36. アトラス
「俺から聞いてもいいかな?」
ミハイルの問いに、アルティミシアはうなずいた。
もともと、ディスピナ達の前で聖剣を出した時から、ミハイルには話さなければならないと思っていた。ミハイルにイオエルの記憶があるなら、もう隠すことなど何もない。
「アトラスは、イオエルよりも先に亡くなりました。イオエルがその後、すぐに亡くなっていたことを知りませんでした。だから死後、女神に喚ばれた時に、『願いをかなえてくれたあなたの願いをかなえましょう』と言われて最初に願ったのは、生き残ったと思っていたイオエルの、この先の人生の幸福でした」
「・・・っ」
ミハイルが何か思うところがあるのか、一瞬くしゃりと顔を歪めた。が、すぐに戻る。
「うん、ごめん。続けて?」
アルティミシアは少し心配になったが、小さくうなずいた。
「でも女神が『考慮はするが、それは自分に対する望みではない』と言って、次に転生するアトラスの魂に対する祝福を願いなさいと」
「アトラスには女神がずいぶんとおとなしい感じに見えていたみたいだね。イオエルとは大違いだ」
ミハイルが少し笑う。
「どういうことですか?」
「自分が女神をどう思っているかで、見え方が違うって言ってたよ。イオエルと話した女神は、もっと生意気できゃぴきゃぴしてたな」
「きゃぴきゃぴ?」
あと生意気とは。相手は女神だが。
そんな女神は、アルティミシアにはまったく想像がつかない。
「うん。ごめん話中断させて。続けて?」
「はい。アトラスは、イオエルが生きていると思っていましたから、今すぐ転生したとして、記憶もないし年齢差もできてしまう、きっとイオエルに会うことすらかなわないだろうと思っていました。だから、純粋に、次に転生する魂のために、『戦わなくていい人生』を願ったんです」
ミハイルは目を見開いた。
「戦わなくていい、人生? じゃあ女性として転生したのは・・・」
アルティミシアはうなずいた。
「アトラスは、次の転生者に女性として生まれ変わらせるよう願ったわけではありません。私にアトラスの記憶が戻った時、そのせいもあって、ひどく混乱しました。女神に直接問い質すこともできませんのでこれは私の推測になりますが、おそらく女神のなかで、女性は『戦わなくていい』象徴だったのではないかと思います。今こそ望んで戦う女性もいらっしゃいますが、あの当時、聖剣を抜きに行ったのはみんな男性でした。ベラも戦う女性でしたが、彼女は聖剣を抜きに行っていません。自分が抜けるかもなんて考えたこともなかったと言っていました。まあ当時、数少ない戦う女性のほとんどは魔導師で、剣を持つ人ではありませんでしたから、そうなるのも致し方ないかとも思いますが」
「ベラ、そんなこと言ってたかな」
「たぶんその時、アレスもイオエルもいませんでした。力不足に落ち込むアトラスに、『あんたは抜きに行こうともしなかったあたしとは違って、聖剣を抜きに行って抜けたんだからもっと自分に自信を持て』と言って励ましてくれたんです。抜きに行きたくて行ったわけじゃありませんでしたが、それは言えませんでした」
アルティミシアの苦笑に、ミハイルも苦笑でかえす。
「イオエルはアトラスより先に、聖剣を抜きに行ったけど抜けなかった」
「え」
「アトラスが行く前に自分が抜けたらその責をアトラスが負わなくて済む、イオエルはそう思ってた」
「言ってくれれば、アトラスはきっと」
嬉しかっただろう。そう思うのに、ミハイルは首を横に振った。
「抜けなかったなんてかっこ悪いこと、イオエルが言うわけない」
確かに。アルティミシアはうなずいてくすりと笑った。
「だから私は、魔族のいなくなった戦いのない世界で、『戦わなくていい』女性として生まれたのではないかと考えています。女性には有事の際に徴兵もありませんしね。この推測が女神の考えに沿っているかの検証はできませんが」
「うん、できないし、しなくていいと思う。だってもう俺にとってはシアはシアでしかない。女神がどんなななめ上の思考で祝福を施したのだとしても、その結果シアが生まれてくれたのならそれ以上のことなんてない。俺にとっては、その事実があれば女神の考えなんてどうでもいいよ。アトラスの願った祝福が聞けたから、納得もしたし」
女神の考えをどうでもいいというのは少し「それ言っちゃって大丈夫か」と思わないでもなかったが、アルティミシアとして生まれてくれてありがとう、とミハイルから祝福をもらえた気がして、嬉しくなる。自然と顔を綻ばせた。
「私も、ミハイルがミハイルに生まれてくれたことに感謝します。女神の『考慮』が働いてくれたことにも、感謝を」
「考慮?」
ミハイルの問いに、アルティミシアはうなずいた。
「本来は、転生した魂が前世の記憶を取り戻すことはありません。それにアトラスの願いを叶えるために、前世の記憶を取り戻す必要はなかったはずです。それなのに私がアトラスの記憶を取り戻したのは、ミハイルと初めて目が合った時です。アトラスが一番最初に願った『(生きていると思っていた)イオエルの幸福な人生』は、あの時点でイオエルが亡くなっていたのならかなわないことです。でもこうやってアトラスの記憶を持ってミハイルの人生に寄り添わせてくれるのなら、女神の『考慮』がこれだったのだとしたら、私はミハイルの人生が幸福であることを見届ける権利をいただけたということ。ミハイルが幸福だと感じてもらえるように、私努力します。私にとってもそれは、幸せなことだと思うから」
ミハイルは、両手で顔を覆った。くぐもった声でうめく。
「もう今幸福なんだけど。これ以上なんて俺キャパオーバーでどうにかなっちゃうよ」
顔は両手で隠されていて見えないが、両耳が真っ赤になっているのを見て、アルティミシアはふふ、と笑った。少しは、出会ってからミハイルがずっとアルティミシアに注ぎ続けてくれていたものを、返すことができただろうか。
そうだといいと思う。ミハイルにもらった幸福を、同じように返せるようにできたらいい。
ミハイルが、はっと何かに気付いたように顔を上げた。
「ミハイル?」
「今なら」
「?」
急に立ち上がったミハイルは、小さく首をかしげるアルティミシアの座るソファの足元にまわりこんで、片膝をついて跪いた。
「ミハ・・・」
ミハイルはアルティミシアの手をとった。
「ずっと言いたいと思ってた。でも断られたら立ち直れないと思って。シア、いや、アルティミシア・ストラトス嬢」
「はい」
「私と結婚していただけますか?」
アルティミシアは思わずぽかんとしてしまった。今か。今さらではあるが、今なのか。
思い返すと、そういえばプロポーズはされていない。
断られたら立ち直れないというが、断るも何も、もう婚約誓約書まで提出しているのに。
あんなことやこんなことがあった後の、このタイミングにか。
驚きを通り越して少し笑ってしまう。
「シア?」
不安そうなミハイルの声に、また笑ってしまう。
ミハイルの人生に寄り添いたいのだと、アルティミシアがさっき言ったばかりなのに。
「はい。私と結婚してください」
まだ笑みを残したままで答えると、ミハイルは嬉しそうに微笑んで、アルティミシアの手の甲に口付けた。
「あと、王家に伝わるのだという、聖痕の聖女の話を今日兄から聞きました。ミハイルのそれに関しての見解も、同じく兄から。私も、500年前に現れたという聖女はベラの転生者だと思います。ベラの魂が記憶を持って転生し、魔族を滅ぼしたのだと」
ミハイルが元の通りアルティミシアの向かいに座り、話は再開した。
何事もなかったような顔で話を続けるのは何となく互いに気恥ずかしいが、この機会に、前世の記憶については擦り合わせをしておく必要があった。
お互いに記憶があるのだとわかった以上、もう思い違いや、話し合わなかったことで生じるすれ違いを起こしている場合ではない。
「ベラも死後に女神に喚ばれて、女神の祝福を願ったんだなきっと」
ミハイルがうなずいた。
「私もそう思います。私はこの話を知らなかったのであまり深くは掘り進めませんでしたが、アトラスの記憶を取り戻してから、他のみんながあの後どうなったのかが気になって少しだけ調べたことがあります」
「さすが知のストラトスだね」
「その通り名も、私知らなくてディスピナ様に教えていただいたんですが、そんな大層なものではないですよ。ただこれに関しては、ちょうど私の2番目の姉のシルフィーヌが歴史学について研究しているので、私がまだストラトス領にいた頃に、お訪ねしたんです。ベラとアレスは、凱旋式もパレードも断って、叙勲も叙爵も断って、人知れず旅にでて、魔王を喪ってもなお残る魔族から民を守っていたようです」
「あいつららしい・・・」
ミハイルの思わずのように出た言葉に、アルティミシアもうなずいた。
ベラとアレスはアトラスが出会った時から恋人同士だった。
家族を魔族によって失ったベラは、魔王を倒すという強い信念を持ってアトラスのパーティーに参加した。豪快であっけらかんとしたベラを、いつもアレスが優しく見守っていた。
アトラスは兄や姉のように2人を慕っていたが、それはきっとイオエルも同じだっただろう。イオエルの性格的に、それを表に出すようなことはしなかったけれど。
「ただすぐ後、アレスの消息は途絶え、強大な魔力を使って魔族から人々を守る魔導師の女性の話だけが残り、それもほどなくして、語られることがなくなりました。きっとアレスも女神になにか祝福を願ったでしょう。その後、たぶんベラも。アレスの願った祝福はもう知ることはかなわないでしょうが、ベラは、たぶん魔族を滅ぼすことを女神に願ったのではないかと」
「そう、だろうね」
ミハイルは沈痛な面持ちでうなずいた。
家族を失い、アトラスとイオエルを失い、アレスを失い。ついには自分も魔族の手によって力尽きた。
ベラはそれによる恨みではなく、自分のような者をこれ以上増やさないために、たぶん願った。
そういう人だった。
女神は他の神が創った魔族に直接手を出すことはかなわない。だから、女神はベラの魂を、もうほとんど魔族の滅びかけた500年後に、記憶を持たせて転生させた。
魔族が少なくなった世界、魔力自体も薄くなって、人が魔法を使えなくなってきていた時代に、魔族に対し圧倒的な力を見せるベラの転生者は、まさに『聖女』だっただろう。
「王家が秘していたなら、この500年後のベラの転生者がどういう生涯を送ったのかは、姉に聞いてもわからないかもしれませんね」
「俺はたぶんシャンツに行けばその答えがわかるかもしれないと思ってる」
「シャンツ?」
「そう。シャンツとカレンドがもともと一つだったことは知ってるよね」
「はい」
「シャンツには、体内魔力を使って弱いが魔法に近い『幻術』を扱う一族がある。そのルーツはベラの転生者なんじゃないかと俺は考えてる。デビュタントの時、シアの聖痕をたぶんバルボラが見たんだ」
「バルボラ?」
「灰色の髪に紅い瞳をした女性がいたとシアが言ってた。彼女の母親はシャンツの術者だ」
「ああ」
アルティミシアはうなずいた。確かにその女性はいた。
「彼女は目を合わせることで一時的に他人を洗脳させる術を持っている、シアはたぶんあの時跳ね返したんだ。女神の加護があるから」
アルティミシアはふるりと体を震わせた。
では、2度聞こえたあの音は。
「もし、あの時私が洗脳されていたら」
「うん、趣味の悪いドレス着て、マリクの隣で微笑んでたかもしれないね。危なかったよ。でももう二度とあんな危ない目には遭わせないから」
ミハイルの強い瞳と目が合って、アルティミシアはぎこちなくうなずく。うなずいたものの。
守られるだけでは駄目なのだ。そう、強く思う。
いろんな所で、いろんなことが絡み合っている。
大切なものを守るためには、自分の譲れない希望を叶えるためには、『戦わなくていい人生』は難しいのかもしれない。
でもこれは強いられたものではなく。自分の意志で選び取るもの。だからきっと、アトラスは許してくれるだろう。アルティミシアが、戦うことを。
「イオエルのことは、絵本にある『命をかけて魔王と戦った』としか、残っていません。イオエルの話を、聞かせてください」
戦うためには、知らなければならない。
決意を胸に秘めつつ、アルティミシアはミハイルに、今一番聞きたいことを尋ねた。