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吾輩になりたいか?

掲載日:2026/10/29

 世の中には、見目のよい者は得をすると、えらく気軽に言う者がいる。

 なるほど。

 そうまで申すなら、望みどおり美しい側へ回ってみるがよい。

 白く整った羽をまとい、水面を静かに進み、遠目にもそれと知れる姿となってみるがよい。

 そのうえでなお羨ましいと言うつもりなら、吾輩はあらためて問うてやろう。


 人間どもは、吾輩らを見るとまず美しいと言う。

 次に優雅だと言う。

 そしてたいてい、楽そうだとでも言いたげな顔をする。

 ほう、そう見えるか。

 たしかに、水の上にただよっている時の吾輩らは静かだ。

 首をゆるやかに曲げ、羽を乱さず、波も大きく立てぬ。

 湖面に白い影を映しながら進めば、いかにも苦労のない生きものに見えるのだろう。


 だが、あれは遊んでいるのではない。

 休んでいるのである。

 休まねばもたぬから休んでいるのだ。


 吾輩らは、水辺に浮かんでいるだけの鳥ではない。

 季節が変われば長い距離を移動する。

 日本で冬を過ごし、春になれば北へ戻る。

 だから水面に浮かぶ姿だけを見て優雅だと言われると、吾輩は少々困る。

 あれは美の演出ではない。

 体力の回復であり、次に備えるための静けさである。


 もっとも、そこまではまだよい。

 見た目を褒められるだけで済むなら、ずいぶん気楽な話である。

 真に厄介なのは、その美しさが特別ではないことだ。


 人間どもは勘違いしている。

 白鳥が一羽いれば、いかにも抜きん出た存在がそこにいるように見えるらしい。

 だが、群れの中へ入ってみるがよい。

 皆、白い。

 皆、それなりに整っている。

 皆、人間の目には美しい。

 つまりどういうことか。


 皆が美しいなら、それは平凡なのだ。


 ここでようやく、本当の話が始まる。


 美しい者になれば選ばれる。

 そう思うのは、人間らしい単純さである。

 吾輩らの世界では、美しさは入口にすぎぬ。

 前提条件と言ってもよい。

 群れの中で皆が似たように美しいなら、そこから先を決めるのは別のものだ。

 歩みの取り方かもしれぬ。

 落ち着きかもしれぬ。

 距離の詰め方かもしれぬ。

 あるいは、長い移動ののちにも崩れぬ強さかもしれぬ。

 以前、吾輩も一羽に声をかけたことがある。

 群れの中にいて、なぜだか目が向いた。

 吾輩は近づき、努めて品よく言った。

 いい翼だ。気品もある。吾輩の伴侶にふさわしい。

 すると相手は、しばし吾輩を眺めたのち、まことに静かな顔でこう言った。


 皆と私の違いを言えて。

 それから考えてあげる。


 吾輩は黙った。

 見れば群れはみな白い。

 みな整っている。

 みな十分に美しい。

 さて、その中でなぜこの一羽なのか。

 問われて初めて、吾輩は自分が白さしか見ていなかったことを知ったのである。


 そこで吾輩は考えた。

 なぜ惹かれたのか。

 美しいと思った。

 だが、そんなことを言えばここいらは皆だいたい美しい。

 では何だ。

 落ち着きか。

 目つきか。

 声か。

 さっぱりわからぬ。

 わからぬが、よいと思ったのである。

 あれでよいではなく、あれがよいと思ってしまった。

 理屈の並ばぬ差が、そこにはあった。

 なるほど。

 こういうものを恋と呼ぶのかもしれぬ。


 だが、そのとき初めて、別の問いも胸の内に生まれた。


 あの一羽にとって、吾輩は何であろうか。


 吾輩は一羽に惹かれた。

 それは疑いようもない。

 だが、あの一羽にとって吾輩がただの一羽でしかないなら、それは片側だけの話で終わる。

 皆が美しい群れの中で、吾輩は何によって特別になれるのか。

 白いことでは足りぬ。

 整っていることでも足りぬ。

 そんなものは、この世界では誰しもがだいたい持っている。

 ならば吾輩は、何をもって選ばれるのだろう。

 何をもって、ただの一羽ではなくなれるのだろう。


 もっとも、そこですぐ答えが出るわけではない。

 出ぬから厄介なのである。

 平凡の中で特別になりたい。

 だが、平凡であることそのものは少しも恥ではない。

 恥ではないが、苦労はある。

 埋もれぬようにせねばならず、崩れぬようにもせねばならぬ。

 選ぶだけでも骨が折れるのに、選ばれる側にもならねばならぬ。


 

 つまり、美しさだけで済む生き方ではないのである。

 群れの中で位置を保ち、周りの気配を読み、ときに歩調を合わせる。

 静かに浮かんでいるように見える時ですら、何も考えておらぬわけではない。


 それでもなお、人間どもは水面しか見ておらぬ。


 静かに浮かんでいれば優雅。

 羽を整えていれば気品。

 寄り添っていれば幸福。

 ほう。

 そう見えるか。

 それはそれで結構である。

 ただ、こちらからすれば、あれは維持であり、確認であり、備えである。

 崩れぬために整えている姿が、たまたま美しく見えているだけなのだ。


 思えば、これは少々皮肉な話である。

 人は、必死に保っている姿を余裕だと見なす。

 限界の手前で静かにしている者を、のんびりしていると思う。

 だが実際には逆だ。

 余裕があるから静かなのではない。

 静かにせねば、もたぬのである。


 だから、吾輩は最後にこう言っておきたい。

 皆が美しい世界では、美しさは特別ではない。

 ただの平凡である。

 そして平凡であるなら、そこには平凡なりの苦労がある。

 選ぶことも、選ばれることも、群れの中で己を保つことも、少しも楽ではない。

 吾輩ですら、なお問うている。

 この群れの中で、吾輩は何によって特別になれるのかと。


 さて。

 そんな世界にいる吾輩を、それでも羨むか。

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