第一話 聖女召喚と婚約破棄
アルヴェリア王国は、長い間平和だった。
その理由はただ一つ。
王国の国境を囲むように張られた、巨大な結界。
初代聖女が残したその結界は、人喰いワイバーンを寄せつけない。
周辺国では農村が焼かれ、街道が襲われることも珍しくないというのに、アルヴェリアではそんな話は遠い世界の出来事だった。
だから人々は言う。
――聖女様がこの国を守っている。
王都ルミナリアの人々にとって、それは当たり前のことだった。
しかし、その日。
その当たり前が、揺らいだ。
王都の上空に、低い震動が走った。
まるで空そのものが、わずかに波打ったようだった。
街を歩いていた人々が足を止める。
「……今の、何?」
誰かが呟いた。
次の瞬間、王城の塔から鐘が鳴り響いた。
警戒の鐘。
王城の会議室では、すでに報告が届いていた。
「結界の魔力が低下しています」
王国魔導士団長の声は、重かった。
長い楕円の卓の奥で、国王アウレリウス・ヴァルセリオンが静かに問い返す。
「どの程度だ」
「現在は小さな揺らぎです。しかし……」
魔導士団長は言葉を選ぶように続けた。
「このまま減衰が続けば、数年以内に結界が維持できなくなる可能性があります」
室内が静まり返った。
王太子ヴァレリウスは、机の上で組んでいた指をわずかに強く握る。
結界が消える。
それは、この国にとって何を意味するのか。
誰もが理解していた。
その時、扉が勢いよく開いた。
騎士が駆け込んでくる。
「ご報告いたします!」
息を切らしながら叫ぶ。
「国境付近の村にて――ワイバーンが確認されました!」
部屋の空気が凍りつく。
ありえない。
結界がある限り、ワイバーンは侵入できないはずだった。
「討伐隊は?」
ヴァレリウスが即座に問う。
「すでに第三王子殿下が騎士団を率いて出撃しています!」
その言葉に、わずかに空気が緩む。
レオニスが出ているなら、まず間違いはない。
しかし問題はそこではない。
結界が破られた。
その事実だった。
国王はしばらく沈黙していた。
やがて、静かに口を開く。
「……魔導士団長」
「は」
「結界の回復手段は」
魔導士団長は、迷わなかった。
「聖女です」
短い答えだった。
結界は、聖女の魔力で維持される。
初代聖女の力が今も国境を守っているが、その力は永遠ではない。
次の聖女が必要になる。
それは、誰もが知っている事実だった。
国王はゆっくりと立ち上がった。
「聖女召喚を行う」
その言葉は静かだったが、決定は揺るがなかった。
王太子ヴァレリウスは目を閉じた。
聖女召喚。
それが意味するものを、彼はよく知っている。
聖女は王家に嫁ぐ。
それがこの国の慣習だった。
そして彼には、すでに婚約者がいる。
ミレイユ・ヴェルディエ。
幼い頃から共に育ち、政治の話をし、王国の未来を語り合った相手。
戦友のような存在。
ヴァレリウスはゆっくりと息を吐いた。
そして、静かに言った。
「……理解しました」
王太子として。
彼はすでに、決断していた。




