第三十八話 信玄の幻影
勢いよくはね起きた時、信長は自分でもわかるほど息を乱していた。障子越しにいかがいたしましたか?と警護の者が尋ねてくる。大事ないとつぶやくと、影はゆっくりと頭を下げて立ち去る。
どうやらまたうなされていたらしい。全身をくまなく濡らしきった汗に不快感を覚えつつも、そのまままた床に着いた。
この頃、似たような夢ばかりを見る。武田信玄の軍勢に自分が殺されるという点では、最後は大体決まっている。数千の鉄砲で撃ちかけても倒れず、自分の持っている火縄銃の銃口に矢が刺さって暴発するもの。
次から次へと現れる風林火山や武田菱の旗に囲まれ、いつしか炎でその身を焼かれながら切腹するもの。自分ほどの男が、虫けらの如くたわいもなく叩きのめされるという点では、これらは腹立だしいくらいに類似している。
悔しいが、自分は信玄を恐れている。夢見が悪いせいか、信長は最近嫌でもそのことを自覚せずにはいられない。永禄八(1565)年九月に、信玄の息子勝頼と養女との縁談を持ちかけたのはその表れだった。
当時信長は美濃攻略に頭を悩ませていて、天下取りなどまだ考えられぬ状況だった。とはいえ、信玄の治める信濃(現在の長野県)は美濃と隣接している。彼としては、信玄に介入されることをどうしても阻止しておきたかった。
二年後、念願の美濃を手に入れると信長の対信玄の外交戦略は更に活発となった。先述の勝頼の妻となった養女が病死したと聞くや、自分の長男信忠の正室にまだ七歳にしかならぬ信玄の娘お松を貰い受けたいと婚約の話を持ちかけた。
結果、婚約は成立し両家の関係は保たれた形となった。そして翌年、信長は足利義昭を伴って上洛する。
反面信長は、信玄をしょせん古い時代の武将に過ぎないと軽蔑している。戦国最強とまで畏怖されるその軍事力は、たしかに侮り難いものがある。
だが、武田軍は他の武将と同じく、軍勢を動かせるのは農閑期である田植えが終わった夏場や刈り入れを終えた晩秋あるいは冬頃へとほぼ集中している。軍勢のほとんどを土着の農民に頼っているためで、逆に言えば彼らがいてこそ信玄は兵を動かせる。
こういったさまは、信長から見れば無駄にしか映らない。だからこそ、農民に左右されない職業軍人による軍団を完成させるため、兵農分離の形を着々と組織させていった。それはほぼ実現しつつある。
ここ数年四方を敵に囲まれながらも個別に軍を差し向けられるのも、その努力が実っているからといえた。
ただし、それも武田信玄が沈黙していればこそだ。今あの男が甲斐の山奥から動き出せば、状況はまるで変わってくる。比叡山を焼かれた天台宗座主に甲斐に移り住んではどうかと持ちかけたり、将軍義昭には上洛を促す書状を送られたしい。そんな情報を入手する度、神経質になるのは自分がよくわかっていた。
願わくばずっとそのまま沈黙していろ。そう念じつつ、再び眠りにつくのも何度目であろう。結局、信長はそのまままんじりとせず朝を迎えた。