51. それぞれの恋活 ①
やっぱり父が来なくて正解だった。
王宮内。レギーナは、通された広い部屋にいる面々を見渡しながらそう思った。
立太子の儀は何事もなく無事終わり、対外的にもルドヴィークが王太子になったことが公表された。
この後開催される夜会までのこの隙間時間に呼ばれた面子は、なかなかの粒ぞろい。
呼んだ本人ルドヴィークはまだ来ていないが、実姉であるマグダレーナ、ミハイル、アルティミシア、ソール、ユリエ、そこにエレンとレギーナ。夜会の前とあって、全員が盛装だ。
こんなところに父が呼ばれたら、「辺境伯として威厳を見せなきゃ感」と緊張と場違い感で使いものにならなかっただろう。場違いと言えばレギーナも場違いだが、エレンがいてくれることで平静を保てている。
面倒だとしか思っていなかったこの会合だったが、ミハイルのありがたい申し出のおかげでレギーナは今日が楽しみで仕方がなかった。
エレンに、またエスコートしてもらえる日が来るとは思っていなかった。
エレンとはデビュタントの時に初めて会った。カイルのかわりにエスコートしてもらい、ファーストダンスを踊ってもらった。
エレンにしてみたらミハイルに命じられて仕方なくだったのだろうが、ダンスも上手くて、くだけたしゃべり方も柔軟にしてくれて、楽しかった。馬が合う、というのだろうか。初対面と思えないくらい、気負いなく過ごせた。レギーナは普段から感情をあまり表情に出さないようにしているので周りはそんな風には思っていないだろうが、これがデビュタントでよかったと思う程度には、楽しかった。
体調を崩して王都に対するトラウマまで背負わせてしまった従兄のカイルには申し訳ないが、正直カイルに感謝している。
だがエレンはメルクーリ家の嫡男の側近。アルティミシアと会う時にうまくいけば見かけるくらいがせいぜいで、もう接点などないだろう。そう思っていた。
するとパヴェル家に帰省中に、意識不明のミハイルを背負って、同じく意識不明のアルティミシアを抱きかかえたダリルと一緒にエレンが血まみれの状態でやってきた。
パニック状態を通り越して逆に冷静になったレギーナの対応を、エレンは後で「かっこよかった」とほめてくれた。でも実際のところはその後も、大森林で何が起こったのか、ミハイルとアルティミシアが意識不明に陥った理由、エレンが血まみれなのに無傷な理由を聞かされ、もうレギーナの頭はいっぱいいっぱいだった。無言で無心でやるべきことをやるしか選択肢がなかったのが正しい。固まって考え事をする暇はなかったのだ。
ミハイルの意識が戻り、アルティミシアの意識が戻ると、レギーナもやっと考える余裕ができた。
がむしゃらに動き続けていた間、さりげなくフォローをしてくれたのはエレンだった。
わかっている。決してレギーナのためではないことは。
ミハイルのため、その婚約者であるアルティミシアのために、動いているレギーナをフォローしただけだ。わかっている。大丈夫。
アルティミシアの意識が戻り、パヴェル領から王都に帰る旅に同行させてもらった時は、休憩の時などにエレンやダリルと手合わせをさせてもらうことはできたが、レギーナがアルティミシアの護衛を任せてもらえることはなかった。
エレンもダリルも、もう話にならないくらい強かった。大人と子供のお遊びのようなものだった。
エレンにとっては、レギーナは「お嬢さんのお友達」であり、護衛対象でしかなかった。同じ目線には立てないのだと突き付けられている気がして、悔しかった。
いろんな意味で、手が届かない。
実力差があることも、異性としてすら見てもらっていないことも、エレンがウィーバー家の嫡子であることも。
諦めた方がいい、今ならまだ間に合うかもしれない。そう言い聞かせていたところに、ミハイルの魔王の誘惑がここに来てやってきた。本人を目の前にしてしまうと、どうやっても決心は揺らぐ。
(今日もかっこいい)
デビュタントの時のカイルでなければならないのか、前回と同じく微妙にカイルの髪色に寄せたかつらをかぶってはいるが、服は借りて着たものではなく、ちゃんとあつらえた自分のものだ、すっきりとしていて、とても似合っている。
「あれ、パヴェル嬢」
エレンに声をかけられて、レギーナは我に返った。
「は、はい?」
「ここ、訓練で?」
エレンは自分の頬を指さした。レギーナは気まずさに苦笑しながらうなずいた。
レギーナの頬の同じ場所に、薄いがわりと長めのかすり傷がついている。
「勲章だね」
エレンが屈託なく笑う。本当にそう思っていることがわかる笑顔だ。
学院はまだ長期休暇中だが、騎士科の自主訓練に昨日行って、うっかり頬にかすり傷を作ってしまったのだ。化粧でうまくごまかせたと思っていたのに、見破られてしまった。
それだけ今距離が近いのだとも気が付いて、少し顔が熱くなる。
「エレン、ちょっと借りるよ。シア、ついてきてくれる?」
斜め前で座っていたミハイルが立ち上がった。アルティミシアを伴ってレギーナの方へ歩いてくる。
「レギーナ、ちょっとこちらへ」
アルティミシアが小さくレギーナに呼びかけた。
アルティミシアに手を取られて、レギーナは部屋の外に移動した。
ドアのすぐ外に護衛はいたが、廊下を曲がってすぐの所には誰もいない。
「すぐ終わる」
ミハイルが左手にメイスを出した。ぼうっと緑色に光る。
ちり、と糸が頬に触れたような感覚と、あたたかい心地にレギーナは目を閉じた。
ミハイルはメイスをしまった。
「治りました。レギーナ、お化粧直ししてきましょう。傷があった場所、少しよれているので」
目を開くと、アルティミシアが微笑んでいる。エレンとレギーナのやりとりを見ていた二人が、レギーナの傷を治してくれたのだとわかった。
「ミハイル様、傷を」
レギーナが言い終わらないうちに、ミハイルはうん、とうなずいた。
「このぐらいは全然消費しないから、気にしなくていい。普段だとたゆまぬ努力の勲章だけど、今日は夜会だからね。ちょっとおせっかい」
「ありがとうございます」
その気遣いが、嬉しい。レギーナは小さく礼をとった。
「応援するよ、見てるだけしかできないけど」
ミハイルが、レギーナが顔を上げる瞬間にぼそりとつぶやいた。
(えっ)
レギーナはミハイルを見たが、こちらを向いてはいなかった。俺何か言いましたっけ? の雰囲気だ。
アルティミシアを見ると、うんうんと小さく小刻みにうなずいている。
これは・・・・ばれている?
「わかりやす・・・かったですか」
だだ洩れだったのだろうか。あの場所で。あの面子で。
普段から表情には出さないようにしているはずなのに。
恥ずかしい。ちょっと部屋に戻りにくい。
「いや、どうかな。他はソファで席も離れてるしね。ああでも、マグダレーナ様は気付いたかも。パヴェル嬢のことがん見してたから」
「が、がん見?」
悪意が感じられなかったせいか、浮かれてしまっていたのか、不覚にも視線に気付けなかった。
マグダレーナとは今日が初対面で、先ほど挨拶を交わしたばかりだ。そんなに挙動不審に映っただろうか。
不安になったところに、アルティミシアがふるふると首を振った。
「たぶん次のお人形に指名されると思います。かわいいなーのがん見なので、大丈夫です」
「お人形?」
響きが怖い。「次のお人形」。何それこわい。
「あいつにはいろいろ難しい事情があるけど、俺はパヴェル嬢を推す」
「私も」
いや何の話。エレンか? 動揺が激しくて情報が正しく頭に入ってきていない気がする。
「難しい、事情」
繰り返すレギーナに、ミハイルはいたずらっぽい笑顔で人差し指を唇にあてた。
「見てるだけしかできないとは言ったけど、一つだけね。あいつは職業柄、恋愛にはものすごく慎重だ。知ってるよね? パヴェル嬢は、あいつの本職」
ミハイルは、エレンの裏稼業のことを聞いている。レギーナはうなずいた。
「ええ、もちろん」
「それを知ってて願ってくれるっていうのが一番大事。あいつから誰かを求めることはたぶんない。あいつは、優しいから。その上で、攻略法を考えてほしい」
「・・・はい。ありがとうございます」
ウィーバー家はその道で有名な家門だ。生まれた子供はまず間違いなく家業を継ぐ。エレンは一人っ子だという。親戚がどのくらいいるのかは知らないが、エレンの妻になる人にウィーバー家直系の存続がかかっている。エレンが、それを背負わせることに慎重になっても不思議ではない。
エレンは、自分が大切に思うものをとても大切にする人だと、レギーナは知っている。
要するに、落としてもらうのではなく、自分から落としに行け、と。むしろ落として見せろと。
そう、ミハイルに言われた気がした。
「王弟殿下がお部屋に入られたようです。戻りましょう。レギーナ、ちょっとだけじっとしてください」
アルティミシアがハンカチを取り出した。
レギーナの頬の傷があった場所を優しくぽんぽん、とハンカチで散らす。傷を隠すために化粧が濃くなっていたところをなじませてくれたのだろう。
「すみませんミハイル。殿方の目の前で」
眉を下げて言うアルティミシアに、ミハイルは気にしないよ、と笑った。
「ありがとうミハイル様、アルティ」
レギーナが言うと、二人の笑顔が返される。
いつかこんな風に、気遣いあって笑い合える関係に、エレンとなれたらいい。そう思う。
けれどエレンは難攻不落。
レギーナは長期戦を決意した。