40. メルクーリ家本邸帰還
結局、アルティミシアが帰って来たのは、アルティミシアが王都を出てから3週間後のことだった。
すっかり忘れていたが、学院の騎士科が行っていた野営訓練はもちろん中止になり、幸い重傷の者もなく、生徒たちは教師の先導で王都に帰っていったらしい。
ミハイルも生徒の一人だが、意識不明の状態だったことや、事件の当事者ということもあり、ルドヴィークとパヴェル家に残ることになっていたのだ。
騎士科内で妙な憶測が飛んでいないといいが、と思う。
ルドヴィークとソールは、アルティミシアが目が覚めた日の晩に王都に向かったらしい。逮捕者を全員輸送手配して、今度は事後処理に明け暮れるのだろう。ルドヴィークが直接絡む以上、捜査指揮はルドヴィークが担うことになるはずだ。
メルクーリ家の騎士隊は、マヌエルの指示でパヴェル領には向かわなかったらしい。ルドヴィークとソールが近衛と共にパヴェル領に向かっていることを、知っていたのかもしれない。
事件後どのように動いているのかは、アルティミシアは詳しく聞けていない。
王宮が逮捕者だらけで牢がいっぱいで困っている、だとか、逮捕者全員がシャンツの兵士ではなかったが、全員が兵服を着ていたことから、カレンド側の人間がどこまで関与しているのかが問題になっている、だとか、少なくともシャンツの兵の逮捕者がいることから、国家間交渉の準備が始まっている、だとか。
それらはすべて外から見える話で、エレンからもたらされる情報であり、上部でどのような話になっているのかは、パヴェル領から王都へ移動していたこともあり、アルティミシアにはわからない。
行きと違って、帰りは快適な旅だった。スピード重視でなかったこともあり、野宿をすることはなく、というより野宿をミハイルが許すはずもなく、すべて宿で眠ることができた。
帰りの面子もよかった。ミハイル、エレン、ダリルに、ついでにとレギーナも付いてきた。
道中、ダリルと2人で庶民の兄弟に偽装して移動した時とは違い、それなりの身なりで大人数で移動したせいか、何度か強盗の類に出くわしたが、アルティミシア以外が戦力なため、すべてきれいに捕縛して近郊の街の警備隊に突き出した。
宿の部屋は女子部屋で1つにしてもらい、レギーナは「物音一つで目が覚めるから、護衛はいらないわよ」と言ってくれたが、ダリルとエレンが交代で護衛を務めてくれていたようだ。
レギーナと、ベッドに入ったままうとうとするまで話ができたのも楽しかった。王都に帰ったら、ユリエも呼んでお泊り会をすることを約束した。
陽が中天に射しかかる頃、王都に入ると、メルクーリ家の紋章は入っていないが公爵家手持ちの、迎えの小さな馬車が待っていた。2台来ていて、1台はレギーナ用、1台はミハイルとアルティミシア用。
3人の乗っていた馬は御者の隣に乗っていたメルクーリ家の騎士隊の騎士が乗って帰ってくれた。
レギーナとはそこで別れ、それぞれが家路に就く。
『帰る』家がメルクーリ家本邸だというのも何か感慨深い感じもするが、ディスピナやサリアに見送られたことを考えると、やはりここでは帰る場所はメルクーリ邸なのだと思う。そう思えることが、少しくすぐったい。
アルティミシアが馬車に乗った時点で先触れがいっていたのだろう、メルクーリ家本邸に着くと、侍従やサリアを後ろに控えさせて、やはりディスピナと家令が最前面で立って迎えてくれた。
あの時は晩だったが、デビュタントの時と同じ光景だ。
みんな無事で帰って来ることができてよかった。ディスピナもミハイルの無事な姿を見て安心しただろう。嬉しさに笑みが浮かぶ。
ディスピナが一歩前に出た。ミハイルを抱きしめるのだろうと思ってしみじみと喜びをかみしめていたら、ぎゅう、と抱きしめられたのはアルティミシアだった。
「!?」
思わず隣のミハイルを見たが、「まあそうだろうね」という苦笑いをして肩をすくめた。
驚いたが、ほわりと温かいものがこみ上げる。
「ただいま戻りました、ディスピナ様」
間近にある頭に小さく声をかけると、うなずきが返された。
「よく無事で。みんな無事で」
少しだけ声が潤んでいる。
帰還の報告ができたことが、アルティミシアは嬉しかった。
ダリルの帰還とともにサリアも1週間の休みをとらせる、とミハイルから聞いていた。
が、なぜか今サリアはアルティミシアの世話をしていた。
「あの、サリアさん」
「湯浴みでお疲れではありませんか? それとも何か軽くつまめるものをお持ちしましょうか」
きりっとぱりっとさくさく働くサリアに、アルティミシアは何度目かの説得を試みている。
荷物はさほど量はなかったが荷ほどきを行い、湯浴みをしてさっぱりし、楽な服装に着替え、今お茶をいただいているところだ。お腹がすいていないかと聞かれたらまあまあすいているが、そういうことではない。
主が長旅から帰って来たところに長期休暇などあり得ない、とサリアは休みを宙の彼方に蹴り飛ばした。
ダリルがかわいそう過ぎる。これはアルティミシアが何とかしなければならない案件だ。
休んでください、はもう通じない。それなら。
「あのねサリアさん。ダリルさん、すごい強かったんです」
「存じております」
「一人も死なせることなく、何十人も相手をして私を完璧に守ってくれました」
「仕事ですので」
ダリルの「仕事ですから~」という声が耳の中で木霊する。
(だめ、流されないで私)
アルティミシアは自分を鼓舞した。
「野宿の時も」
「野宿をなさったんですか? お嬢様が?」
サリアの声が鋭くなる。
しまった。これは悪手だった。
「仕方なくです。渋るダリルさんを説き伏せて、私が強行したんです。いえそうではなくて。その時も、ずっと火を絶やさず護衛を」
「仕事ですので」
(ど、どうしたら)
アルティミシアは言葉を探した。
「す、すごく頑張ったダリルさんに、私はご褒美を差し上げたいんです」
「商人を呼びましょうか?」
泣きたい。頑張れ私。
「いえその、物ではなく。ダリルさんには、その、サリアさんとゆっくり」
その時、ノックが鳴った。
サリアが少々失礼いたします、と言いおいてドアの方に向かう。
タイミングが悪い。なぜ今。
しょんぼりした気持ちでドアの方を見ると、サリアと話しているのはミハイル、と、その隣に見えるかすかな人影は。
「ダリルさん?」
アルティミシアは走ってドアに駆け寄った。
違う騎士かとも思ったが、近づけば、やはりまごうことなくダリルだ。
「はい~?」
なじみになじんだ返答に、アルティミシアは脱力した。なぜここにいる。
仕事中毒か。ここの人間はみんな仕事中毒なのか。
「シア、ちょうどよかったよ。今いい?」
ミハイルにかけられた声に、アルティミシアはうなずく。
「大丈夫ですが、その前に」
「うん?」
「どうしてこの二人がここにいるんですか」
ミハイルは苦笑した。
「休暇とってって言ったら却下されちゃって」
「却下?」
頑張って上司。
「そのかわり、とりあえず明日と、先6回の休みは二人同じ日にとってもらうことで合意したから」
ミハイルがきれいな笑みで言い切った。
「合意」
本当に? とアルティミシアがダリルとサリアに目を向けると、う、うん、というぎこちないうなずきが双方からかえってきた。二人とも若干目が泳いでいる。特にダリル。
これは、今ミハイルがねじこんだやつだ。断れない状況にして、承諾させた。
(見習わないといけませんね)
正攻法だけでは駄目な時もあるのだ。アルティミシアは学習した。
「そうでしたか。ならいいんです。すみませんミハイル、お話なんでした?」
アルティミシアもにっこりと笑った。少しだけ混じる黒さに、ミハイルが少しだけひいている。
「うん、帰って来たばっかりでごめん。陛下から招集が来てたらしい。父上は体調不良を理由に断り続けてたみたいなんだけど」
アルティミシアは固まった。さらっと言ったが、それは。
「陛下が、私に、ですか?」
「うん」
「いつからですか?」
「1週間前」
「それって」
「うん、聖女うんぬん、だろうね」
王都からパヴェル領まで馬で一週間ほどの距離。頃合い的にはミハイル襲撃事件の第一報が王都に着いてすぐあたりのタイミング。王はいつアルティミシアに聖痕があるという情報を手に入れて、事件とからめようとしているのか。用件は。
「事件の事後処理の進捗状況はどうなっていますか」
ミハイルはうなずいた。
「その辺も含めて、今晩家族会議を開くから、疲れてるところ申し訳ないけど、出てくれる?」
アルティミシアはこくこくとうなずいた。
「もちろんです。むしろ私のせいで、皆様にご迷惑を」
「せいとか言うのは禁止ね。シアのせいじゃなくあいつがすべて悪いから」
「は、はい・・・」
一応王太子なのだが。だが王太子という身分で、マリクは逆恨みの私怨で国民を弑そうとした。
自分でも薄情だと思ったが、アルティミシアはそれに関連して、やっと今思い出した。そういえば、帰ってからシメオンに会っていない。公爵とも会っていないが、それは公爵が仕事で王宮にいるからだ。
「あの、家族会議ってシメオン様も」
「出ない。出さない。情報漏洩の危険がある」
「・・・今、どちらに」
「蟄居中だよ」
短い返答に、それ以上は聞いてはいけない気がして、アルティミシアは小さくうなずきだけを返した。これは家族間の問題だ。
ミハイルを見殺しにしようとしたことは事実だが、シメオンが何に加担したわけでもない。
今回のことで、シメオンが公に罪に問われることはない。
王太子とつながっていたのなら、他で何らかの加担はしていたのかもしれないが。
情報漏洩の危険がある、というのはそういうことだ。
シメオンがミハイルにしようとしたことをアルティミシアは許せない。ミハイルがシメオンにどういう処分を望んでいるかもわからない。でも、なるべく関わるすべての人が、シメオンも含めて、傷つかなければいいと思う。そんな虫のいい話は、ないとわかってはいても。