第三十四話 皆殺しの朝:前編
この話より、計三話は残酷描写がありますのでご注意ください。
元亀二(1571)年九月十二日。この日の明け方に起こった出来事は、体験した者にとっても話のみしか知らぬ後世の者にとっても、忘れ難い目を覆うものとなった。
前日まで信長軍は、比叡山対岸の守山金森に立て籠もっていた一向宗徒を攻め下した。その前月には浅井の拠点小谷を攻めるなど、ある種活発な活動の裏に延暦寺攻撃の意図が見え隠れしていたことを、僧侶たちはどこまで気づいていたか。
気がついていればあるいは……。そう思うのは後世の後知恵かもしれないが。
十二日の明け方、まず信長軍三万の手勢は比叡山の中枢部ともいうべき坂本に攻撃を定めた。この当時、既に僧侶の大半は山にではなく坂本にてその居を移していた。ここで内縁の妻や子供らと共に暮らしていたのである。
比叡山そのものに立て籠もっていたなら、信長軍もだいぶ攻めあぐんだであろう。坂本の湊から続々と上陸してきた三万の軍勢は阻むものすらなく、坂本にある日吉二十一社など主だった延暦寺関連の寺社を焼き払っていった。
驚きあわてた僧侶やその家族たちは逃げまどうが、そこには刀や弓矢を手にした武士が雲霞の如く控えていた。誘い込まれた彼らは、ただただ血煙を上げて斬り伏せられていった。
明智光秀は、脂汗を流しながらこの状況を凝視していた。転んだ所を串刺しにされる稚児、乳飲み子を抱えながらこの子だけでもお命ばかりはと泣いてすがった母親は一緒に袈裟懸けに、天罰が下るぞ!と一喝した壮年の僧は唐竹割りで真っ二つとなり、襟を掴まれてもがく母親を助けようと武士の腰に武者振りついた幼子は蹴倒され足で小さな胸を踏み潰された。無惨なさまとなった我が子の名を叫ぶ女の叫びは、くびり殺されることでかき消されていく。
地獄絵図であった。幼き頃どこかで見た、屏風か襖だけの世界であったあずの地獄絵図が目の前で現実のものとなっていた。ご免、とそばにいた家臣の一人が背後の草むらへと隠れた。嘔吐する気配が微かに感じられた。
この者のことを、意気地がないと笑うことはできない。それが正常な反応なのだから。戦や殺し合いに慣れているはずの者たちも、この場では決して平静ではいられなかった。
大概の者が、僧や女子供を斬り伏せた瞬間、目を閉じたり顔をそむけた。殺す者、殺される者、どちらにとってもここは地獄であった。誰もが、早くこの瞬間が終わってほしいと願っていた。
一番逃げ出したかったのは、誰あろう光秀その人であった。次々と地に伏せる骸を眺めながら、わしが悪いのではないと幾度となく念仏のようにつぶやいていた。だが、その弁明はいかに空しいものであることか。
比叡山焼き討ちが決定した時、光秀は頑強に反対した一人だった。古い伝統や権威を守ることを良しとするこの男にしてみれば、それは当然過ぎるくらいだった。ただし、限度を考えなかった。