第八話 憧れの人
ルシアン・ヴァルセリオンは、必死に平静を装っていた。
無理だった。
目の前にいるのは。
ミレイユ・ヴェルディエ。
若草色の髪。
柔らかい笑み。
ずっと前から知っている人。
王宮でも何度も会っている。
それなのに。
今日はまったく違った。
(近い)
距離が近い。
いや。
今までも同じ距離だったはずだ。
でも今日は違う。
婚約者だからだ。
ルシアンは必死に視線を逸らしていた。
目を合わせたら。
たぶん。
死ぬ。
顔が熱い。
耳が熱い。
絶対赤い。
ミレイユが話しかけてくる。
「ジュリアンから聞きました」
ジュリアン。
弟。
嫌な予感しかしない。
「殿下は歴史がお好きだとか」
その瞬間。
ルシアンは思わず顔を上げた。
「……はい」
声が出た。
普通に。
少しだけ安心する。
ミレイユは微笑んだ。
「実は私も、歴史の本を読むのが好きなのです」
ルシアンの頭が止まった。
(え)
歴史。
好き。
ミレイユが?
「最近は初代聖女の時代の記録を読んでいます」
ルシアンの脳内で何かが弾けた。
初代聖女。
王国史の最大の研究テーマ。
ルシアンは思わず言っていた。
「北方遠征の記録ですか?」
ミレイユの目が少し大きくなる。
「ええ」
ルシアンは続ける。
「第三次遠征の頃から結界の記録が増えます
それ以前は断片的で」
そこまで言って、止まった。
(しまった)
話しすぎた。
ルシアンは顔を赤くした。
ミレイユは驚いた顔をしていた。
そして。
ふっと笑った。
「詳しいのですね」
ルシアンは固まる。
(やばい)
褒められた。
憧れの人に。
頭が真っ白になる。
ミレイユは続ける。
「ジュリアンがよく殿下のお話をしていました」
ルシアンは思わず言った。
「なにを」
ミレイユはくすっと笑う。
「書庫に住んでいるそうですね」
ルシアンは真顔になった。
「誇張です」
ミレイユは笑った。
その笑顔を見て。
ルシアンは思った。
(無理だ)
こんな人と。
婚約。
六歳年上。
公爵令嬢。
(無理だろ)
でも。
同時に思う。
(頑張る)
絶対に。
この人に釣り合う男になる。
ルシアンは小さく拳を握った。




