65. 【番外編】 王太子の初恋 5/11
パメラが学院に編入して、初めての休息日。
思い返せば、怒涛のような1週間だった。
慣れない環境に、知らない「当たり前」。多すぎる情報量。
気が張って眠れなくなるかと思っていたが、そんなことは全然なかった。案外図太かったらしい。
くたくたに疲れて帰ってきても、バラーシュの社食は何を食べてもおいしく、湯あみも自分の好きな時に好きなタイミングでできるし、すこんと寝入ってしまえば朝まで起きることもない。
前日の疲れをひきずるようなこともなかった。
だから、初めての休息日、「ゆっくりされたいなら日を延ばしますが」、と前置きされてソールに提案された定期連絡会を、パメラは快諾した。
ユリエとともに馬車に乗って、案内されたのは王都で今人気だというカフェだった。
男ばかりのスタッフに囲まれたら堅苦しいだろうと、ルディがユリエとレギーナとアルティミシアも呼んで、このカフェをセッティングしてくれたらしい。
何ともこまやかな気遣いだ。
カレンドの男性はみんな親切だ。キロスの男性のように高圧的ではない。
その彼らに状況確認をされるくらいは別に何とも思わないが、級友と人気のカフェでお茶ができるという、王族ではまずかなわなかったことがこんなに早く実現したことが、とにかく嬉しい。
「一週間ぶりです、パメラ様」
予約してくれているという個室に案内されて入ると、まずルディが出迎えてくれた。
少し後ろにはソールがいつもの穏やかな笑みで控えている。
「すごく素敵な部屋ね! ありがとうルディ。たった一週間でここまでたどり着けるとは思わなかった」
「ここまで?」
ルディが不思議そうな顔をする。
パメラはおかしくなってくすくすと笑う。
「そう、ここまで。ずっと夢見てたことのうちの1つよ。これからこうやって、1つ1つかなえていくことができるなんて、本当に夢みたい」
ルディはまぶしいものでも見るように、わずかに目を細めた。
「そのお手伝いをするために私がいます。ゆっくりお茶をしながら、話を聞かせてください」
本当に?
ふいに視界がぼやけた。開いたままの瞳から、ぽとりと涙が落ちて、泣いているのだと自覚した。
「パメラ様?」
ルディが慌てたように言った後、なぜかソールを見た。
ソールは苦笑して、パメラの方に歩み寄った。
「どうされました、パメラ様」
穏やかな笑みは、揺るがない。
3人の愛すべき妹たちを持つというソールは、さすがの安定感だ。
泣いてしまった自分に驚いて動揺してしまっていたが、ソールを見て何となく落ち着いた。
「ごめんなさいね、ルディ。驚いたわよね。私も驚いた。嬉しかったの、すごく。嬉しすぎて、涙が出たみたい。ソールも、ごめんなさいね」
「そういう時は、ありがとうでいいんですよ」
ソールの言葉に、ああなるほど、パメラは納得してうなずいた。
「ありがとう! 言ってもらえたことが、すごく嬉しかったの」
言い直すと、うろたえていたルディも、安心したように笑みを見せてくれた。
「さ、ご令嬢方はもうお待ちですよ」
ソールがパメラを部屋の中央に促した。
その先では、ユリエとアルティミシアとレギーナが、笑顔でこちらを見ていた。
「!」
おいしい!
目の前に置かれた宝石のようなケーキを小さく切り分け、一口食べて、思わず声に出そうになったが、さすがにマナー違反だろうと思い、何とか耐えた。
「言っちゃっていいのよ? だって、ここは個室だから」
見ていたレギーナが笑う。
「うん、いいいい。さ、シェアしよ!」
ユリエがいそいそと自分のケーキにナイフを入れると、レギーナもアルティミシアも笑いながら同じようにケーキを小さく切り分けている。
い、いいの?
思わずルディとソールの方を向くと、ルディは面白そうにその様子を見ているし、ソールは
「ここにあるのは置物か何かだと思ってください」
と、自分たちを指さした。気にするな、ということだろう。
4人女子がいて、小さく切り分ける。つまり、1度に4度おいしいということだ。
4人とも、注文したケーキの種類は違う。
許されるのか、そんな所業が。
「夢?」
思わずつぶやいたパメラに、レギーナは苦笑する。
「嫌じゃなかったら、パメラもシェアしましょ?」
「い、いいの? 本当に」
キロスのマナーでもカレンドのマナーでも、自分の皿の料理をシェアするというのははしたない行為とされる。しかも、パメラは一口食べてしまっている。ましてや男性のいる、目の前で。置物だと思えと、言ってはもらったが。
刻み込まれたキロスでの教育が、パメラを戸惑わせる。
「そのための個室ですから」
アルティミシアがほわりと微笑んだ。
うんうん、とユリエとレギーナがうなずく。
そのためなの? 定期連絡で周りに聞かせられない話をするからじゃないの?
もう一度ルディとソールを見ると、2人とも笑顔で小さくうん、とうなずいた。
「・・・」
幸せ過ぎてこわい。後でとんでもないしっぺ返しがきたりはしないだろうか。
パメラは震える手で、自分のケーキにナイフを入れた。
ケーキを食べた後、今日の本題、ちゃんとルディとソールに状況報告をした。
まだ一週間ではあるものの、きちんと食べて寝て心身ともに健康であること。
学院では3人に随分とサポートしてもらっていて、今のところ不自由を感じることはないこと。
ミハイルのおかげでリオンとは同じ教室にいても接触することはなく、とても平和な学生生活が送れていること。
「つつがなく新生活を始められたようで私も安心いたしました。あと、何かご希望やご相談はございますか?」
ルディに聞かれて、パメラはうなずいた。
「いくつかあるのだけれど、言ってもいいのかしら?」
「もちろんです」
ルディは笑んでうなずいた。
「一つは、国王陛下にご挨拶しなくてもいいのかということ。こんなによくしていただいて、顔の一つも出さないなんて礼に失するのではないかと思って。もう一つは、市場とか、港とか、カレンドの国民のみなさまが暮らしている、一般の場に行ってみたいということ。あと一つは、」
パメラは言い淀んだ。さすがに最初から飛ばし過ぎだろうか。
「あと一つは?」
ルディが促した。
パメラは小さく深呼吸した。
これは、決意表明。
「手に職を、付けたいのです。ソールとユリエにはすでに話していますから、もうご存じだとは思いますが、私はキロスに帰ることを希望しておりません。留学予定の3年を終えて、学院を卒業することができたら、何か自分の適性に合う職業に就いて、身を立てていきたいのです。10年居住しなければ国籍は取得できませんが、留学期間を終えて永住権を取得させていただけるのならば、その時に王族を離籍したいと考えています」
いつも口の端に笑みを浮かべているルディの表情が、わずかにこわばった。
パメラがカレンドの1国民として生きていきたいその希望を、ソールから聞いていなかったのだろうか。
「ルディ? 担当外交官として、留学生が勝手なことをしたら、困る?」
パメラは心配になって聞いた。
ルディは、カレンドに着いてからずっと、パメラのために心を砕いてくれている。その彼の立場が悪くなるのは本意ではないが、だからと言って帰国する選択肢はない。困らせてしまうだろうか。
「いえ。パメラ様は、そのためにこの国にいらっしゃった。それに、希望を聞いたのはこちらです。パメラ様が思い悩むことは何一つありません」
ルディは、いつもの笑みを戻して、静かに言った。パメラの質問、ルディが困る困らない、は口にしなかった。
そのままルディは言葉を続ける。
「まず、陛下との謁見ですが、陛下はパメラ様の今の状況を正確に把握されておいでです。パメラ様が謁見することに何の問題もございませんが、そうなるとリオン殿下にもご同席いただかないわけにはまいりません」
確かに。それは問題だ。リオンは対外的な所作に問題がある。
「陛下は離宮でのリオン殿下のご様子も把握されております。公的に記録される行事はもう少し後にした方がいいとのご判断ですので、パメラ様も謁見はお気になさることはないかと」
パメラは血の気が引いた。
「リオンは、離宮でも問題行動を?」
「主に女性に対して、ですが。どうしてもカレンドの女性からすると乱暴な物言いに聞こえてしまうようで、世話係が罰ゲームのような持ち回りに」
パメラは頭痛がして額に手を当てた。
「まぁ、今再教育中だそうですし、本人に悪気はないようですから、いずれは」
悪気があるなしは関係がない。世話係の女性に申し訳ない。あとミハイルに申し訳ない。
「お話は、わかりました。謁見は先に延ばしますが、陛下にはくれぐれもよろしくお伝えください」
パメラが硬い顔で言うと、ルディは両手の人差し指を、自分の唇の両端に置いてくい、と持ち上げた。
「あなたが背負うものは何もない。楽しんでください」
笑顔を忘れている、と言われ、パメラは表情を緩めた。
「ありがとう」
ルディはにこりと笑い、さらに続けた。
「あと市場や港については、近い内に参りましょう。私がご案内します」
「本当!?」
何故かソールがわずかに天を仰いで目を閉じているが、問題はないのか。
「警備を薄くしたいので、変装をしましょう。私もお付き合いしますので」
「ルディも変装するの?」
「私もしないと。一緒に歩くのに」
「ふふ、確かにそうね。楽しそう。ありがとうルディ」
パメラが笑うと、ルディも口角を上げた。
「ちなみにパメラ。手に職は考えなくていいからね。思いっきり学生生活楽しんで」
ユリエが言葉を挟んだ。
「どうして?」
返したパメラに、ユリエは小さく首をかしげていたずらっぽく微笑んだ。
「今どこに住んでる?」
「え?」
「もう社員寮にいるんだよ? うちに入るでしょ」
「!」
そんな優遇措置が許されるのか。世界のバラーシュに。
「卒業する時に、あれもやっておけばよかった、これもやっておけばよかった、って言うのナシね。いろんなことして、見て、聞いて、それから考えても遅くないと思うよ」
変わらない笑み。
出会った時と変わらない、ユリエの眩しいほどの笑顔に、パメラも自然と笑みがこぼれた。