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「愛してる」と勘違いして暴走していた王太子殿下、現在は許可制です

作者: 唯崎りいち
掲載日:2026/05/08

 私はメイドです。


 働き出してすぐに王太子様に誘われるままに関係をもってしまった。


 茶色い髪に茶色い瞳の平凡なのに、驚くほどに整った顔立ち。

 王太子様は見たこともないくらい美しい人だったから、ついボーっとなって見つめてしまっていた。


 平民の私が王太子様に声をかけられるなんて思っていないから、声をかけられた時は「無礼だ」と罰せられるんだと思っていた。


 硬く強張った身体を押し倒されて、愛を囁かれていると気づいた時にはもう遅かった。


 抵抗できないままに、流されてしまった。


 後に、泣く私を王太子様は捕まえて離さなかった。

 ずっと愛を囁き続けていた。

 涙も枯れた頃に、王太子様が私を置いて部屋を出て行った。


 私はその隙にメイドの部屋にもどった。


 サボっていたと怒られたけど何も言えなかった。

 たった一度の事だから、それだけだと思っていたのに、毎日、王太子様に部屋に呼ばれます。



「愛している、エマ」


「フェリクス様……」


 はじめは、メイド長に王太子様の部屋に行くように言われても、何のためなのかわからなかった。

 メイド長に叱られてクビになることはあると思っていたから、メイド長に言われて王太子様の部屋に行くなんて……。


 部屋に行くと王太子様に抱きしめられて、また抱かれた。


「会いにきてくれて嬉しいよ。エマという名なんだね、メイド長から聞いたよ」

 ニコニコと笑いながら王太子様が言う。


「震えて照れて、可愛いね」

 王太子様は愛しそうに私に顔をそわせる。


「本当は君をこのまま閉じ込めてしまいたいけど、メイドとしての仕事もさせないなら、父上に報告するとメイド長に言われたんだ」

 背中から抱きしめた私の肩に唇を這わせながら王太子様は言う。


 そして、服を着た私の手を取って淑女のようにエスコートして部屋の外まで連れて行き、キスをする。


 何人ものメイドに目撃されて、何があったのかバレてしまう。

 閉められたドアの外で私はしばらく動けなかった。


 働き始めたばかりで親しい人もいないままに、私は王太子様の愛妾候補として見られるようになってしまう。


 ほんの少しだけ王太子様に見惚れただけなのに——。




 私には故郷に将来を誓った大好きな人がいいる。


 17歳の同じ年の茶色い髪と瞳の幼馴染。


 やっと独り立ちして外国に行商に行けると手紙が来た。


 私はすぐに手紙を処分した。


 お城に来る前に貰った手紙も、何度も何度も読み返して大事なお守りになっていたけど、捨てた。


 王太子様に見られたら大変だから……。


「エマ、君に近づく男がいたら必ず捕まえて投獄するよ。君が俺をこんなに愛してくれてるんだ。それ以上に俺は君を愛してるから、ずっと俺だけのものにして大切にするよ」


 王太子様が私に何度もキスしながら言う。


 まるで彼——ノアの事を知っているみたい。


 でも、王太子様がノアの事を知っているはずないもの。

 手紙を捨てて、私が名前を言わなければ絶対に知られる事はない。


 私が王太子様を好きだと勘違いし続けている限りは、ノアは安全……。


 私はノアに手紙を書かないでと手紙を送った。


 故郷を離れる時にたった一度だけノアとしたキス。

 茶色い髪に茶色い瞳の平凡な彼。

 王太子様にもう何百回も上書きされて、ノアとキスの記憶は消えてしまった。


 手紙ももう届くことはないのに、どうやってノアを想えばいいんだろう……。


 王太子様から逃れて、ノアと二人で外国で暮らしたい。


◆◇◆


 俺は侍従です。


 王太子様付きの侍従として働き出してからすぐに、「あ、この人、顔は良いのにヤバい」と思いました。


 使用人同士の喧嘩があれば割って入っていって、勢いだけで仲直りさせたり。

 困っている町人がいると聞けば、飛んでいって身体を張って手伝って解決する。


 猪突猛進で行動力が異常で有能。

 王太子様に頼めば大体の事は解決してしまう。

 俺の自慢の主人です。


 ただ、ちょっと心配なのは恋愛関係です。


 21歳になると言うのに、親しい女性はおらず浮いた噂もなし。

 側近として王に「本当に王子に好きな相手はいないのか?」とたびたび聞かれますが、本当にいません。


 いたら王子の事です。

 内緒になど出来ずに暴走してしまうのですぐにわかるでしょう。


 まあ、王子に好かれる女性は可哀想かもしれませんが……さすがにそんなヤバい事はしないでしょう。


 さすがに……。



 しかし、俺は恐れていたモノを目撃してしまった。


 王子の部屋から泣き腫らしたメイドが一人出ていくところを……。


 ヤバいヤバいヤバい……!


 俺は見なかった事にした……。



 したけど……またメイドが、怯えた顔で王子の部屋に入っていくのを目撃した。


 メイドもメイドだ! 何故入っていく!


 ……いや、新人のメイドで知り合いもいないのだろう。


 この城の人間関係も知らずに呼び出されたら、逆らいたくても逆らえないだろう。


 本来だったらそんな事も分からないような王太子ではない。


 自分の猪突猛進ぶりを振り返っての気配りもできるお方だ。


 ただ、恋愛が絡むと別だ。


 怯えた顔や泣いている姿も、照れているだけや嬉し泣きに変換できてしまう。


 王太子は完全にメイドに嫌がられてるなんて思っていないだろうな……。




「フェリクス様、先ほどのメイドのことですが……」


 俺は王太子に注意しようと話しかけた。


「エマのことか? ついにハンスにもバレてしまったか……!」


 王太子が赤くなって照れている。

 幸せそうだぁ……。


「俺の事を好きと言って毎日部屋に来るんだが、二人っきりだとまだ照れてしまって、震えているところまでも初々しいんだ。あんなに奥ゆかしい女性は今時珍しい、俺が近づいて怯えさせる男から守ってやらないとな」


 ……それ、貴方ですけど、王太子!


 恋は盲目というが……幻覚見てるレベルだ。



 毎日部屋に来ると言うのも怪しい話だ。

 王太子が呼び出しているのでは?


 俺はメイド長のところに行く。


「マーサさん、エマは本当に自発的にフェリクス様の部屋に毎日行っているんですか……?」


 メイド長のマーサが大きなため息をつく。


「いいえ……でも、フェリクス様が勘違いするのは仕方がないんです。王がメイドと付き合う事に反対していると思い込んでいて、会わせないとエマが監禁されていると、メイド宿舎に乗り込んでくる勢いだったのです。だから私がエマにフェリクス様の部屋に行くように言っているのです」


「そ、そうだったんですか……」


 メイド宿舎を物理的に破壊してエマを救出して、自分の部屋に囲い込んでいる王太子の姿が目に見える様だった。


「24時間の監禁生活よりは、1日1、2時間の我慢の方がマシだと思いました……。フェリクス様は顔が良いからなんとか誤魔化せるかと……」


 メイド長が我慢って言っちゃてる。


 この全部即アウトの状況を、フェリクス様は顔の良さだけでなんとか成立させてるのか!?


「顔だけは良いですから、そこまで、嫌われてますかね……」


 主人がそこまで嫌われているとは思いたくない。


 しかし、メイド長が破れた手紙の切れ端を差し出す。

 焦げた跡がある。


『エマへ。行商の仕事は順調だよ。早く君と結婚して店を持てるように……』


 先は切れていて読めないが……。


「まさか、エマには恋人が……!?」


 メイド長がうなづく。


 ああ、王太子……確実に嫌われてます。

 

 どうすればいいんだ、これ。


◆◇◆


 王太子の事は嫌いじゃない。


 最初にノアに似て茶色い髪と瞳に不釣り合いな整った顔に、見惚れてしまったのは私だもの。


 「愛してる、エマ」って囁かれて、ずっと優しくしてくれる。

 私の意思を聞いていない事を除いたら、王太子様の事は嫌いになりきれない……。


 愛妾として自分の意思がない人形でも、何不自由なく暮らせるのは平民の私からしたら夢見たいな事だ。

 

 でも、ノアが私と暮らせる日を楽しみに外国で頑張ってるのに……。


 ノアの事はこのまま忘れてしまいそうな気がする……。

 ノアには会えないのに、別の人から強烈な溺愛をされたら、忘れてしまう……。


 私は、弱い……。




「エマ、愛してるよ」


 部屋に行くと、フェリクス様が私を抱きしめる。

 いつものこと。


 早く、メイド宿舎の自分の部屋に戻りたい……。


「エマ? どうしたんだ、何かあったのか?」


「え……?」


 フェリクス様が私の様子を気にされている……?


「悩みがあるなら俺に言うんだ、俺なら解決できる」


 フェリクス様から逃げたい……って言ったら解決して貰えるんでしょうか……?


 ベッドの上じゃなく、ソファの上で抱きしめられる。

 唇が近づきそうなほど顔が近づいてるのに、顔を覗き込むだけ……。


 ほ……本当に、心配してくれてるの……!?


「あ……」


 私は言おう思って、やっぱり言えない……。


「大丈夫だ、エマ。俺がお前を絶対に傷つけない!」


 フェリクス様に傷付けられてるのに……。


 私はフェリクス様を見る。

 最初に見惚れて以来、ちゃんと見たことがなかった。

 やっぱり、とても調った美しい顔をしている。

 その顔が、私を優しく見つめている……。


 なんでも受け入れて貰えそうな気がした……。


 ——ノアに会いたい。

「外国に、行きたいです……」


 私は言った。


 フェリクス様の顔が輝いている。


「違う場所で俺と愛し合いたいんだな!」

 そんな事は言ってない。


「すぐに行けるように仕事を片付けよう! エマと初めての旅行、楽しみだ〜!」

 フェリクス様は来なくていいのに。


 上機嫌になったフェリクス様は、私を抱きしめて、キスして、いつもと同じことをした。



 ——国外に出れるなら、ノアのところまで逃げるチャンスはあるかもしれない……。


 でも、ノアは行商をしてるから、どこにいるかわからないわ。

 手紙も送らないでって言っちゃったし……。




「エマ、あなたの恋人からの手紙です」


 王太子の侍従が私に手紙を渡す。


「ハンスさん、が……どうして?」


 手紙はメイド長から渡されるもので……王太子の侍従とはそもそも関わりなんてないのに……。


「フェリクス様にあなたの恋人の手紙が見つかったら大変な事になるので、見つけ次第に手紙を処分する為に毎日手紙の確認をしていたんです」


 ノアからの手紙は開けられていた。

 何故、処分せずに私に……?


『結婚しました』


 ノアからの手紙には、そう書いてあった。


 ノアが……結婚……。


 目の前が真っ暗になった。


「もう諦めて、フェリクス様と……」


 侍従の言葉が聞こえないくらい、ショックで泣き崩れた。


 王太子様の愛妾になるのもいいかもと思ったりなんかしたからだ……。


 ずっと一緒だったノアが私を捨てて遠くへ行ってしまった……。

 もう思い出す事も出来ないノアとの最後のキス……。

 それだけじゃなくノアの姿もおぼろげにしか思い出せない……。


 王太子の茶色い髪と瞳が、ノアの茶色い髪と瞳を思い出そうとするたびに邪魔する……。


 私はノアをこんなにも愛しているのに……!


「何してる……」


 暗い声が響いた。


 落雷にあったような衝撃に身体がこわばった。

 自分の身体じゃないみたいに動かしづらい。

 何も考えられないまま、振り返って見上げた。


 フェリクス様がいた。


 ——ノアの手紙……ノアの事を知られてしまう……!


 私が手紙を隠そうと迷った瞬間。


「ハンス……! 俺のエマに何をした……!」


 フェリクス様が私の横を通って、侍従ハンスに手を伸ばそうとしている。


 ハンスえさんが怯えていた。


「や、やめてください」


 私はとっさに叫んでいた。


 フェリクス様が私を見た。


 と、止まってくれた!

 フェリクス様が止まってくれた!


「エマ……」


 フェリクス様が私の前で膝をついて、視線を合わせる。


「ハ、ハンスさんは、か、関係ないです…」


 でも、なんで泣いてるのか、聞かれたら……。

 私はノアの手紙を握りしめた。


「手紙か……。何が書いてあったんだ……? 君を泣かせるモノは全部俺が排除する」


「……いいんです! これは……いいの……」


 私はフェリクス様に手紙を渡さないように、強く握り締めた。


 フェリクス様は私をしばらく見つめていた。


「わかった。エマがいいと言うなら無理には見ない」


 フェリクス様が優しい目で私を見る。


 ……。


 フェリクス様は……なんでも強引に、自分勝手に進める人じゃないの……?

 やめてって言ったら、止まってくれるの……?


 フェリクス様に抱き上げられていた。


「エマ、今日は俺の部屋に泊まるんだ。泣いている君を一人には出来ない」


 フェリクス様が私を真剣に見つめている。


 でも、手紙を持ったまま部屋に行ったら見られるかもしれない……。

 早く処分しないと……。


 ノアの居場所も覚えて……会いに行かなきゃ……。

 本当に結婚したのか確かめたい……。

 私が手紙を書かないでって言ったからなの……?


 また、私の目から涙がこぼれだす。

 ノアが結婚してしまった。

 私が誤解させたからかもしれない……。


 フェリクス様は私にキスする。

 慰めてくれようとしてる……。


「……自分の部屋に戻ります」


 私は言った。

 もしかしたら、部屋に返して貰えるかも……。


「……わかった。エマがそうしたいなら。ただ、部屋まで送らせて欲しい、君が心配なんだ……それもダメか?」


 フェリクス様が私に聞いてる……。


 私は手紙を握りしめると、小さくうなづいた。


 フェリクス様は寂しそうだったけど、私がうなずくのと同時にまた輝くように元気になった。


「旅行の手配は俺がするから、早く元気になるんだ、エマ。楽しみだな、旅行」


 ……フェリクス様は、ちゃんと話せばわかってくれる人なのかも……。


 フェリクス様に抱き抱えられて部屋の前まで行くとメイドたちがざわついた。

 そんな事は気にせず、フェリクス様は私にキスすると元気に手を振って自分の部屋にもどっていく。


 私はメイドたちの視線から逃れるように、自分の部屋に入った。


 握りしめていた手紙がくしゃくしゃで、少し破れたり穴が空いてる。


 すぐに処分するつもりだったけど……もしかしたら、フェリクス様は見ないでいてくれるかも……。


 私は手紙を旅行カバンの中にしまった。


◆◇◆


「エマはどうして泣いていたんだ……。あの手紙は誰からのものなんだ……」


 フェリクス様がつぶやかれた。


「それは……」


「いや、いいんだ、ハンス。エマがいいと言ったのだから、勝手に聞くのはまずい」


 そう言ってため息をつく。


 エマに拒絶されて相当こたえているようだ。


 さっきはエマが止めてくれなかったら、俺がエマを泣かせた張本人として処刑されていたかもしれない……。

 エマのおかげで命拾いした。


「ハンス、とにかく仕事を片付ける。エマが俺と二人っきりで旅行に行って甘い時間を過ごして、存分に愛されたいと言っているんだ」


「本当ですか……?」

 絶対に違うだろうけど……。


 エマの恋人の手紙に国外の住所が書いてあった。

 ちゃんと覚えているが……。


 旅行の場所は全く別の場所がいいのか、近くでエマが会いに行けるようにするのが良いのか。


 恋人のノアが結婚したことを知ればフェリクス様を好きになってくれるかと思ったが……。

 ノアとちゃんと会わせて諦めさせるか?


 仮に旅行場所をノアの近くにして、エマだけを会いに行かせることが出来るか?

 フェリクス様がノアと会う場面に付いてきては何が起こるかわからないな……。


「エマ……」


 フェリクス様が幸せそうに名前を呼んでいる。

 ここだけ見れば、美しい王太子が恋人を想う美しい構図だ……。


 とにかく、ノアに会いに行ける場所を旅行先にしよう。

 二人を合わせるチャンスがあるかもしれない!




 ——それからのフェリクス様の仕事っぷりは凄まじかった。


 国境の街に問題があると聞けば言って解決し、港で問題があると聞けば泳いで助けた。

 そんな大変な一日を過ごしたのに、毎日エマと会う時間には戻ってきてエマを怖がらせていた。


 俺もフェリクス様について行くだけで大変で、城に戻ると倒れるように眠った。

 しかし、エマがメイド宿舎に戻ると起こされて、次の問題のある場所に向かう。


 い、一体いつ寝てるんですか、フェリクス様は!?


 一ヶ月どころか一年分の仕事を一週間で片付けて旅行の日になった。



 エマはいつものメイド服で王子と旅行は出来ないので、何着かドレスを作らせていた。


 メイド服でも王子が執着するのも納得する

美しさだったが、ドレスを着るとますます美しくなった。

 王子に寵愛されるエマに嫉妬していたメイドたちも、これを見て黙った。


「エマ、綺麗だ愛してる」


 フェリクス様はエマを見るなり我慢できずに抱きついていた。

 まあ、いつものことか。


「い……いや」


 いつもと違うのはエマがフェリクス様を拒否するようになっていることだ。


 フェリクス様はしゅんとしてエマを抱く手を離したが、馬車の中ではもうメチャクチャに抱きしめていた。


 あの場所では『いや』という解釈をしてるらしい。


 そんなフェリクス様をエマは嫌がっている……と思ったんだが……そんなことないようで……。


 逆に、フェリクス様の様子がおかしい……。


 もしかして、気付きましたか?


◆◇◆


 旅行当日にドレスを着せられる。


 メイド服や自分の服だと王太子のフェリクス様とは不釣り合いだもの……素敵なドレスが着れて嬉しい。


 ヒソヒソと私を愛妾だと噂するメイドたちも羨ましがる気がしたけど、黙ってヒソヒソ話は聞こえて来なかった。


 フェリクス様に会うなり抱きしめられるのはいつもの事だけど、「い……いや」と声を出してしまう。


 フェリクス様が嫌がればやめてくれることが分かって、私は声を上げられるようになった。


 けど、今はまずい。


 旅行先がノアのいる場所の近くだと分かったから、私は抜け出してノアに会いに行く。

 結婚した理由を確かめないといけないし、このまま逃げ出してしまいたい。


 だから怪しまれちゃいけない……。


 馬車の中ではフェリクス様はいつもと同じように抱きしめてキスしてくる。


 多分、外では『いや』だけど、馬車の中では良いって解釈したんだ。


 勘違いしてくれて良かったと、ホッと胸を撫で下ろす。


 逃げ出すまで、怪しまれないようにしなくちゃ。


 フェリクス様のキスを受け入れて、嫌がってるそぶりを感じさせちゃダメ……。


 私を強く抱きしめるフェリクス様の背中に手を回して、唇を押し付けた。


「……!!?」


 フェリクス様の身体が私から離れた。


「エ、エマ!?」


(……え!? 何か失敗したの……!?)


 フェリクス様が私から距離をとっている。


 馬車の反対側の壁に背中を押し付けている。


「フェリクス様……?」


 不審に思って尋ねたのは従者のハンスさんだった。


「エマ……ど、どうしたんだ……、いつもは、恥ずかしがって、手すら繋がないのに、背中に手を回して……!」


 え……普段があまりに塩対応すぎて怪しまれてる……!


 フェリクス様は壁際から張り付いたように動かない……。


「フェリクス様……!」


 ハンスがフェリクス様の耳元で囁く。


「エマは旅行が楽しみだったんでしょう」


「しかし、これじゃ……いつもと、あまりに違う……」


「旅行先では開放的になるものです」


 ヒソヒソと何か話してる。


 話終わって、フェリクス様がまた私を抱きしめてくれようとする。


 私はホッとして、笑顔でフェリクス様を見た。


「!!」


 フェリクス様が、また驚く。


「エ、エマ、続きは温泉についてからにしよう……」


「はい……」


 フェリクス様、どうしたんだろう。

 私が逃げようとしてることバレたの……。


 私は動揺してうつむいていた。


「違うんだ、エマ! き、君がいつも以上に可愛いすぎて……どうしたらいいか、わからなくなってしまって……」


 フェリクス様がらしくない様子でしどろもどろに言い訳する……。


 怪しまれているわけじゃない……良かった……。


 私はまた微笑む。


「手を……つないでいてくれたら、安心できます……」


 フェリクス様に疑われていないと分かって安心した。

 つないだ手から逃げ出せる瞬間を見極める。


「わ、わかった、エマ」


 フェリクス様が差し出す手が、普段からは考えられないくら弱々しくて、気になる。


 私は、ちゃんと逃げ出せる?


 いや、逃げ出すために来たんだ!


◆◇◆


 フェリクス様の様子がおかしい。


 ……いつもおかしいが。


 エマを抱きしめたりキスしたり、やりたい放題だったのが、旅行に出発する馬車の中から変わった。


 エマに抱きつかれたり、微笑まれたりするだけで、面白いくらい動揺して赤くなっている。


 いつものオドオドしたエマと違って、積極的なエマはまた違う可愛さがあるから、フェリクス様が戸惑うのもわかる気がするが……。


 これは……フェリクス様は気づいたのではないか……?

 


 俺は温泉宿の二人の部屋に荷物を運ぶ。


 エマは自分の旅行カバンは自分で持って行ってしまったが、作らせたドレスの荷物がまだまだ大量にあった。


 何度目かの荷物を運びに部屋に入ると、フェリクス様が立っていた。


 手にはところどころ破れた手紙を持っている。


「エマ……これは……!」


 フェリクス様の前にはエマがいて、涙を浮かべて顔を逸らしていた。


 あの手紙は……ノアからの……!


「『結婚する』と書いてある……。君に許して欲しいとも……!」


 フェリクス様の表情は見えないが声は暗い……。


 エマはただ涙を流している。


「エマ……君は、好きな人がいたのか……?」


 フェリクス様が怒りに震えて手紙をクシャッと握りしめて、震える声でエマを問いただす。


 エマは微かにうなずいた。


「……!!」


 フェリクス様の身体が消えた。


 ガクッと一瞬で床に倒れ込むように膝をつく。

 両手が重い体を支えるように床に張り付いて、倒れ込むのを抑えていた。


「エマは……俺を、愛して……いなかった……」


 絶望に沈む声が聞こえてきた。


 暗く沈んでいるフェリクス様にエマが言う。


「ノアに似ていたから見ていただけです……」


 トドメ刺したー!


 エマは暗く沈んだ表情でフェリクス様を見下げている。


 今までどれほど勘違いされて辛かったのか……エマの冷たい表情から伺えた。


「うっ……」


 肩を振るわせるフェリクス様から、微かに嗚咽が漏れる……。


 フェリクス様の勘違いには手を焼いたが、勘違いを増長させていた俺やメイド長のマーサも悪かった……。


 フェリクス様の震えが落ち着いてきた。


「エマ……!」


 フェリクス様が真剣な目でエマを見ると……。


「すまなかった! 君の気持ちを自分に都合よく勘違いして、嫌がる君に酷いことばかりした! 俺は最低だ!」


 フェリクス様はエマに土下座していた。


 フェリクス様は、エマが今まで嫌がる態度をとっていた事に、馬車の中で薄々気付いたのだと思う。


 そして……ノアの手紙を見て、全てを理解した。


 だから、潔く謝る。


 本来はこう言う人なのだ。


 だから、俺はフェリクス様を嫌いになれない。

 メイド長も最後には自分で責任を取る人だから、手を貸してしまったんだと思う。


 エマは、土下座するフェリクス様をやはり冷たく見ている。


 長い沈黙が流れる。


「……今さら、ノアは結婚しちゃったんだもの……謝ってもらっても、もう遅いです……」


 エマはそう言ってまた泣き出した。


 俺も、フェリクス様がやってしまった事は、もう取り返しがつかないと思う。


「俺がノアの代わりに永遠に君を愛す」


 フェリクス様が言った。


「一生君に触れられなくてもいい。俺は何があっても愛し続けるから、俺を選んでくれ」


 土下座から、いつの間にか跪いて、フェリクス様がエマに愛を乞うていた。


 真剣な瞳で真っ直ぐに整いすぎた顔を向けられて、エマは真っ赤になっていた。


 でも、


「……ノアに……似てるから……わからなくなる……。フェリクス様を好きって思う時には、いつもノアのことが浮かぶの……。フェリクス様といると……ノアのことばかり考えてしまうから……」


 エマも迷っている。


 フェリクス様とノアの間でずっと揺れていたんだ……。


 フェリクス様がスッと立ち上がる。


「今ので確信した。エマが好きなのは絶対に俺だ」


 あ、土下座までして謝ったのに……。


 エマもまた冷たい目でフェリクス様を見ている。


「……俺が全面的に悪かったのは確かだが、今のエマの気持ちは違う……!」


 すごく確信の満ちた表情をしている。

 いつものフェリクス様だ。


「ノアに会って、エマが俺の方を愛していると証明する!」


 フェリクス様は猪突猛進!


 エマを連れてノアのところへ向かった。


◆◇◆


 私はノアのところに向かっている。


 フェリクス様から逃げるために会いたかったノアなのに、何故かフェリクス様と一緒に会いに行くことに……。


 ノアの手紙に書いてあった住所に行く。

 

 あまり大きくはないけど、いい雰囲気の町だった。


 店が並ぶ通りに住居と店が一緒になった建物があった。


 店先にはリネンの布が置かれていて、庶民の生活に根ざした店だと言うことがわかった。


 故郷の特産品の行商をしていたノアとはなじみがないけど……。


 店先にはノアがいた。


「エマ……!」


 私に気づいて目を見開いて驚く。


「お前がノアか……!」


 フェリクス様の怒気を含んだ声に、ノアは二度驚く。


 フェリクス様は明らかに身分の高い人の雰囲気を漂わせていて、シワひとつない最高級のシルクとサテンの服に金糸の刺繍がされている。


 ノアの素朴なリネンの服はシワが寄っている。

 懐かしいノア……。


 フェリクス様とノアは服装からして全く違う。

 茶色い髪と瞳こそ同じだけど、顔立ちも背格好も違った。


 圧倒的な美貌のフェリクス様と比べて、ノアは素朴で……。


 どうして、似ているなんて思ったんだろう……。


「エマ、どうしてここに……」


 ノアが私を見て聞く。


「手紙をやめてくれと言われたから諦めたのに……、会いに来てくれるなら、僕は……」


 ノアが言う。


 結婚して、奥さんがいるノアが……。


 おそらく、この店は奥さんのものだと思う。


「待てなかったのは僕が弱かったからだ……。君から手紙をもらった時にちょうどこの店の店主に誘われて、婿入りしてしまった……」


「……必ず、会いに行こうと思っていたのに……待っててくれたら違ったかもしれない」


 私の声にノアがビクッと反応した。

 同時にフェリクス様もビクッとしていた。


 横目で見ると、フェリクス様は目を逸らして拳に力を込めて、この状況を耐えていた。


 なんだか、可愛い……。


「でも、もう戻れないの。私は、フェリクス様の方が好きなの……」


 思い知らされた……。


 フェリクス様の言う通りに証明されてしまった。


 フェリクス様が嬉しそうに笑顔を輝かせて、私に近づいて抱きしめようとする。


「こないでください」


 私が言うとフェリクス様はピタリと止まる。

 しゅんと少し反省したようだけど、まだ嬉しくてたまらない様子。


「エ、エマ……! こ、この方は……?」


 ノアが不思議がっている。


 場違いな高貴な格好と美しすぎる顔。

 誤魔化せるものでもない。


「私たちの国の王太子殿下よ」


「え!?」


 ノアが今日一番驚いている。


「エマ、なんで王太子殿下を顎で使ってるんだ!? 君は僕が知ってる以上にとんでもない女性だったんだね。……君を待てなかった事に、後悔しかないよ……」


 ノアが悔しそうに唇を噛んだ。


◆◇◆


 ノアの住む街に俺が追いついた時には全ての決着がついていた。


 エマがノアの奥さんらしい女性と話している。

 素朴な顔立ちで、エマの美しさとは全然違う奥さんのようだ。


 驚いたのは、一緒にいる茶色い髪と瞳の男性だ。

 色はフェリクス様と同じだが、どこがフェリクス様と似てるって!? エマ!?


 素朴な顔立ちのノアと奥さんはお似合いで幸せそうだ。


「隣国の王太子殿下の婚約者の方に、わざわざ、結婚のお祝いをしに来ていただけるなんて……。ノアってすごい人だったのね」


 んん? 王太子だってバレてる……じゃなくて、婚約者!?


 エマがか!?


「ハンス!」


 俺にフェリクス様が気づいた。


 満面の笑みで、リネンの布を大量に抱えている。


「ノアの結婚祝い代わりに買い取ったんだ。リネンは城でもいくらでも使うからな!」


 そう言って大量のリネンを俺に押し付ける。


 身軽になったフェリクス様はエマの手を取って馬車に乗せている。


 ごく自然な恋人同士に見えて微笑ましい。


 フェリクス様の想いが通じたのか……!


「馬車の中で抱きしめていいか?」


 フェリクス様が聞かれると


「ダメです」


 エマが言う。


 しょんぼりする王太子。


「キスもダメか?」

「もちろん、ダメです」


 完全に逆転してる。




 温泉宿に戻る。


 荷物は他の使用人たちによって整理されていた。


 エマが椅子に座ると、フェリクス様は床に座っていた。


 エマの許可が出るまでそのままでいるつもりらしい。


「椅子にも座らせないなんて、そんな酷いこと、私はしません……」


 エマが抗議する。


「じゃあ、触ってもいいか?」


 何が『じゃあ』なんですか? フェリクス様。


「……少しなら……」


 エマがうなづいて、二つの影が重なる。


 俺は邪魔しない方がいいだろう。

 そっと部屋を出た。


 ——次の日の朝。


 部屋に行くとフェリクス様がエマに土下座していた。


 何をやらかしたんですか、フェリクス様。




 城に戻ってもフェリクス様とエマはこんな調子だった。


 フェリクス様がエマの機嫌を損ねて落ち込むと国が回らなくなった。


 国王がエマに息子を許してくれと泣きついたり、メイド長もエマにフェリクス様を捨てないであげてと機嫌を取る。


 完全に国がメイドに支配されている……。



 この国では王族と平民の婚姻は禁止されていない。

 しかし前例がないので、エマは後継がおらず廃位される伯爵家の養女になることになった。



 俺は、エマは最初からフェリクス様が好きだったんだと思う。


 お互い一目惚れで、恋に落ちた瞬間に最後までいってしまったから怖くなったんだ。

 そんなもの、俺だって怖い。


 エマがしばらく影からフェリクス様を見つめる時間があれば、自分の気持ちを自覚したんだろうけど。

 フェリクス様が有能すぎて見つめられたらすぐに気付いてしまうから、そんな平和な世界線は存在しない……。



「エマ、今日は手をつないでもいい日だったな」


 フェリクス様が嬉しそうにエマと手をつないでいる。


「……キスは、ダメか?」


 恐る恐る聞く。


「一回だけなら……」


 フェリクス様はエマに抱きついてキスする……10分くらい……。


 そう言う事をするから嫌がられるんですよ……。


 苦しそうにもがくエマはやっと解放されて、フェリクス様に抗議する。


「もう、フェリクス様とはキスしません!」


 フェリクス様は反省して謝っているけど、何処か楽しそう。


 ワザとやってるならより厄介な男になっただけなのでは?


 フェリクス様が俺を見てニヤリと笑う。


 フェリクス様はもしかして——、


 エマがフェリクス様の勘違いで困っていた時に助けなかった、俺やメイド長、他の者たちに復讐するために、エマの機嫌を損ねているのかもしれないと思った。


 そうすれば、エマの機嫌をみんなが取るようになるから——。


 って、原因はどっちにしろ、フェリクス様ですから!!


 この王国は、有能王太子と、その最愛のメイドに振り回されている。



 元メイドの後をついて回るフェリクス様は大型犬みたいだ。


「キスは今日はもうダメか?」


「今日じゃなくてずっとダメです」


 しょぼんとするが、忠犬のように従っている。


 一回のキスが10分なら嫌ですよ。


 落ち込むフェリクス様の顔をエマが引き寄せる。


 唇と唇が重なる。


 驚くフェリクス様に、


「私からするのは無制限ですから」


 そう言って笑うエマ。


 輝くような笑顔でエマにまとわりつくフェリクス様。


 尻尾をはち切れんばかりに振っているのが見えるよう。


「エマ! 愛してる!」


「あんまりうるさいと、私からもキスしませんから」


 少しだけ静かになる。


 でもまだ嬉しそうにエマの隣を歩く。


 愛の重すぎる王太子殿下は、許可制の溺愛を満喫する。

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