第四十二話 北条氏康の予測
徳川家康のいる浜松城まで、一気に攻めたてんばかりの勢いを示す武田勢。その中で、隣国の北条氏政から送られた二千の援軍があったことは先述の通りである。
武田と北条が再び同盟を結んだのは、ほんの一年経つか経たないかというつい最近のことだ。それまで、同じ同盟国であった今川氏の駿河を信玄が攻め取ったことで両国は関係を断っていた。
話は一年ほど前に遡る。北条氏の三代目当主であった氏康が病で床に臥し、いよいよ死期が迫りつつあった。既に嫡男氏政に跡目を継がせてはいたものの、家臣や関東の武将たちは氏康が睨みをきかせていたからこそ北条に従っているといえた。
氏政は決して凡将ではない。ただ、当主としての実績はまだ覚束ないし、その穏やかな性格ゆえに足元を見られかねない。
幸い氏康は子宝に恵まれていて、七人の男子があり極めて仲が良い。一人は上杉謙信の養子に出したが、氏照を筆頭とした弟たちが氏政を支えてくれよう。だが、彼らにはなお欠けているものがある。
氏康は病床に息子たちを呼び寄せた。氏政以下、神妙顔の彼らを前にこの父親はゆっくりと静かに尋ねた。
「お前たちに聞きたいことがある。この先、天下を取る武将がいるとしたらそれは誰だと思う」
唐突な質問に息子たちは思わず顔を見合わせた。とはいえ、この父のことだから深い意味があってのことだろう。ある者は信長を、またある者は同盟者である謙信を、そして敵対している信玄の名を出す者もあった。
さすがに、北条の名を出す者はおらんな。一抹の寂しさも感じたが、息子たちが現実をよく見据えていることに安堵もした。ゆっくりと息を吐くと、氏康は淀みなく口を開いた。
「わしの見立てを語ろう。まず信長だが、確かにあの者は今の時点では最も天下に近いだろう。だが、あまりに敵が多過ぎる。いつか誰かに、足元をすくわれかねない。そして謙信だが、あれは駄目だ」
えっと、息子たちが氏康を凝視する。同盟者に対してあまりに手厳しい評価だからだ。それでもなお、父親の舌鋒は止まらない。
「なるほど、確かに戦は強いかもしれぬ。だが、それだけだ。あの者にとって大切なのは、しょせん己の信じている大義のみで、他人のためにどうにかしようという政などできぬ男だ。あまりに器が小さい!
一方、武田信玄はどうであろう。あの者は戦の駆け引きもさることながら、民政のために力を尽くす手堅さ、外交においても相手の心理をよく読み出方に応じて柔軟に動くさまは目を見張るものがある。あれほどの武将は他にはおるまい。天下を取るとしたら、信玄をおいて他には考えられないだろう。ただし、あの者が長生きさえしてくれればな」
氏康は氏政へと一瞥をくれた。その瞬間、氏政は父が伝えんとする意図に気づきかしこまりましたと平伏した。この時より、北条は信玄と和解する道を選んだ。




