読書/オワイティング『ヨーロッパで最も危険な男』 ノート20171212
SSとは、ナチス=ドイツのエリート部隊であるところの親衛隊を意味する。最終階級を中佐に進めたオットースコルツェニー(1908-1975)は、ウィーン大学土木科を卒業すると、ナチス党に入党し、30歳で親衛隊第一師団入りし、その後第二師団に移動する。最初は整備兵をしていたが、やがて頭角を出して、特殊部隊の実行指揮官となっていく。片腕には大学時代の同期生ラドルがいて作戦を立案した。
この人が参加した著名な作戦には、イタリアのムッソリーニ救出作戦、ユーゴのチトー暗殺計画、ドイツ軍によるアルデンヌ森での冬季反抗作戦での攪乱工作、アイゼンハワー連合軍総司令官暗殺計画などがある。このうちムッソリーニ救出作戦は、ドイツ側が隠し玉としたかったのか、別な人物が陣頭指揮を執っていたものである。すると最も成功した作戦というと、アルデンヌでの攪乱作戦ということになろうか。ともかく、この人は、大戦中《ヨーロッパで最も危険な男》の異名をとり連合国から恐れられた。
戦後は、捕虜収容所を脱走し、南米でセメント業を営み、スペインで病没した。しかし実業家というのは世を忍ぶ仮の姿だったともいう。本著では、否定しているのだが、その実、冷戦時代、旧ナチス諜報機関が乗っ取ったアメリカCIAに、エージェントとしてスカウトされ、中東や南米で、共産党政権潰しに暗躍していたようだ。
ムッソリーニ救出作戦と戦後の活動には、著者の取材に対して、煙に巻くところがあるが、それでも、この人の生涯を知る上では、かなり踏み込んだ内容である。
テキストは、チャールズ・オワイティング著“Skorzeney”(邦題 バランタイン版・第二次世界大戦ブックス49『ヨーロッパで最も危険な男——SS中佐スコルツェニー——』芳池昌三翻訳 サンケイ新聞出版局1973年)だ。その後、同社から1985年に、文庫サイズの第二次世界大戦文庫シリーズの第17冊として再版されている。
ノート20171212




