63. 【番外編】 王太子の初恋 3/11
転入初日。パメラとリオンは1-Aと書かれた教室に案内された。
リオンの側近ドニは入学していない。リオンが学院内にいる間は別行動となる。
学院において、年齢的にはパメラは2年生、リオンは3年生にあたる。
だが留学期間が3年ということもあり、パメラもリオンも、1年生クラスに編入することになった。
本来は試験で成績上位のものからクラス分けがされているらしいが、2人は無試験で最上級クラスに配置された。
自分の学力がこの学院ではどのくらいに位置するのか、知っておきたい気持ちがパメラにはあったが、最初からそんなわがままを言うわけにもいかない。
ついていけなさそうなら、くいついて頑張るしかない。
同じクラスにはユリエもいる。そのことは心強かった。
自己紹介をした後は、次の共通授業までは休憩時間らしい。教師は教室を出て行った。
共通授業は、その名の通りクラス全員の共通で受ける科目のため、教室移動が不要だという。選択授業では、それぞれが選択した科目の授業を行う場所に移動する。パメラも興味がある科目を選択している。
初めての環境に緊張もするが、初めてばかりだからこそ、心が浮き立つ。
新しいものに触れることは、知らないことを知ろうとするのは、いい刺激になる。
「パメラ。紹介するね。こっちがストラトス伯爵家三女のアルティミシア、こっちがパヴェル辺境伯家七女のレギーナ。学院でいつも私と一緒にいてくれる2人だよ」
教師に誘導された席に座り、教科書や物の位置の確認をしていると、ユリエが2人の少女を連れてパメラの席まで来てくれた。
パメラは反射的に立ち上がった。
「あ、あの。私は」
「自己紹介ならさっきされたわよ? よろしくね、パメラ」
レギーナと紹介された少女が、にこりと笑った。
学院内では、身分差も男女差もないのだという。だから、学生間で敬称も敬語も不要なのだと。
聞いた時は驚いた。
驚いたが、実際にさらりと「よろしくね、パメラ」と言われると、何とも言えず嬉しかった。
「よろしくお願いします」
思わず息が止まるような美しい笑みで言ったのは、アルティミシアと紹介された少女だ。
(人? よね?)
うっかり返す言葉もなく呆けてしまったパメラに、ユリエが苦笑した。
「慣れてね。このクラス、もう一個、魂抜かれる顔あるから」
「ユリエ、言い方」
レギーナも苦笑している。
「そういえばミハイルは?」
きょろ、と辺りを見回したアルティミシアに、ユリエが教室のドアを指さした。
「先生に呼ばれていつもの面子でごっそり出てったよ。教材運びかもね」
「そうですか」
ユリエと会話するアルティミシアは、美しいのは変わらないが、今は少女の顔だった。
これがもう1人? すごい国だ、カレンド。
「あ、あの、よろしく・・・ね」
魂を抜かれたわけではなかったが、言い忘れていた言葉を、パメラは遅ればせながらつぶやいた。
3人に笑顔を向けられ、パメラもつられるように笑った。
「おい、お前。名は?」
アルティミシアの立っているそばまで来たリオンのその声に、ざわついていた教室が、しん、と凍り付いた。
アルティミシアは気分を害する様子もなく、臆することもなく、じっ、とリオンを見つめた。
リオンがその圧にわずかに怯む。
「パメラ。手も足も口も出しちゃだめだよ。おとなしくしてて」
早口でパメラの耳元にささやいたユリエが、するっと音もなくその場を離れて教室を出て行った。
「アルティミシア・ストラトスと申します」
笑顔もなく礼もとってもいなかったが、その姿も声も、美しい。
傍らで見ていたパメラがそう思ったのだから、正面で見ていたリオンはそれ以上だっただろう。
吸い寄せられるようにリオンがアルティミシアに近付いた。
「お前、俺の側妃にしてやろう。キロスで贅沢な暮らしができるぞ」
「学院規則を読んでないの? 学生間で敬称も敬語も不要だけど、礼を失していいとは書かれていないわ。異性がみだりに接触をはかろうとすることも、よしとはされていない」
言って、アルティミシアとリオンの間にすべり込んだのはレギーナだった。
「何だお前」
明らかに苛立った様子で、リオンがレギーナをにらみつける。
「レギーナ」
アルティミシアが小さくレギーナを呼んだが、レギーナは振り返らなかった。
「動くんじゃないわよアルティ。あんたが動いたら、各所各方面が大変なことになるから」
リオンを止めるべきか。パメラは思ったが、ユリエに言われたこともある。
レギーナもアルティミシアに動くなと言った。きっと、パメラの知り得ないここでの『常識』もしくは『やり方』があるのだろう。
おとなしくしているのが、きっと正解。見守ることにした。
「無礼だぞお前!」
リオンが振り上げた手を、レギーナは無駄のない動きで振り払った。
「っ!」
まさかはね返されるとは思わなかったのだろう、リオンがわずかに怯んだ。
「学院内で男女差はない。それは本来優しく接するべき女性に手を挙げていいってことじゃないんだよ。あと人の婚約者に手を出すのは、世界万国共通でマナー違反だ」
低い声が響いた。
少し息を荒くして教室に入ってきたのは、濃い金髪と鋭い碧眼が印象的な、男子生徒。
後からユリエとほかの男子生徒数人も教室に入ってくる。
ユリエは、彼を呼びに行っていたのだと知れた。
これか。
魂を抜かれるもう一個の顔。
パメラは息を呑んだ。
怒気をはらんで凍てつくような視線を向けているその姿は、神々しくさえある。さながら軍神。
「な、何だお前」
リオンが言う間に距離を詰めた男子生徒は、ふとレギーナに向き直った。
「感謝する、パヴェル嬢」
「いーえ」
「怪我は?」
「愚問ですよ。それより、できたらこの件ここでおさめて欲しいんですけど。公爵家やらお兄ちゃんやら動いたら、大変だから」
「ああ・・・そうだね。承知した。頭が冷えた。ありがとう」
「いーえ」
レギーナが口角を上げると、男子生徒もわずかに表情を和らげた。同時に怒気も鎮まる。
「ミハイル・メルクーリ。アルティミシアの婚約者だ。暴言に対するアルティミシアへの謝罪、あと暴行に対するパヴェル嬢への謝罪を求める」
ミハイルと名乗った男子生徒は、リオンに静かにそう言った。
「お、俺は王族だぞ!」
「だから?」
ミハイルは小さく首をかしげた。
「留学するにあたっての契約書の中に、在留中の身分・資格についての承諾書も含まれている。それに署名したからこそ今ここにいるはずなんだが、もしかして、読まずに署名したのか?」
「・・・どういうことだ」
リオンは完全に気圧されていた。
というか、リオンは本当に読んでいないのか。留学に係る書面も、学院規則も。
パメラは呆れを通り越して驚愕していた。強心臓か。
カレンドに留学するにあたり、大陸語を読み書き話せることは必須条件の一つだったが、リオンも王族の一人として、もちろん世界の主要言語である大陸語は修得している。
だから今会話ができているわけだが、会話が通じさえすれば知らない国に行っても平気だとでも思っていたのだろうか。文化も、慣習も、常識も、法律も。規則も。キロスと同じわけがないのに。
違う環境に飛び込んで、キロスで受けていた待遇が、そのままスライドされるとでも思っていたのか。
「留学生は在留中、その母国でいかなる身分・資格を有するに関わらず、カレンドの法律に準拠する。カレンドの法律では、ここ王立学院の規則は、学院内において何よりも優先される。カレンドの法律よりも、だ。つまりリオン・キロス。今学院内にいる留学生のあんたは、学院規則により『ただの1生徒』に過ぎない。王族だろうが貴族だろうが身分差はないんだよ、ここでは。・・・で、謝罪する気はないんだな?」
ミハイルの説明は、とても、とても丁寧なものだった。正直これを聞かされている親族のパメラの方が恥ずかしい。
「・・・?」
リオンが明らかにわかっていない顔をしている。
まさか、大陸語を聞き取りきれていない?
パメラは両手で顔を覆いたくなったが、もう手も足も口も出していいだろう。
パメラは席を立った。
『今この方がおっしゃったのは・・・』
リオンに、キロス語でミハイルがしてくれた説明をそのまま直訳する。
「な、何で俺が謝罪・・・」
リオンの発した言葉に、パメラが2人に、いやミハイルを含めた3人に謝罪したくなった。
「謝罪する気はないようですよ、先生。教育的指導、お願いします」
ミハイルが、教室の戸口のところでぽつんと立っていた教師を振り返って声をかけた。
もう次の授業の開始時間を過ぎていたようだ。
教師の顔には「転入初日から勘弁してほしい」と書いてある。いたたまれない。
リオンは別室に連れていかれ、最初の授業を受けることはできなかった。
教室に来ていたのとは違う教師に『指導』をされ、教室内であってもリオンはアルティミシアの半径1m以内に近付くことを禁じられた。また、次に誰かに正当防衛ではない暴力行為を働いていることが確認された場合は、退学及びキロスに強制送還されることが決まったらしい。
らしい、のは、リオン本人から聞いたわけではないからだ。
身内のやらかした醜聞は、パメラにとって死ぬほど恥ずかしいものだったが、これがあったおかげですぐに周りとなじめて、初日にして大量の情報を得ることができた。
アルティミシアの婚約者が筆頭公爵家嫡男ミハイルだということ。
アルティミシアがソールの実妹だということ。これは本当にびっくりした。そういえば「ストラトス」と言っていた。
レギーナが騎士を目指せるほど強いこと。その背景。学院卒業後の就職先。
ミハイルを筆頭に、メルクーリ家がアルティミシアを好きすぎるということ。
有能なソールが、実はシスコン末期の甘々お兄ちゃんだということ。
ミハイルが、レギーナの言っていたその『各所各方面』に事を広めず、学院内でおさめてくれたこと。
いい出会いがあったと思う。緊張していたけれど、明日からが楽しみで仕方ない。
指導から戻ってきて、周りに遠巻きにされていたリオンを、ミハイルが引き取って面倒をみてくれたのもありがたかった。
リオンはキロスらしい教育を受けたせいであんな感じではあるが、もとは素直な性質の人間だ。
これを機会に、いろんなことを学べばいいと思う。
キロスの王族の男性が変われば、キロスも少しは変われるかもしれない。