第三十九話 山は動いた:前編
人はゆとりがなくなると、見てもいられぬほど怒りっぽくなる。この頃の信長は、特にそのありさまが顕著になってきた。先月将軍義昭に宛てた「十七カ条の異見条」などはいい例だ。
この書状において信長は、将軍として宮中へ参内する義務を果たせとか、将軍家に献上された金銀を私的に使用するなとか、細々とした注文をつけた。
忠告などという、そんな好意的なものではない。明らかに喧嘩腰というか、八つ当たりめいたことをくどくどと言っているに過ぎない。
義昭は、読み終えるや書状を使者へ投げつけて奥へ引っ込んでしまった。それまで表面的には平静を保っていた二人の関係が、ここに至ってついに亀裂を生じた瞬間だった。
何故そこまで苛立ったのか。義昭が信長を倒すために、裏で糸を引いていることが腸が煮えくり返るほどに気に食わぬからだ。この年においても、年来の宿敵となりつつある浅井・朝倉との決着はつけられずじまいでいる。
彼らを扇動したのは誰か。石山本願寺と呼応するように、六角承禎(元南近江の守護)や三好三人衆に反撃の手引きをしている者は。また最近になって信長から遠ざかるように、三好義継や松永久秀をそそのかしている相手は何者か。すべて義昭の陰謀によるものだ。
だが、表立って歯向かってこなければ信長とて将軍を懲らしめることなどできない。義昭も、将軍の権威のみが己の拠り所と自覚しているし、実力で対抗しようなどとは夢にも考えようがない。
かくして、陰険としか言いようのないお互いの牽制がとうとう火をつけた形となったのだ。
怒ったのか、無能将軍が生意気に。かつて久秀がそうしたように、白昼堂々と攻め滅ぼしてやりたい誘惑をどうにかこらえた信長であった。
その分溜まりに溜まったフラストレーションは、小出しに家臣たちへと向けられる。些細なミスで雷を落とされる者は数知れず、家中では最も信長の心理を知り尽くしているはずの木下藤吉郎秀吉ですら首をすくめて退出する機会が多くなった。
後年、宣教師のルイス・フロイスは彼(信長)はまるで獅子の如く家臣たちから恐れられ、あっちへ行けと指一本動かしただけで狼狽しながら引っ込んだと記している。
無論フロイスが書いたのは、これよりも数年後の信長についてだがその傍若無人ぶりは既にこの時点で表れているといえた。
元亀三(1572)年十月中旬、遠江(現在の静岡県西部)から火急の書状が届いたのはちょうどそんな矢先だった。差出人は無論、浜松城の徳川家康からだ。
「早う見せいやっ!」
徳川からの使者を、まるで己が家臣の如く叱りつけた。普段ならあり得ぬことである。使者が直接手渡すわけにはいかぬので、小姓が受け取りうやうやしく捧げ渡した。このような時に悠長なと、信長は舌打ちする。




