第十四話 滅びゆく者、従う者:後編
「光秀殿、これはいかなる所存か!?」
細川藤孝が噛みつかんばかりににじり寄る。上座には、先日十五代将軍になったばかりの足利義昭が二人のさまを傍観していた。
光秀は言うべき言葉が見つからず、ただ平伏するしかなかった。きんかん頭と、信長に揶揄された抜け上がった額には大粒の汗をにじませていた。
信長殿は松永久秀を許したそうだな。そう切り出した藤孝の口調には、明らかに非難めいたものが含まれていた。彼が憤るのも無理はない。久秀といえば、十三代将軍義輝を謀殺した天下の極悪人である。
義昭にとっては、八つ裂きにしてもなお飽き足らぬ存在だ。義昭自身、一歩間違えれば兄や弟のように殺されていたかもしれない。何があっても久秀だけは生かしておけない。藤孝は、いわばそんな気持ちを代弁したといえる。
「聞けば信長殿は、久秀めに茶器と刀の一振りを献上されて許したそうじゃな。おまけに、
『大和一国はその方の切り取り自由に任せる』
と言ったとか。いくら名器と名刀を貰ったとはいえ、あまりといえばあまりではないか!」
後に信長に臣従し、光秀とも縁戚関係を結んだ藤孝であったが、この時ばかりはさすがに容赦がなかった。十二代将軍義晴(義輝・義昭の父)の頃から仕えてきたという自負と、逃亡時代から義昭を支え続けてきた想いの深さが彼にはある。
何より、恨みの点から決して許すことのできない久秀を生かされたとあっては義昭の立つ瀬がない。その怒りの矛先を代わりにとばかりに、藤孝は光秀に向けていたのだが―。
「藤孝よ、もうよいではないか」
義昭のつぶやきが、その場を押し留めた。意外なほど、その声はさばさばしていた。ですが、と言いかけた藤孝に、
「たしかに久秀めには恨みはある。今でもあやつを許すつもりなどわしにはない。だが、このわしを十五代将軍にしてくれたのは信長殿、御父殿じゃ。その御父が許したのであれば、何か考えがあってのことじゃろう」
義昭の見方はほぼ当たっていた。信長が結局久秀を殺さなかったのは、彼の者が足元に口づけをせんばかりに臣従を誓ったこともある。
同時に京周辺の政情に詳しい久秀に利用価値があるとみたからだ。信長のこの読みが、後に彼を一命さえ落としかねない危機から救うことになる。ただ、義昭はそこまで読み切っていたかどうか。
「わしもめでたく将軍になった。御父には、管領としてこれからもわしを手助けしてもらおうぞ。左様、お伝えするがよいぞ光秀!」
その一言で、ようやく光秀は解放された。義昭は念願の将軍になれたことですっかり上機嫌になっていた。だからこそ、久秀の件にあえて目をつぶったといえる。
それから間もなく、義昭は信長に管領に就いてくれるよう要請した。信長はただ、笑って首を横に振るのみだった。だけでなく、思わぬ行動に出た。
全軍の殆どを率いて岐阜に帰ってしまったのである。