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第十三話 滅びゆく者、従う者:前編

 たとえ意に沿わなくても、己の思いを押し隠してさりげない風を装う。それが大人だとするならば、六角義賢は物のわからぬ大きな子どもといえた。


義昭が美濃入りした永禄十一(1568)年七月、この時点で信長の上洛は周知の事実となっていた。それまで義昭をかくまっていた朝倉義景も、不承不承ながらもこれを認めた。


甲斐の武田、越後の上杉も次代の将軍のためならばと首を縦に振った。この時点で六角義賢こと入道承禎が、信長に反意を示した数少ない存在であった。


 彼にも言い分はある。宿敵である北近江の浅井氏と信長が縁戚関係にあること。浅井氏牽制のため同盟を結んだ美濃の斉藤氏を信長が攻め滅ぼしたこと。何より源氏の流れを汲む由緒正しき名門という誇りと意地がある。


尾張の守護の家来という家系で、先代信秀の時に急成長した織田氏とは比較にならぬ。成り上がり者の血を引く奴に頭など下げられるか。馬鹿も休み休みに言え。そんな思いがある。


 ちなみに信長はこの後、藤原氏から平氏の末裔だと公言するようになる。無論、僭称に過ぎないが。自らの天下統一事業を正当化するためでもあったが、こういった手合いを牽制する意味もあったのだろう。



 「本人がそう言ってくるのなら、遠慮する必要などない。上洛がてら踏み潰していけ」



 神妙な顔で尋ねてきた重臣柴田勝家に、信長は事もなげに言ってのけた。気負いなど微塵も感じられない。蟻一匹踏み潰したからといって、何故痛痒を感じることがある?そう言わんばかりに、抜いた鼻毛を吹き飛ばした。


 六角氏の力が衰えていることは、信長には筒抜けになっていた。浅井氏との度重なる合戦で連敗し、義賢自身が人望を失い家臣から反乱を起こされたりもした。その結果、本来六角氏は戦などできる状況ではなかった。


家督を譲った義治にすべてを任せるべきだったが、浅井に続き織田にまで虚仮にされたくないという思いが優った。浅井氏はかつて、六角氏の庇護を受けていたが長政の代になって独立し、信長の妹お市の方を娶った。


坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。義賢の思いにはその感が深過ぎたといえる。


六角氏はあっけなく敗れ去った。上洛を目指した織田・徳川軍五万の軍勢の前に、諸城は次々と落とされていった。主城観音寺城に立て籠もっていた義賢・義治父子はたまらず逃げ出してしまった。信長は、意気揚々と上洛を果たした。


 多少余談めいてはいるが、信長は永禄十二(1569)年に伊勢の守護北畠具教を追い出し、己の次男信雄を養子にさせた。後に具教の嫡男が信雄に殺されたので体のいい乗っ取りである。


北畠氏も源氏の流れを汲む名門だった。戦国の世に家柄などお守りほどの役にも立たない。信長は、自らのやり方でそれを否が応にも思い知らせたのである。


 大軍を率い今や凱旋将軍の風格すら漂う信長の元に、一人の男がいち早く降伏を申し入れてきた。稀代の姦雄、松永久秀だった。


 

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