第四話 聖女召喚 後編
美咲はタオルを見つめたまま言った。
「……いや」
そして顔を上げる。
「帰してください」
舞踏会場が、静まり返った。
数百人の貴族。
巨大なシャンデリア。
高い天井。
そして、自分を見ている無数の視線。
小鳥遊美咲は、完全に混乱していた。
ついさっきまで、雨宿りしていた。
それだけだ。
水たまりが変な泡を立てて。
避けようとして。
気づいたら、ここにいた。
訳がわからない。
目の前の青年は、少しも慌てていなかった。
黒髪に紫の瞳。
整った顔立ちの青年は、タオルを差し出したまま穏やかに微笑む。
そしてゆっくり振り返り、会場へ向かって言った。
「聖女様は混乱しておられるようだ」
落ち着いた声だった。
「突然の出来事だ。無理もない」
貴族たちはざわめく。
青年――王太子ヴァレリウスは再び美咲を見る。
「まずはお休みいただこう」
その声には命令の響きがあった。
すぐに侍女たちが動いた。
「聖女様」
白い衣装の侍女が近づく。
「こちらへ」
美咲はタオルを握ったまま固まっていた。
状況が理解できない。
けれど。
ここにいる人たちは、皆落ち着いている。
混乱しているのは、自分だけだ。
「……」
美咲はとりあえず立ち上がった。
すると周囲の人たちが、一斉に道を開けた。
まるで何か特別な人みたいに。
侍女。
護衛。
何人もの人が付き従う。
美咲は振り返った。
舞台の中央。
王族たちが並んでいる。
その中に、小さめの王子が一人いた。
少年は真剣な顔でこちらを見ていた。
紫の瞳。
そして。
少しだけ、不安そうな顔。
一瞬だけ目が合った。
しかしすぐに侍女に促され、美咲は会場の外へ連れていかれる。
扉が閉まる。
舞踏会場には再び王族と貴族たちだけが残った。
国王アウレリウス・ヴァルセリオンが一歩前へ出る。
そしてゆっくりと会場を見渡した。
「諸君」
低い声が響く。
「聖女召喚は成功した」
ざわめきが広がる。
「アルヴェリア王国は、再び聖女を迎えた」
貴族たちがざわめき、安堵の空気が広がる。
「結界は守られる」
国王は静かに言った。
「我が国は、これからも守られるだろう」
やがて拍手が起こる。
舞踏会場の空気は、先ほどとはまるで違っていた。
その様子を、ミレイユ・ヴェルディエは少し離れた場所から見ていた。
「成功しましたね」
隣で友人が言う。
「ええ」
ミレイユは穏やかに微笑む。
聖女召喚。
結界が守られるなら、それは何より良いことだった。
友人たちはほっとした様子で話している。
「これで国は安心ね」
「聖女様、本当にいらしたのね」
ミレイユは静かに頷いた。
その時だった。
ふと視線を感じる。
振り向くと、階段の上に王族たちが並んでいる。
そして。
第四王子ルシアンの姿が見えた。
ミレイユは小さく息をついた。
今日、王命が下された。
自分の新しい婚約者。
ルシアン・ヴァルセリオン。
まだ十二歳の王子。
ミレイユは少し困ったように微笑んだ。
(大丈夫かしら)
自分は十八歳。
公爵令嬢。
この年齢の貴族令嬢には、普通すでに婚約者がいる。
第二王子も。
第三王子も。
皆、すでに婚約している。
だから。
六歳下の第四王子に話が回ってきた。
ミレイユは階段の上を見上げる。
ルシアンは真面目な顔をしていた。
けれど。
どこか緊張しているようにも見える。
ミレイユは小さく微笑んだ。
(無理していないといいけれど)
まだ子供の王子。
それでも。
これから婚約者になる相手だった。




