44. 謁見 ②
「止まれ」
青年の、王族に対する暴言を誰も咎めようとはせず、王太子は言われるままに足をぴたりと止めた。
今この場を支配しているのは、この青年。
アルティミシアの予想が、おそらく当たってしまった。
国王を傀儡にしたのはバルボラではない。最初はバルボラだったのだろうが、今は国王も、王太子も、近衛も、この青年の手の中にいる。
この青年が、術者だ。
青年はアルティミシアを見て、優しく微笑んだ。
「こんなに美しい人が世界に存在するとはね。驚いた」
静かに話しているのに、妙に耳に障る。肌の内側をなでられたような妙な心地がして、ざわりとする。
アルティミシアはゆっくり息を吸って呼吸を整えた。
「あなたは、シャンツの」
青年は口角を上げてうなずいた。
「シャンツの第二王子、メトジェイ。あなたを、いえ聖女を探していた。もう少しちゃんと働いてくれるかと思ったけど、この国の王族は使えないね」
「私は聖女ではありません」
アルティミシアの否定に、メトジェイはゆるりと笑んだ。
「聖女でないのなら、なお好都合。あなたが聖女であれば兄上に差し出さなければならないが、聖女でないのなら、その必要はなくなる。私のもとに来ればいい」
「シャンツには行きません」
即答したが、メトジェイは意に介さないようだった。独り言のようにつぶやく。
「連れて帰るにしても確かめなければ。できれば、兄上には渡したくないな」
メトジェイは優雅な足取りで玉座のある段から一段降りた。
「私には婚約者がいます」
メトジェイは、アルティミシアの意思など必要としていない。けれど、反応はしてくれたようだった。
軽く首をかしげる。
「婚約誓約書はない、と彼は言っていたようだけど」
ぼんやりと立ち尽くす王太子に、メトジェイはちらりと視線を移す。
「それに、それはカレンドでの法律。もしそれがあったとして、シャンツには関係がない」
一段、足音もなくまた降りる。
この空間にはこんなに人がいるのに、二人きりのような感覚。
メトジェイがアルティミシアに何をしようとしているのかは、わかっている。
アルティミシアに術をかけて、聖女判定をしようとしている。
エレンから聞いた。『幻術』は、術者より意志が強い者か、女神の加護を受けた者には効かないのだと。
大丈夫。たぶん自分には効かないはず。
術を弾けば聖女判定になるかもしれないが、聖女でないとしてもシャンツに連れて帰ろうとしているのだから、もう自分が術にさえかからなければ、判定などどちらでもいい。
(もう少し、あと少し時間を稼げば)
メトジェイが近づいてくる。
あともう腕を伸ばせば届いてしまうような距離になった時、アルティミシアの体がふわりと温かい空気に包み込まれた。この感覚は、『記憶に』あった。
(これは)
ぱしん!
アルティミシアの手を取ろうとしたメトジェイの手が、触れることなく火花が散る勢いで弾かれた。
驚いたように自分の手を見たメトジェイは、痛がる様子もなく苦笑した。
「残念だな。兄上に渡すのが惜しくなってしまった。王位簒奪も気が進まないし、どうしたものか」
メトジェイは、アルティミシアを聖女判定したらしい。だが、これは違う。
「シャンツで聖女がどういう扱いなのかは存じませんが、私は聖女ではありません」
アルティミシアの固い声に、メトジェイは駄々をこねる幼子を見るような、困ったような笑みをした。
メトジェイの手を弾いたのは、アルティミシアの女神の加護ではない。ミハイルがかけた防御魔法だ。
まさか姿も見えないような遠距離からかけてくるとは思わなかったが、ミハイルが守ってくれている、そう思えるだけで、少しだけ心が落ち着いた。
「聖女ヘレナは魔族を滅ぼし、国に繁栄をもたらした。後、シャンツの初代国王の后となった。以来、聖女が現れたらシャンツの王または王太子と婚姻することが定められている」
メトジェイは諭すように話した。物わかりの悪い子供を、諭すように。
聖女ヘレナとは、おそらくベラの転生者のことだろう。
歴史の授業では、王族同士の争いの末に国が分断された、ということしかなぞらない。それはここがカレンドだからか。
この国は聖女に関して、王族だけに秘した、あいまいな聖女の伝承しか持っていない。何か後世に残したくない事情があったのかもしれない。シャンツ側の歴史を紐解けば、何かわかるのかもしれないが。
アルティミシアの2番目の姉シルフィーヌが飛びつきそうな話題だが、アルティミシアに読み取れる情報は少ない。
「聖女ヘレナの後、シャンツに聖女は現れたのでしょうか」
アルティミシアの問いに、メトジェイはあいまいに首を振った。
「現れたとも、現れなかったとも言える。シャンツとカレンドでは、聖女の認識が違うようだ。シャンツで言う聖女は、強い術者、または術をはね返す者のことを言う。そういう意味での『聖女』は現れて、シャンツ王家の者と婚姻している。シャンツでは『奇跡の力』よりも、『女神の加護を持つ者』としての象徴が、民にとっては重視されるからね」
「では聖痕の有無は」
「王家と婚姻を結んだ『聖女』に関しては、もちろん確認を行っているよ。でも聖痕が確認されたことはない。もし本当にあなたに聖痕があるのだとすれば、初代聖女ヘレナ以来、初めての『聖痕を持つ聖女』ということになる」
シャンツでは、強い術者が聖女。聖女は王族と婚姻を結ぶ。
アルティミシアには違和感があった。
初代聖女ヘレナはベラの転生者のはずだ。彼女は魔族を滅ぼした。世界に魔力が失われることはわかっていたはずだ。
もう魔法による繁栄を望めないことは、誰より彼女が知っていた。望んでいたのは、おそらくヘレナの死後、残された者たち。
聖女が王族と婚姻を結ぶよう法を制定したのはおそらく、ヘレナではない。
アルティミシアは術者ではない。『幻術』など使えないし、聖剣を出してできることは、自分の身体能力を上げることだけだ。
「本当に、私は聖女などではないのです」
繰り返すアルティミシアに、メトジェイはまぶしいものを見るように目を細めて、残念そうに笑う。
「そうだったらよかったのに。そうしたら」
メトジェイが片手を挙げるように振ると、近衛が無言のままアルティミシアに向かって歩き出した。
「こんな風に乱暴に扱うこともなく、兄上にとられることもなく、手に入れることができたのに」
根本的にかみ合わない。そうアルティミシアは感じた。
術で手に入れた心など、その人の心ではない。
術をかけ続けることは不可能だ。必ず綻びが生じる。
こんな術が使えたがために、歪んでしまったのではないのか。ヘレナは、ベラの転生者は、本当にこの術を『繁栄』の一環として後世に伝えたのか。
「傷一つ付けるな」
メトジェイが命じる。近衛が近づいてくる。敏捷さはない。操り人形だから。
術が効かないから力尽くで、ということだろうか。
(聖剣、出す?)
それは非常事態の時のみで、できれば出さずに事を収めたい、と家族会議では言っていた。
今はまだミハイルの防御魔法も効いている。でもミハイルがこの光景を見ているのだとしたら、また防御魔法をかけかねない。体内魔力をまた消費することになる。
もし捕縛されたとしても即座にみんなが救出してくれるだろうという確信はあるが、それではアルティミシアの任務は完遂できないし、何よりそれまでミハイルが待てないだろう。
(まだですか)
アルティミシアは、時間を稼ぐためにここにいる。それが、今日のアルティミシアの任務。
聖女と信じて疑わないメトジェイに、今さら聖剣を見られたところで、という気もするが。
この場だけでも、とりあえずしのぐか。
聖剣を出そうとするその一呼吸前に、その時が来た。