61. 【番外編】 王太子の初恋 1/11
番外編2つ目、ルドヴィーク・パメラ編になります
たぶん8話、か9話です。途中分母が変わってたら申し訳ありません・・
↑ 申し訳ありません、やっぱり分母増えました
毎日どこかしらで更新できればいいなと考えています
甲板の上、パメラは船員の到着のアナウンスに口角を上げた。
しっとりと湿気を含んだ空気は涼やかで、そよ吹く風は肌に心地がいい。
明るいが強くない陽射しは、ここがキロスではないのだということを、改めて実感させてくれる。
またこの地に来ることができるとは、以前不法入国をした時には思えなかった。
パメラは伸びをして、大きく息を吸った。
自由だ。
「おいお前、キロスの王女としてはしたない振る舞いをするんじゃない」
これさえなければ。
パメラは上げた腕をぱたりと落として、顔は向けずに横目で傍らに立つ1つ上の異母兄を見た。
「公の場でもないのに、女性が伸びをしたところで顔をしかめるような方はこの国にはいらっしゃいません」
キロスの第二王子リオンに、冷めた口調で告げる。
その言い方はなんだとぎゃいぎゃい騒ぎ出したその雑音はこの気持ちいい潮風に流して、パメラは船が着港するのを待った。
パメラは数年前、キロスの王城で、テオドル・バラーシュ、『世界のバラーシュ』と言われる商会の会長に出会い、衝撃を受けた。
最初に会った時、彼は跡継ぎだと言って、まだ幼さの残る可愛らしい娘を連れていた。
パメラとさほど歳の変わらないように見える娘、ユリエは笑顔の眩しい少女だった。
こんな可愛らしい女の子が、世界に名を轟かせる商会の跡継ぎ?
キロスでは考えられない話だった。
娘に興味を抱いたらしいパメラのことを、テオドルは、パメラが一国の王女だというにも関わらず「娘の友達」として接してくれた。
それは、王女としてではなく、キロスでいう「女の扱い」でもなく、「1人の女の子」として。
テオドルが国の産業を左右するレベルでの影響力を持っていたことから、国の重鎮たちは彼のパメラに接する態度を諫めるようなことはしなかった。いや、できなかった。
パメラは閉鎖されたキロスにいながらにして、テオドルの影響を大きく受けた。
『君の可能性は君自身の意志によって開かれる。努力をしなさい。そうすれば、私が君に世界を見せてあげよう』
まだ幼かったパメラにそう言ったテオドルは、数年後、約束を守ってくれた。
大陸語と主要数か国の経済、常識、マナーについて学んだパメラを、国の重鎮が渋るのを押し切って、国外へと連れ出してくれた。
世界は広く、大きく、あまりにもキロスとは違っていて、何もかもが新しい。
パメラはそこでは「一国の王女」ではなく、不法入国者ではあったが「1人の人間」だった。
バラーシュ本店があるカレンド国では、バラーシュ家に滞在させてもらった。
男も女も、年齢も国籍すらも関係なく働く従業員たちに、憧れを覚えた。
その外遊は、夢のような時間だった。
キロスに帰り、日常が戻ってくると、それが逆に非日常に思えて、燻るような時間を過ごしていた。
テオドルは本格的に国と織物の取引についての交渉を始めていて、キロスに滞在はしているものの、会うこと自体もほとんどなくなった。
キロスの貴族との婚姻を求められているパメラは、テオドルから半ば引き離されたと言っていい。
キロスで暮らすのに、世界の目は必要がない。むしろ早く忘れろと言わんばかりだった。
そこに、ユリエから書簡が届いた。
ユリエとは、初めて会った時から気が合って、会えない時でも手紙での交流を続けていたため、国の検閲なく通される。
パメラが外遊時、バラーシュ家に立ち寄った際に、カレンドの貴族が通うという学院に通学するため王都にいたユリエが帰省して久々に会うことがかなったが、それ以来の通信だった。
それから間を置かずして、カレンドから外交官がやってきた。
国交のないカレンドとキロスで、商業取引を開始しようとしているテオドルに、国が介入するのだという。国交開始を見据えた判断だ。
世界のバラーシュとの取引というのにも浮足立っていた国の重鎮は、さらにカレンドがからんでくるとなって、さらに浮足立った。
でもパメラは冷静だった。
ユリエの書簡には、ソール・ストラトスという伯爵家嫡男から求婚を受けたが、父が会おうともしてくれなくて困っているのだ、と書かれていた。
あと、そのソール・ストラトスが仕事を兼ねて父に会いに行くから、パメラの目に適うと判断したら、どうか応援をしてほしい、とも。
カレンドから来た外交官の名は、ソール・ストラトス。
ユリエは自分の、しかもまだ決まってもいないコイバナをわざわざ書簡にして送ってくるような人物ではない。
万が一検閲されても大丈夫なように、かわいらしい恋愛のお願い事のような書簡になっているが、これは、テオドルとソールに連絡を取れ、という示唆だ。
テオドルにも、ユリエから定期連絡の書簡は届いていたらしい。
パメラ国外脱出のシナリオは、その時からもう動き出していた。
「感謝してるわ、ソール。まさか本当にテオドルのお許しをもらいに来てたとは、さすがに思わなかったけど」
パメラは隣に控え、護衛を兼ねてパメラと同じく着港待ちをしているソールにいたずらっぽく笑って見せた。
「何をおっしゃいますか。私は外交官としてキロスに赴いたのですよ」
穏やかな笑みで澄まして言ったソールは、その後船内の人間に見えないようにカレンドの港町の方を向いて、ぼそりとつぶやいた。
「私も感謝しておりますよ、パメラ様。あなたの助力なしにはテオドル様のお心は動かせませんでした」
「そんなことはないわ。あなたは全部自分で勝ち取ったのよ。有利な国交も、婚約のお許しも、ついでに私の自由も」
ソールと同じように小声でささやくパメラに、ソールは苦笑した。
「今回の真の目的をついでなどと、滅相もない」
どうかしらね、と冗談めかして笑いながら、パメラは背後からの視線を感じてわずかに表情をあらためた。
少し距離を置いた先から監視するように自分を見ているのは、異母兄リオンとその側近ドニ。
これだけが想定外。
本当にパメラが自由になれるのかという点において、唯一の不安要素だった。
定期連絡と称して、書簡の中に差し込まれたユリエの提案に賛同したテオドルは、来訪したソールと結託してシナリオ通りに事を進めた。
キロス語にも堪能で、頭の固い重鎮たちにも気が付いたら首を縦に振らせるソールの外交手腕は、パメラは他の外交を見たことはないが、本物だと思った。
こちらの常識、考え方を熟知した上で、プライドをぎりぎり損ねない線で譲歩を迫るそのやり方は、内にこもって外を見たくないキロスの人間には真似のできない芸当だろう。
その流れのまま、テオドルはバラーシュ商会との商談の場において、パメラを指名し交渉に立たせて、打ち合わせの通りに価格交渉を行った。
打ち合わせと言っても、決定価格はこのライン、という指示ただ一つ。交渉自体はその場の空気を読んで、テオドルと議論を交わした。シナリオを作ってしまったら、どうしても芝居がかってしまうからだ。
周りははらはらしていたようだが、パメラは楽しかった。テオドルが芝居ではなく、ちゃんとパメラの言い分を聞いて、なおかつ足を引っ張ってくるのが小気味よかった。
この交渉は、出来レース。何しろ最初から決定価格を互いに認識した上でやっている。
それがわかっていても、おざなりにされなかったことが嬉しかった。
計画通り、バラーシュ商会に最初に提示された、買いたたかれていた織物の価格は適正価格まで引き上げられて、まとまった。
国交開始に伴い、関税率もお祝い価格にしてもらえる厚遇に、国の重鎮は安堵した。
それと同時に、カレンドに気に入られ、すっかり窓口と化したパメラの存在を、目障りに感じ始めた。
『パメラ王女は能力が高い。後学のためにもこちらに留学してきてはどうか』
ご機嫌で提案するバラーシュ会長に、かぶさるように、それは国交を深めるためにもいいですね、と乗り気で後押しをする外交官。
国の重鎮も、父である国王でさえも、渡りに船、とパメラを差し出すことを了承した。
留学生とその保護責任者には、みなこれに署名をいただいているのですよ、とソールが差し出した留学についての契約書面には、『留学者本人が希望し、なおかつ留学国が認める限りにおいて、永住権を取得可能とする。居住10年をもって国籍を取得可能とする』とあった。
それは、パメラがもう帰国しないかもしれない可能性を示唆する文言。
それでも父王は、署名した。
パメラは初めて父王に感謝した。事実上の厄介払いかもしれなかった。けれど。
手に足に、からみついていた透明な鎖が断ち切られたような解放感があった。
すべてがうまくいった。
安心して、気を抜いてしまったのがいけなかったのかもしれない。
『外を知るいい機会だ。リオン、お前も行ってくるといい』
父王は会談の最後、緩み始めた空気の中、何かのついでのようにそう言った。
この流れで、いえ留学はパメラだけ、と言うことは、さすがに誰もできなかった。
バラーシュ会長と外遊した時は大陸を渡り歩いたが、今回はカレンドまでの直行ルートなので、海路だった。
侍女は連れてこなかった。自分が帰国するつもりがないからだ。
それに、テオドルとの外遊で、王女としてではなく、普通に生活するために必要な生活習慣は身に着けている。
側近は、キロスでは王女であっても政治に関わることがないため、最初からいない。
仕事を終えたソールと、テオドルは来なかったが、カレンドに帰る数名のバラーシュ商会のスタッフが、護衛としてパメラについて、同じ船に乗ってくれた。
快適になるはずだった初めての船旅に、異母兄リオンとその側近ドニは、こぶのようについてきて、何かあるたびに小姑のようにパメラに文句をつけた。
ソールが何とかする、と言ってくれてはいるが、留学の予定年数は3年。
帰らないつもりのパメラには関係ないが、彼らはあと3年経たないと帰らないということだ。
ドニはともかくリオンは同じ学院に通う以上、無関係であることは不可能だ。
鎖ははずしてもらった。いつまでも守られているばかりではいけない。
着港し、かけられた橋桁に、パメラは一歩踏み出した。