第十一話 決断するは我にあり
ここで光秀は、ふと松永久秀のことを思い浮かべてみた。まだ実際には会ったことはない。義昭や世間で流布されている噂で、その人物像はほぼ固まっている。極悪非道、この言葉がこれほど当てはまる男もそうはいない。
義昭の兄である前将軍義輝を白昼堂々と攻め殺したこと。その共犯となった主家三好氏に取って代わったこと。これだけでももはや、尋常なる人間の行えることではない。
更に余人を慄然とさせるのは、天下の文化財ともいうべき奈良の大仏殿に放火したことだ。久秀は狂人か!?光秀のように、旧来の権威や文化に畏敬の念を持つ者にとってこれほど許し難い行為はない。
では、いかなる人物が久秀という狂人を倒せるのか?朝倉義景はまず問題にならない。主君として仕えてきただけに、光秀は戦う前から躊躇しそうなこの人物の優柔不断さが手に取るようにわかる。
前将軍を幾度となく補佐した、南近江の六角義賢もあてにはなるまい。思えば、故三好長慶に追い出された義輝を、己の軍事力を背景に京へ呼び戻したこと、そこまでがこの人物の絶頂だった。
以後の義賢は、日々台頭してくる北近江の浅井氏に対抗するため、嫌い抜いていた美濃の斉藤氏や三好三人衆と組んだりと節操がない。行動に一貫性のない人物など、頼みにしないが無難である。
上杉輝虎はどうか?彼の強さには神がかりなものがある。宿敵である武田信玄も出来れば事を構えたくないと、七年前の川中島の激戦以外は正面衝突を避けている。
現時点においては、最強の武将といってもいい。久秀などひとたまりもあるまい。
ただ、彼には政治力がない。権謀術数を軽蔑し、義戦のみを己の本懐とする心情はたしかに美しい。が、その結果が信玄に乗ずる隙を与え、戦わないでもいい関東や越中(現在の富山県)の一向宗徒との戦に振り回されることとなる。
裏で糸を引いているのが信玄とわかりつつも、輝虎は戦い続けねばならない。上洛など夢のまた夢だ。
輝虎を己の掌中で弄んでいる信玄も、上杉や北条といった隣国の武将への牽制から容易に動こうとはしない。下手をすれば、彼が動く頃に久秀が天下に号令をかけているかもしれない。
徹底した現実主義者の信玄は、上洛の危ない橋を渡るより天下の主となった者に本領の安堵を願うだろう。現に中国地方の毛利元就など、それに近いことをしている。となれば、ますますあてにはできない。
だが、この信長は違う。彼には上洛へのはっきりとした意思がある。ある意味、久秀すら凌ぐ果断さも持ち合わせている。今、義昭を助けて上洛をできる武将は彼をもって他にはおるまい。勢い込んで説得に努めようとした光秀に、
「皆まで言うな。そなたの申したいことよくわかっておる。明日にでもこの信長、義昭様を我が主と仰ぎ上洛する所存じゃ。すぐに越前へ戻り、左様お伝えするがいい」
挑むような目つきで信長が笑った。この瞬間、歴史が大きく展開していった。