正直は美徳だけど、正直でいるのが正しいときとそうじゃないときは確実にある。
アンドロメダが初めて父親と会話を交わしたのは、エノンが護衛となる1ヶ月ほど前のことだった。
アンドロメダはほとんど毎日、皇宮本城の書斎で本を読んでいた。使われている文字が英語だったお陰で読み書きはわかるものの、この世界についてやこの国について自身に教えてくれる存在はほとんどいなかった。特に、母であるはずの皇后が、覚えている限り一度も顔を見にこないという事実が、アンドロメダにとっては最悪の事実であった。
(ネグレクトか......)
そんな感想とともに母親を諦めたアンドロメダは、4歳の頃から書斎へ通った。教えてくれる人がいないのであれば、自分から学べば良い。そう思っての行動だったが、それによりアンドロメダは新たな事実を知ることとなった。
現皇帝_ヘルクレス・アェースタス・デケム・クヤム=ノクスカエラム_通称、ヘルクレス8世_は、色欲皇帝から生まれた第十三皇子だった。10人の妻、20人の子供、その末っ子として生まれ、これといった教育も受けず、戦争と疫病の最中生き残っただけの人間。アンドロメダがそれを知って感じたのは、落胆と納得だった。蛙の子は蛙だ。
ガチャリと小さな音を立てて書斎の扉が開く。基本的に人が来ないこの場所で、アンドロメダはソファに寝転がって本を読んでいたために、誰が来たのか判断がつかなかった。
その人物はアンドロメダの存在を認めると、静かに口を開く。
「何をしている」
低い声だった。一度も聞いたことのない男性の声。
アンドロメダが本から顔を上げると、そこに立っていたのはヘルクレスその人であった。
アンドロメダは一瞬、言葉を失った。ヘルクレスはあまりにも自身に似すぎていた。アイボリーブラックのストレートヘアに、カージナルレッドの瞳。吊り目で、ちょっと不機嫌そうなところまで。
「......本を読んでる。見たらわかるでしょ」
幼い声に似つかわしくない言葉遣いに、ヘルクレスは眉を顰める。そしてアンドロメダから本を取り上げると、さっと目を通して、アンドロメダへ視線を向ける。
「帝国史......?文字を追うだけの行為は読書とはいわないぞ」
その言葉にアンドロメダが怒りをあらわにしたのは、ある意味必然のことと言えるだろう。聞こえる言語は日本語、書いてある文字は英語。なぜか読もうとするとすらすらと読めるわけだが、だからといって英語の勉強をしなかったわけではない。知らない言葉は日本語へ変換されなかったため、乳母や侍女へ聞いたり、辞書と行ったり来たりして、アンドロメダは努力していたのだ。それはまるで、受験生の時のように。
「帝国暦831年9月3日」
「......?」
「クアントとの戦争を始めた日」
ヘルクレスは驚いたように目を見開いた。しかし、アンドロメダの口は止まることを知らず、流れるようにスラスラと言葉が出てきた。
「魔鉱石が発見されたケレス山脈がウチとクアントとの国境にあったことから、魔鉱石の発掘及び独占のために始められた。宣戦布告をした数時間後に侵攻し、クアントを占領。その後暫くは植民地化させていたものの、皇女があなたの代に第五皇妃として帝国に嫁いだことで同盟関係を築いた。」
アンドロメダがヘルクレスを射抜き、ヘルクレスも唖然とアンドロメダを見つめていた。到底、6つの子供から発されるとは思えない言葉は、アンドロメダが字面を追っているだけではないことを示していた。
ヘルクレスが小さく笑みを浮かべる。
「お前、名は」
アンドロメダがむっと眉を顰める。
「自分の子供の名前もわからないの?」
「ああ、知らないな」
自身の不遜な態度に何も言わず、かつあっけらかんと言い放つ父親に、アンドロメダはやはり怒りを感じざるを得なかった。
「アンドロメダ。アンドロメダ・アウトゥムヌス・ウーナ・アルフェラッツ=ノクスカエラム」
「...そうか、アンか。年は」
「......6つ」
悪びれもしない、罪悪感も、後悔も、なにも感じさせないような態度に、アンドロメダは彼を父親だと認識することをやめた。彼は皇族であり、皇帝であるが、きっと父親ではない。父親としての役割を求めたところで意味がない。そう考えて仕舞えば、怒りを感じるのもバカらしくなってしまったのだ。
「アン」
「...なに」
「俺はこの国の皇帝だぞ」
前言撤回。アンドロメダはそんな言葉を思い浮かべるとともにおさまったはずの怒りがまた浮かび上がってくるのがわかった。
「敬語でも使ったほうがよろしかったですかね」
にこりと怒りとともに笑みを携えたアンドロメダの様子を見て、ヘルクレスはふんと鼻で笑う。それが更にアンドロメダの怒りを増長させた。
「いらん」
「......?」
「お前はそのままでいろ」
自身に似た顔の良い男が愉快そうに微笑み自身を見下ろす姿に、アンドロメダは違和感を感じざるを得なかった。そんな感情を遮るかのように書斎のドアが大きな音を立てて開く。
「陛下!」
声を荒げ書斎へ入る男性に、アンドロメダは見覚えがあった。ブラウンの髪をオールバックにまとめ、同じ色の瞳がガラス越しに自身を射抜いた。皇帝の側近のアルバート=オスマンサスだ。
ソファへ座り直すアンドロメダにアルバートは恭しく礼をする。
「帝国の第一の星にご挨拶申し上げます。」
「アンドロメダの加護があらんことを」
にこりと笑ってアンドロメダが返すと、アルバートはゆっくりと頭を上げた。そして室内を見渡し、それから視線をアンドロメダへ戻す。
「殿下、護衛騎士をおいていらしたのですか?」
咎めるような心配するようなその音色と顔に、アンドロメダはきょとんと瞬いた。
「いないですけど」
「いない......?」
「元々護衛なんていません」
アンドロメダの言葉に、アルバートとヘルクレスは目を見開いた。皇族に護衛がいないなどあり得ないことだ。それを「何を言っているのか」とでも言うように、何でもないことのように話すアンドロメダにアルバートは言葉を失った。
とはいえ、初めからいない訳ではない。最近まではいたのだが、急にとんずらをこいたのだ。アンドロメダはそんなこともあるだろうと気にも留めず、実際護衛がいなくとも実害がなかったために、上進しようとした侍女に待ったをかけたのだ。いてもいなくても変わらないのだから、いなくて構わない。そんな言葉をかけたアンドロメダに、侍女は不満そうにしながらも主人の言うことに従ったのだ。
「......陛下、早急に殿下の護衛騎士を任命しましょう」
胃を押さえるようにしてアルバートが放った言葉に、ヘルクレルは手短に了承を返した。それに否を唱えるのはアンドロメダのみだった。
「いえ、いりません。必要もないですし」
「殿下......もし不届者がいたらどうするのです」
「さあ、今までいたことがないので......」
逃げて人を呼ぶしかないのでは、などと軽く言い放つアンドロメダに、アルバートはため息を吐きそうになるのを必死で抑えた。齢6つとはいえ皇族で、齢6つだからこそどうとでもできる。
(陛下に任せきりにしたのは失敗だったか......)
頭を抱えるアルバートの横で、ヘルクレスがひょいとアンドロメダを抱えた。それに驚くアンドロメダとアルバートを他所に、ヘルクレスは口を開く。
「なぜこいつに敬語を使う」
「......目上の人だから...」
「関係ない。アン、お前は皇族だ。誰にも謙るな」
アンドロメダがきょとんと瞬くと、ヘルクレスは不機嫌そうな顔を少し緩めた。そしてスタスタと書斎を出ていってしまう。それにより一緒に書斎を出ることになったアンドロメダは抵抗するも意味を成さず、不快そうにヘルクレスを見上げた。
「護衛がいないときにお前ができること」
「......?」
「これが答えだ」
ただ抱えられて何もできない。そう、今のように。ヘルクレスの言っていることが正しいことはアンドロメダにはすぐに理解できた。何も言わずに口を噤む。
異世界ということも、自身が齢6つの体であることも、アンドロメダは知っていた。知っていただけで、理解していなかった。まさかそれをヘルクレスに言われるだなんて思ってもいなかった。そんな思いを胸に抱く。
ヘルクレスはアルバートと護衛騎士数人を連れて廊下を歩いていく。アンドロメダは父親に抱えられながら、小さく口を開いた。
「皇帝以外の仕事もできるんだ......」
独り言のようなそれにヘルクレスは固まり、アルバートはヘルクレスの後ろで小さく吹き出す。
「......それは、嫌味か?」
「うん」
バッサリと答えるアンドロメダに、とうとう堪えきれずにアルバートが声を上げて笑った。