第十五話 主人はどっちだ
朝廷や貴族たちは驚いた。そして、不安と恐怖に打ち震えた。何故、信長は岐阜に帰ってしまったのかと。京の政情は、未だに危ういものだった。確かに義昭が十五代将軍となり、幕府の権威は一応保たれたかに見える。
が、形ばかりの将軍が何の役にも立たないことなど、上は朝廷から下は庶民に至るまで骨の髄まで知り尽くしている。三好三人衆という後ろ盾を失い、つい最近流浪の地で没した十四代将軍義栄がいい例だ。今この時こそ、信長は必要なのにと気が気でない。
周りの心配をよそに、義昭のほうはまだ浮かれムードでいる。信長が岐阜に帰ったのは至極当然のこと。分を弁えてのことだろうと都合よく解釈していた。
何といっても自分は将軍だ。傾いている幕府を今こそこの手で建て直してくれようという気概でいる。前向きといえば、確かに前向きといえた。とはいえ、この新将軍には現状を未だに把握していないきらいがある。
数ヶ月後の永禄十二(1569)年正月五日、義昭は早くも己の認識の甘さを思い知らされた。兄義輝を手にかけた三好三人衆が、本圀寺にある彼の邸宅を襲撃してきたのだ。
三人衆にしてみれば、信長は天下という熟した柿を横取りしにきたようなものである。おまけにその信長に尻尾を振って、対立していた松永久秀はおろか義昭までが京の主の如き顔をしている。
長慶さえ生きていれば、天下は三好一族のものになっていたのだ。往年の栄光を追うがあまり、ついに暴挙に走ったのである。
現実を見据えないという点では、三人衆も義昭と大差がない。ただ違いがあったとすれば、どちらが時勢に乗っていたかということくらいだ。
義昭邸を警護していた光秀らの軍勢により、三人衆は義昭を討ち果たせず空しく故郷阿波(現在の徳島県)へと逃げ帰った。以後その残党は、信長を相手に度々ゲリラ戦を仕掛けるが、数年後その大半はことごとく討ち滅ぼされていく。
義昭襲撃さるの報を聞き、信長は急遽上洛する。三日かかる行程を二日で着くという強行軍であった。もっとも彼にしてみれば、すべて計算のうちだった。
往事の勢力をなくして追い詰められていた三好三人衆が、自分がいなくなったのをいいことに動き出すのは手に取るようにわかっていた。だからこそ、光秀を義昭の元に留めておいた。
そして三人衆の暴発を口実に、自分に従うことを拒んでいた堺の豪商たちを屈服させることもできる。堺は長い間、三好一族のスポンサーのような立場にいたからだ。
笑いが止まらぬほどの計算の最もたるものは、義昭その人の対応で完璧に達していた。信長が上洛すると、この新将軍は安堵で泣きつかんばかりだった。
御父よ、どうか末永くこの義昭めをお助けくだされ。頼みにしきる義昭と鷹揚にうなずく信長。その場に居合わせた誰の目にも、どちらが真の主人であるかは明らかだった。
将軍が身も心も任せきったことで、信長は着実に己の思惑通りに事を進めていく。