい、鶴が翼を拡げて包み込む隊列は一見華麗に見える。が、この陣形は敵よりも多い軍勢を要してこそ力を発揮する。本来三倍近い大軍を向こうに回して取るべき戦法ではない。
一方武田のほうは魚鱗の陣で、凝縮された陣形は地味だが結束力は堅い。つまり、仮に前方が多少の損害を蒙っても無傷な後方が逆に敵へと襲いかかれる。軍勢の数だけでなく、陣形一つ取っても明らかに一枚も二枚も上をいかれているわけだ。
(こんな戦に、命など賭けられるものか)
徳川方の悲鳴にも似た要請にも関わらず、信盛は一切戦に加わろうとはしない。負け戦になることは、敵が力を温存している様子からも明らかだ。そもそも家康が暴挙に出なければという恨みにも似た想いもある。そんな戦で命を落としては元も子もない。隣の平手汎秀隊からは、時々不安げに加勢してはと伝令が来るが知ったことかと黙殺を決め込む。
今はとにかく逃げるきっかけだけが欲しい。徳川本隊が攻められるなどして、敗戦が決定的になったら素早く退却してしまおう。そして信長様に、この度のことご報告申し上げるのだ。田舎者たちが、いかに私の忠告を聞かなかったかという点を事細かくはっきりとお伝えせねば。
退却したいという信盛の願いはそれから間もなく叶えられた。ただし、必ずしも望んだ通りの結果でなかったが。武田の一隊が近づき、一斉に石礫を投げてきた。それだけのことであった。が、信盛は混乱した。恐怖したといっていい。
元々戦う気のない所へ、わざわざ敵が攻めかかってきたのだ。たとえ児戯に等しい攻撃であっても、恐れをもって臨んでいれば飛び上がらずにはいられない。
退けと下知して、信盛隊はそのまま退却してしまった。この期に及んでもなお、信盛は自らに言い訳をする。まずは後ろに下がることで様子を見るのだ。言い聞かせつつも、本心は一目散に戦場から逃げ出したくてならない。その証拠に、武田隊が攻めかかるように走り寄ってくると、退けと更に声をからした。
これより六年後、佐久間信盛は信長によって高野山に追放されてしまう。当時担当していた本願寺攻めにおいて結果を出せなかったこともあるが、三方ヶ原の合戦で演じてしまった敵前逃亡に等しい退却もその理由に挙げられた。
いずれにせよ、佐久間隊の退却が一つのきっかけになったことは否定できない。後に残された平手隊の防戦も空しく、武田軍の牙は徳川の脇腹へとしっかり食らいついていった。