69. 【番外編】 王太子の初恋 9/11
自由になれるなら、それだけで幸せなのだと思っていた。
いや、事実今パメラは幸せだ。
毎日学院に通えて、仲のいい友達に会えて。
休息日には社会見学で、ルディに、会えて。
(婚約者はいないって言ってた・・・)
でも、もう会わない方がいいのかもしれない。
とりとめもなく色々なことが頭を巡っては戻る。
どうしたら。どうすれば。
どうしたい?
控えめなノックが鳴った。
自室、パメラは突っ伏していた顔を上げて、のそりとベッドから立ち上がった。
このノックの主を知っている。
誰何もせずにドアを開けると、やはりユリエだ。
ユリエはパメラを見て一瞬ぎょっとした顔をしたが、すぐに元に戻って、
「入ってもいいかな?」
いつも通りの口調で聞いてきた。
泣いてはいなかったはずだが、覚えていない。ルディに送られているあたりから、記憶があまりない。
ひどい顔をしているのだろうか。
人と対面している時は笑顔を絶やさないユリエが、うっかり顔に出すくらい。
「どうぞ。入って」
答えた声は、予想外にかすれていた。
ユリエは、ことわることもなくパメラのベッドに腰かけた。ここは、ユリエがパメラの部屋に遊びに来た時の定位置になっている。
「何か淹れてこようか?」
気遣ったユリエが聞いてくれるが、パメラは小さく首を横に振った。
部屋には炊事ができる場所はない。お湯すら食堂に取りに行かなければならない。
喉が渇いている自覚はない。むしろ、今何も口にいれたくなかった。
パメラもユリエの隣に座る。いつもならデスクに備え付けの椅子に座るパメラが自分の隣にきたことで、ユリエはパメラを覗き込むように見た。
「いつもよりずっと早く帰って来たって、スタッフから聞いたよ。何かあった? 喧嘩、とか?」
喧嘩、ならよかった。その方がよかった。
パメラはまた小さく首を横に振った。
「ドニがいたの」
「え」
「博物館で、ドニが待ち伏せてたの」
「こわ」
ふるりと身を震わせてつぶやいたユリエに、パメラは小さく笑った。
そうか。普通はそういう反応か。パメラは思いつきもしなかった。
「カレンドの王太子殿下と婚姻を結ぶのでなければ、無理やりにでも連れ帰ると言われたわ。それが父に課せられた、リオンとドニの役目なんですって」
うつむいて話すパメラに、ユリエはきっとわざとだろう、何でもないような口調で尋ねた。
「そっかぁ。で、パメラは何て答えたの?」
「王族である自分を忌み嫌っている私が、王族と婚姻を結ぶはずがない、って」
がふっ!
なぜかユリエが変な咳をした。
部屋の掃除は定期的にしているつもりだが、埃でも舞っていただろうか。
「大丈夫ユリエ?」
パメラが少し申し訳なく思いながら尋ねると、ユリエは整えるためか、あと数回小さな咳をした。
「んぐ・・大丈夫。ごめんちょっといろいろこんがらがった」
喉がいがらっぽかった、と言いたかったのだろうか。まだ少し思考がぼんやりしてしまっているから、パメラがユリエの大陸語を聞き取り間違えたのかもしれない。
「ル・・・ルディさんは何て?」
「ドニとはキロス語で話していたの。外交官だの王女だのって言葉を、ドニが公の場で乱発するものだから、危なっかしくて」
「そ、そう。そっか」
ユリエはおそらく、パメラのルディへの想いに気付いている。だからこそ、聞いてくれたのだろう。
でも。
「社会見学、もうやめるわ」
息を吐くように言ったパメラに、
「ちょ、何で!」
ユリエは立ち上がって、パメラの座る前に来た。跪くような姿勢で、パメラの手を取って見上げる。
「何で? まだ見るとこいっぱいあるよね?」
パメラはどういう表情をしていいのかわからずに、結局弱く微笑んだ。
「ルディと会う機会を、最小限にしようと思うの。社会見学をするのに、担当を変えて、って言うわけにはいかないでしょ?」
ルディには何の悪い所もないのにそんなことをしたら、ルディが不利益をこうむるかもしれない。
「ねえそれって、パメラはルディさんのこと好きってことだよね?」
よけようもないほどの直球かつ剛速球を、ユリエが投げてきた。
昔から変わらない。すぐに思い悩んでしまうパメラに、ユリエは逃げ場を作らない。
「・・・うん。でも」
想いはかなわない。ドニには強く「言いなりにはならない」と言ったが、それが実践できるかどうかはわからない。
それに、王族でも庶民になっても、ルディとは釣り合わない。ルディは伯爵家次男だ。
「今うんって言ったよね?」
なぜかユリエが若干前のめりだ。
「言ったわ」
もう察しているユリエに、嘘を言っても仕方がないから。
誰にも知られずに封印するより、誰かに知っていてほしかったから。
「ねえパメラ。ちょっと落ち着こう。動揺がおさまらないうちに動くのは危険だよ。今すぐ『もう社会見学やめる』とかって言っていかないようにね。クールダウンしよ」
「でも次の休息日にも、社会見学の予定が」
楽しみ過ぎて、もう休息日ごとレベルの勢いで予定を入れてしまっている。
それに、遅くなればなるほど、言い出しにくくなってしまう。
あと1回だけ、と、甘えがでてきてしまう。
「それまでにはいくら何でも落ち着いてるでしょ。今、今日、うーん明日? くらいまでは、冷却期間おこう」
ユリエは言って立ち上がった。
「ユリエ?」
見上げるパメラに、ユリエはあの笑顔を返した。眩しいほどの、曇りのない笑顔。
「実はこの後用事があってさ。パメラの様子が心配だったから顔を出しただけなんだ。私はちょっと出かけてくるけど、約束だよパメラ? 早まった真似はしないでね?」
「忙しいのにありがとう、ユリエ。大丈夫。私もちょっと頭を冷やした方がいいと思うから、おとなしくしてる」
「うん」
ユリエは笑顔のまま部屋を出て行った。
ユリエがそのままソールに相談するために出かけたことを、パメラは知らない。
王太子からの面会要請があったのは、その翌日、学院が終わって帰宅して、少しした頃だった。
それは、ルディからではなく、ソールから知らされた。
間が悪い。
王太子は何一つ悪くないが、パメラ的に今一番会いたくない、というか会いづらい人物だ。
ドニかリオンが何かしら動いたのだろうか、とも思ったが、ソールの説明では
「王太子殿下は前々から機会を設けようとはされていたのですが、スケジュールが少し詰まっておりました。面会要請はパメラ様だけではなくリオン殿下にもいっておりますので」
とのことだった。
次の休息日はどうか、との打診に、パメラが断れるはずもない。平日なら学院を休んででも受ける案件を、王太子がわざわざ休息日を指定してくれているのだ。
「もともとの予定だった社会見学は次の休息日にずらしましょう。ルディには伝えておきますので」
いつもの穏やかな笑みでソールは言って、さっさと帰ってしまった。
ソールの様子はいつもと変わらないように見えた。
ルディはどうしてる? とは、聞けなかった。
楽しみにしていたわけでもないのに、次の休息日はあっという間に来た。
社会見学ではないが、ドレス着用のため、やはりメルクーリ家本邸を訪れている。
いつもの軽装ではなく、キロスの王族としての民族衣装をまとったパメラに施された化粧は、キロス風でも、街娘風でもなかった。
目元はきつくなりすぎず、公的な場であるのでやわらかい印象でもない。
サリアはキロス風の化粧を知らないわけではない。パメラが自らに施しているのは、キロス風の化粧。その顔でいつもここに来ている。
キロスの衣装には目元がくっきりした化粧が定番なのだが、不思議とパメラに違和感はなかった。
この衣装を着た時の定番、きつくまとめて髪を結い上げる髪型をせずに、結い上げてはいるが、編み込んで少し華やかな印象になっているからだろうか。
何にしろ、パメラは気に入った。
正直、王太子ではなくルディに見せたい。
「サリア」
確認のために360度から見回していたサリアに、パメラは声をかけた。
「はい」
サリアは姿勢を正してかしこまった。
「いつもありがとう。あの、普段のお化粧をね、変えたいと思っているの。よかったら教えてもらえる? あなたのお化粧ほど、うまくできるかどうかはわからないけど」
「もちろんでございます」
サリアはわずかに表情をやわらげて一礼した。
今日は、アルティミシアはここにいない。用事があるのだという。
「じゃあアルティに話をしておくわ。ありがとう、サリア」
社会見学をやめたら、ここには公的な用事以外では来られなくなる。化粧を教えてもらう時に、サリアに何か贈り物を持って来ようと思った。