71. 【番外編】 王太子の初恋 11/11
「ドニと話した後、もう社会見学はやめようと思ったの」
「どうして」
少し表情を硬くしたルドヴィークに、パメラは照れたように、困ったように微笑んだ。
「どうやっても想いはかなわないのに、ルディに会うのはつらいと思ったから」
「!」
ルドヴィークは目を見開いた。
ルドヴィークが示してくれた心を、パメラも返さなければならない。
「でも、社会見学をやめるのをやめる。社会見学は、学院を卒業した後も行きたいわ」
「・・・ああ、俺もだ」
少し呆然とした顔で、ルドヴィークが独り言をつぶやくように答える。
「自分に何ができるだろうって、いつも考えていたの。ここで少しはそれが、見つかるかしら」
「思ったことは、何でも伝えてほしい。すべてをかなえるのは無理かもしれないが、一緒に考えよう」
一緒に考えようと言われて、瞳が潤んだ。
それを見たルドヴィークが、立ち上がってパメラの座る側にまわりこんでくる。
「私、ルディの隣に立てるように努力するわ。だから」
言い終える前に、抱きしめられた。
「俺も、君を泣かせないように努力する」
耳元でささやかれた声が、心地いい。
「あのねルディ」
「うん」
そのままの姿勢で、パメラは微笑んだ。こんなことを言える日が、来るとは思わなかった。
「生まれて初めて、私王族に生まれてよかったって思ってる」
ルドヴィークの抱きしめる腕が強くなった。
「・・・俺もだ」
言ったルドヴィークの声は、震えていた。
また向かいになってソファに座っている。
今後のことを、話す必要があった。
細かいことはともかく、おおまかにだけ話をすることにした。ルドヴィークに促され、焼き菓子をつまみながら、お茶を楽しんでいる。
夢ではないとわかっているはずだが、ふわふわとして何となく落ち着かない。
「リオン殿下とドニ・ブノワには、後日予定している面談で俺から伝える。そうすればあいつらも文句はないだろう。計画通り、王女は『王太子を陥落』したんだから」
「陥落なんて、私そんなつもりじゃ」
慌てるパメラに、ルドヴィークは笑んでうなずく。
「わかってるよ。でも、あいつら的にはそういうことだ。ルディがルドヴィークだったとわかれば、おとなしくなるだろうし」
「父の思惑に乗っかったみたいで、複雑ではあるけれど」
頬に手を当ててつぶやくパメラに、ルドヴィークはいたずらっぽく笑う。
「『お前たちの言いなりにはならない』、だったか」
「!」
それは、パメラがドニに言った言葉だ。ソールはそんなことまで訳して伝えたのか。
思えばえらそうなことを言ったものだ。羞恥に顔が熱くなる。
「あの場に俺、いたのになぁ。かっこいい場面を見逃した気分だ」
ルドヴィークがくすくす笑う。
「もう忘れて・・」
パメラは両手で顔を覆った。
「キロスには早々に書面を送る。まあ反対はされないと思うが、されてももう帰すつもりはない」
パメラにも帰るつもりはない。
いやその前に。
パメラは覆っていた手をのけてルドヴィークを見つめた。
「国王陛下にまずおうかがいしないと」
「うん、異母兄上にはもう了承をもらってる。応援ももらってる。あ、忘れてた。姉上が待ってるんだった」
「え・・・えぇ?」
短い割に内容の濃い言葉に、パメラは悲鳴じみた声を上げた。
「移動しよう」
軽い口調でルドヴィークが言った。
人間第一印象が大切なのに。会う前から待たせているなんて、心象が悪すぎる。
パメラは慌てて立ち上がった。
『姉上』も待ってる、の間違いだった。
パメラが案内された部屋には、見慣れた面子と初対面の人が2人で、賑わっていた。
聞くと、ルドヴィークが立太子してから、何かあると集まっているメンバーなのだという。
ミハイル、ソール、知らない黒髪の男性が奥に見えた。
ユリエもアルティミシアもレギーナもここにいる。用があると言っていたのは、これか。
「遅いから心配したけど、2人で来たってことは、そういうことだね?」
ユニセックスな美貌。ボリュームのないすっきりとしたドレスを着用していることで女性だと知れる、その人が言った。
「ああ。何とか」
ルドヴィークが自然な笑みを見せている。王太子のルドヴィークに敬語を使わずに話せる女性。
『姉上』だ。
パメラが急いで礼をとろうとすると、
「あ、いいよ。もう私は公爵家に降嫁しているしね。弟の気持ちに応えてくれてありがとう、パメラ王女。私はマグダレーナ・ブラダ。ルドの姉だよ。学院気分で、気安く話すことを許してほしい」
言葉は確かに気安かったが、公爵夫人としてキロスの王女にとる礼は、美しいものだった。
「もちろんです、ブラダ公爵夫人」
パメラは止められたので軽く略式の礼だけをとった。
「マグダレーナでいいよ。何しろあなたは義妹になるのだし。あ、何なら義姉と呼んでもらっても」
「あ、ありがとうございます」
蠱惑的な笑みに、口説かれているような変な気持ちになる。
「座ろう。エレンは初対面だろう。紹介する」
ルドヴィークはぐい、とパメラの腕を引いて歩き出した。
「ディスピナ様にお伺いを立ててみたのですが、表立ってやるとパワーバランス的にメルクーリ家に偏り過ぎるから、あくまでも私に会いに来るていで、メルクーリ家本邸に定期的に来られてはどうか、とのことでした」
アルティミシアが言った。
今後の、パメラの王太子妃教育について話している。
ディスピナ様、はミハイルの母、つまりメルクーリ公爵夫人だ。
彼女からは、王太子妃としての教育というより、カレンド貴族の関係図や派閥、付き合い方、注意点などを教わることになるらしい。すでにこの話がされていたことに、パメラは少し気恥ずかしくなる。
「さすが筆頭公爵家夫人だね。気が利いてる。『表立って』のところは私が請け負おう。メルクーリ公爵夫人には、私から礼を出すよ」
「ありがとう姉上。姉上が自ら王太子妃教育を?」
ルドヴィークの問いに、パメラは内心焦った。緊張しすぎて頭に入らなそうだ。
「うんまあ、やればできなくはないと思うけど、私はこんな感じだからね。言葉もネイティブみたいな発音でクセがないし、成績は優秀だと聞いているし、貴族との付き合い方はメルクーリ公爵夫人が請け負ってくれるし、結局必要なのは王太子妃としての振る舞いや独特な決まり事のところだけのはずだから。ちょうどいいのを見繕うよ。心配しないで」
「俺が心配してるのはそこの心配じゃないけどね」
じゃあ何の心配? パメラはルドヴィークを見たが、ルドヴィークは苦笑して肩をすくめただけだった。
後日パメラがマグダレーナの人形コレクションに加わったのは言うまでもない。
キロス国王は、カレンドの王太子の第二王女との結婚打診に反対はしなかった。むしろ即答で了承がかえってきた。
まだ結婚もしていないのに、まるで友好国のような態度で提示してくる若干の無茶ぶりには、ソールが粛々と対応した。
婚約の公表は早々にするが、結婚式は、パメラの学院卒業を待って、いろんな意味でその環境が整っているか状況を見てから、ということになった。
きっちりミハイルに再教育を施されているらしいリオンからは、学院内で「お前の幸せを祈ってやる」と言われ、驚いた。
人体改造でも行われたのかと本気で疑った。
もしくは、よく似た別人。
ドニは、あれからパメラの前には現れない。パメラが役目を果たしたからもう用はない、ということだろうか。
「人って、変われるんだよ」
リオンの話を聞いたルドヴィークが笑う。
今日も今日とて、社会見学だ。
今日は王領の山林に来ている。ここでしか採れない、珍しい実が成る木が群生しているという、保護地区だ。周りに人もおらず、気兼ねなく話ができる。
「俺もパメラに会って、少しは変われた気がするんだ。今までは、一時的な興味に動くことはあっても特に何にも執着がなかったし、王太子、ましてや王位なんて面倒なだけだと思ってた」
そういう言い方をされると、ルドヴィークがいかにも無責任でいいかげんな人のように聞こえるが、そうではないことをパメラは知っている。
ソールから、「ルドヴィーク様はご自分からは話さないでしょうから」と、王族でありながら影も側近も持たず、この歳になっても婚約者を作らず、息をひそめていたのに王太子の座が転がり落ちてきたそのおおまかな背景を聞いている。
ルドヴィークは自分でも言っていた。自分は (王の) スペアのスペアだったのだ、と。
「でも今は、頑張ってみてもいいと思ってる。パメラのやりたいことを、一つでも多くかなえたい」
パメラが隣を見上げると、ルドヴィークは微笑んでこちらを見つめていた。
王族として何ができるか。
本当はキロスでやりたかったことではあるが、と言い置いてルドヴィークにいくつか話したら、それはカレンドのためにもなることだ、と賛同してくれた。
「ルディがやりたいことは?」
パメラはそれをまだ、ルドヴィークの口から聞いていない。
ルドヴィークは何かを言おうとして、ふと視線を上げた。あらぬ方向を見ている。
珍しい鳥でも見つけたのだろうか。パメラもつられてその方に目を向けた。
「!」
ルドヴィークが上向いたパメラに、角度良好、とばかりに優しく口付けて、すぐに離れた。
パメラは瞬時に熱くなった顔できょろ、と辺りを見回す。
視界には入っていないが、いくら王領の山林でも、王太子とその婚約者、近衛がいないわけがない。
「ルディ!」
小声で非難の声を上げたが、ルドヴィークは謝るそぶりもなく、くすくすと笑っている。
「やりたいことは? ってパメラが言うから」
「今やりたいことじゃないわ。あと人目を考えて」
自分で言って、今やりたいことがキスだったのだと再認識して、パメラはまた顔が熱くなった。
そんなパメラに、ルドヴィークは笑いが止まらない。
「近衛は置き物か何かと思ってくれって、置き物1号が言ってたよ」
「2号のあなたが言わないで」
笑いの発作は腹筋にまで届いたようで、ルドヴィークは少しかがむような姿勢で、片手で腹を押さえている。
「そうだった。俺2号だった」
「・・・やりたいことは、できるようになったよ」
ようやく笑いの波がおさまったルドヴィークは立ち止まった。パメラも合わせて歩みを止める。
「スペアのスペアから格上げされて、王太子になっても、別にやりたいことなんて見つからなかった。それでもやるべきことはある。それをただ淡々と執り行っていくだけなんだろうと思ってた。でも今はかわいい奥さんが来てくれて、どうぞ子作りしてくださいって環境も準備されて」
「まっ、まだ結婚はしていないわ」
生々しい言葉に反応してしまったが、ルドヴィークはマリクが子を為すまでは婚姻しない、との信念を貫いていた人だ。そういう意味で言ったのではないのだろう。と、思いたい。
たぶん顔が赤くなっているだろうパメラに「うん、待てるよ」、とルドヴィークは笑んでうなずいた。
「パメラは今後やっていけそうな提案まで持ってきてくれた。その中には王位を継がなくてもできそうなものもあった。どうやったらできるのか、考えるのが楽しくなった。今、すごく楽に息が吸えているような感覚なんだ。パメラのおかげだよ、ありがとう」
微笑むルドヴィークが美しくて、パメラはつい見とれた。
すべての思いは言葉に尽くせない。でも、それに代えて、最高の笑顔を贈りたい。
「ありがとうと言いたいのは私の方。たくさんのありがとうを、これから長い時をかけて返していくつもりよ。あ、ただ、その」
急に言い淀むパメラに、ルドヴィークは小さく首をかしげた。
「うん?」
「私、あの、が、頑張るから、できたら側妃は」
キロスはそもそも一夫多妻制だが、カレンドは王家のみ、2人以上の妻を娶ることができる。
そのカレンド王家に嫁ぐことになったパメラは、本当なら側妃も容認しなければならない。
ルドヴィークは首を横に振った。
「側妃はいらない。せっかくパメラが頑張ってくれるって言ってくれたんだ、なおさらいらない」
「いえ、あの」
自分で言ったことだが、繰り返されると恥ずかしすぎていたたまれない。
ルドヴィークはくすりと笑って、うつむくパメラの顔をかがむようにしてのぞきこんだ。
「もともと側妃を娶るつもりはないよ。もし子を為せなかったとしても、それを重圧に感じる必要もない。ダヴィトがいる」
ダヴィト王子は、国王陛下の側妃の子だ。御年11歳。
顔合わせをした時、厳密には義理の叔母になるのだが、「お義姉さまとお呼びしてもいいですか?」と、小国の王女に笑いかけてくれた、優しい少年だ。
「ゆっくりと、国を育てていこう」
ルディの笑みで紡がれたこの言葉はパメラの心に響いて、一生留まることになる。
「大丈夫だよ、俺頑張るから」
ルドヴィークが笑いながら、手を差し出した。
国政を? ・・・その、子作りを?
聞き返すこともできずに、パメラはその手を取って、歩き出した。
ルドヴィークが賢君と呼ばれ、パメラが賢后と呼ばれ、優秀な臣に支えられながら、後にカレンドの黄金期と呼ばれる時代を築き上げることを、2人はまだ知らない。
お読みいただきありがとうございました!
少しでもよかったよ、と思ってくださった方、応援★いただけますとすごく嬉しいです
次少し間があくかもですが、不定期に番外編を更新する予定です