32. 収束
アルティミシアとダリルは早歩きと小走りの中間くらいの速度で進んでいた。
「体は~?」
「大丈夫」
アルティミシアの右手には聖剣。出していた方が体は (自動で) 動くし、不意の攻撃にも反応がしやすいということに気付き、聖剣を出しっぱなしにしている。ただし、小型だ。
アルティミシアの背だと、聖剣に重さはないが、剣が長すぎてひきずるようになってしまい、落ち葉を拾ってためていってしまうので、小型をイメージすると、聖剣は小型になった。
これなら襲撃者に見られてもそこそこ普通の剣に・・・見えなくもない。
アトラスの時には縮小させたり変形させたりすることを考えたこともなかったが、やればできるものだ。
体内魔力は聖剣を出して歩くだけでも消費しているが、単純に疲労で足が動かなくなるという事態を免れている。
歩く速度で言えば、むしろ今の方が断然速い。
体力の消耗と、体内魔力の消費を考えると、多少無理をしても体内魔力を使って動いた方が効率的だった。
相変わらずシャンツ兵 (仮) の襲撃は来るが、頻度も人数も減ってきている。
騎士科の生徒と思しき3人が倒れているのを発見したりもしたが、ミハイルにしか興味はないのか、怪我は負っていたが意識を失っているだけだった。命に別状はなさそうだったので、申し訳ないが置いてきた。
パヴェル邸にたどり着く方が先だろうと判断した。
体内魔力温存のためにほとんどはダリルが対処してくれているため、アルティミシア自身が戦うことは今のところないが、ダリルの方が問題だった。
ダリルは表情に疲れを出さないが、体力は無限ではない。相当疲労が蓄積しているはずだった。
「兄さんこそ大丈夫?」
「平気~」
そんなわけない、と思ったが、アルティミシアはそれ以上追求しなかった。しても意味がないからだ。
アルティミシアの最優先事項は、早くパヴェル邸にたどり着くこと。それがかなえば、ダリルもいったんは体を休められる。
「左前方200m」
アルティミシアがダリルに知らせる。聖剣を持っているせいで、感覚が研ぎ澄まされている。
人の気配や物音に広範囲で敏感になっているため、察知するとダリルに知らせるようになっていた。
最初に聞こえたのは剣を打ち合う音だった。
その合間に一瞬聞こえたのは。その声は。
「!」
アルティミシアは何も考えずに全力で走り出していた。
「ミーシャ!」
焦ったようなダリルの声も、今は届かない。
わずかに聞こえていた音が、少しずつ大きくなっていく。
アルティミシアは、落ち葉を蹴って走りながら必死にその音を拾う。声が聞こえたのはさっきの一瞬だけ。その後は、一度も聞こえていない。ただ戦っている音だけが聞こえている。
聞き間違いだったかもしれない。でも、それでも行って、確かめたい。
(あと少し)
動く何人かの人影が見えた。あれは。
アルティミシアは地面を蹴って跳躍した。エレンとミハイルが3人の兵士と応戦している。
聖剣をかざして勢いのままにつっこみ、攻撃をいなして力任せに剣の柄で3人を吹っ飛ばした。
アルティミシアは足がちゃんと着地した感覚がなかった。右手の聖剣も消えて、ふわふわする。
3人の兵士が地面に倒れ込む音と、
「シア?」
「お嬢さん?」
「ミーシャ! ダメだって~」
ミハイルとエレンと追いかけてきたダリルの声が重なった。
アルティミシアが体内魔力を使いすぎた反動でふらついたのを、ミハイルが抱きとめる。
「ミハイル・・・生きてた」
アルティミシアが嬉しさのあまりにミハイルに笑いかけると、ミハイルは泣きそうな顔をした。
抱きとめられた体勢のまま、自力で立つことができない。体内魔力を使いすぎたのか、体に力が入らない。
「シア、なんでここに?」
ミハイルがそのままお姫様抱っこをして大きな木のそばまで連れてきてくれ、幹にもたれかけるように座らせてくれた。
「シメオン様が、私には聖痕があって、聖女で、王太子殿下が婚約誓約書を無効にするためにミハイルを・・・って」
「シメオンか・・・」
ミハイルは天を仰いだ。こんな拙い説明でも、ミハイルとエレンには通じているし、驚いていない。つまり、二人は知っていた、ということだ。
「それでお前はのこのことお嬢さんを連れてきたのか、ダリル」
エレンがダリルにいつになく厳しい声を飛ばしたので、アルティミシアは力なく首を横に振った。
「私が無理矢理連れてきたんです。ダリルさんは私を護りながら何人もの兵士を相手にしてきました。一人も殺していません。無理をお願いしたのは、私です」
「護衛なんで~」
気にするな、と言ってくれているように思えて、アルティミシアはダリルに微笑んで感謝を返した。
ミハイルがそれにわずかに反応したが、小さく息をついた。
「マリクの計画は知ってた。俺たちはそれを阻止するために、あえてのって証拠と証人集めをしてたんだ。これを公にして、あいつを引きずり落とす。もうこんなことは終わりにしなきゃいけない」
「危ないことはしないでって! 無理も無茶もしないでって! 言いました!」
アルティミシアは、ミハイルに今までの人生で一番大きな声を出した。
涙が止まらない。怒りなのか、ミハイルとエレンの無事を確認して気が緩んだのか、感情がぐちゃぐちゃで何もわからない。
心配したのに。本当に心配したのに。
ミハイルがしゃがんでアルティミシアと同じ目線になった。アルティミシアの頭ごと両腕で抱えて抱きしめた。アルティミシアの泣き顔を、隠すように。
「言ってた。ごめんねシア。心配したよね。もうしない」
「~~~」
優しい声に、涙があふれてきて言葉が返せない。
「ごめん、すごいいいシーンなんだけど、かつらのせいでミハイルがミハイルをなぐさめてて絵面がシュール・・」
苦笑するエレンに、アルティミシアは我に返った。
「ごめんなさい! こんなことしてる場合じゃ・・・っ」
アルティミシアが頭を上げるとミハイルが少し名残惜しそうに腕を解いた。
立ち上がろうとするが、まだ体に力が入らない。
「シア、髪は切ってないよね?」
ミハイルがアルティミシアを両手で優しく押しとどめた。もう少し休んでいいということだろう。
アルティミシアはうなずいた。
「はい。かつらはピンで留めてます。長い髪を入れるとどうしても少し浮くので、いっそ切ろうとしたんですが、ダリルさんに全力で止められて・・」
「ダリル」
ミハイルがダリルを振り返った。
「はい~?」
「特別報酬追加」
「やった~」
「あとシア、聖剣小さかったよね?」
ミハイルにあまりにも自然な流れで聞かれて、アルティミシアは息が止まった。
(ちょっと待って)
息を止めたまま、考える。
今、何と。
ミハイルは、アルティミシアが聖剣を出していても驚かなかった。そして、オリジナルの聖剣の大きさを知っている。それは、つまり。
「シア、息して、息」
アルティミシアはミハイルに声をかけられていることにも気付かなかった。
「ミハイル・・・記憶が」
声が震える。聖剣を他の人に知られたことで、ミハイルには話すつもりではいた。いたが、すでに、もう。
ミハイルは苦笑した。その後、深く息をついたように見えた。
「ごめんシア。イオエルの記憶はずいぶん前に戻ってるんだ」
「え」
ダリルの声が、アルティミシアの思いを代弁してくれた。
ただダリルは「イオエルの転生者もここにいた~」ということだろうが、アルティミシアは違った。
「だって、最初のお茶会の時」
アルティミシアは、勇気を振り絞って聞いたのだ。
『あなたは本当に、私のことを、その、女として見ることができますか?』
遠回しに聞いたが、これはわかる人ならわかる質問だった。
『イオエルの記憶を持っているなら、アトラスの転生者である自分を妻として扱うことができるのか』
と、聞いたのだ。その時の答えは、そのことにはまったく触れないものだった。
はぐらかされていたということか。
「ごめん、怒らないで。俺は怖かったんだ。帰ったら、ちゃんと話をしよう。全部話すよ」
また涙があふれてくる。怒りなのか、もう知っていたのだという安堵なのか、わからない。
「そろそろ次のが来るぞ。ダリル、まだ動けるか?」
エレンが目を細めて遠くを見据えている。人の気配があるのだろう。
「はい~」
ダリルが緩い返事をかえしたが、そんなはずはない。アルティミシアはエレンに向き直った。
「ダリルさんはもう限界です。私戦えます」
「だめだ。体内魔力をもう使い過ぎてる。聖剣はもう出しちゃだめ。俺が出る」
立ち上がろうとするアルティミシアを優しくとどめて、ミハイルが立ち上がった。
「お前もだめだ、ミハイル。お嬢さん、ミハイルとここにいて。こいつ俺の怪我を治したせいで本当はもうふらふらなんだよ」
「! じゃあエレンさんその血は」
アルティミシアが血でべっとり濡れたエレンの上衣に目を遣ると、エレンは苦笑した。
「うん、俺の自前。でも傷はもう治ってる」
エレンの言葉にアルティミシアはミハイルを凝視した。
この魔力のない世界で。体内魔力だけで、治癒魔法を。
魔力の消費量はもちろん魔法を使うのが一番高い。倒れていてもおかしくないはずだった。
「ミハイル」
「大丈夫だよシア。そんな顔しないで」
ミハイルはアルティミシアを安心させるように微笑んだ。
「2人の護衛を頼めるか、ダリル」
「はい~」
「少し離れた場所でやってくる」
ダリルの返事を聞くか聞かないかのうちに、エレンは駆けていった。
勢いに任せて吹っ飛ばした兵士3人が視界の端で転がっている。
アルティミシアは意識を取り戻すんじゃないかとひやひやしたが、その視線をダリルも追ったのか、
「ミーシャ強かったね~」
まだ大丈夫だよ、と返してくれる。
「うん」
照れたように笑って返すと、ダリルもうんとうなずいた。
「ダリル」
冷気をまとったミハイルの声に、ダリルが「あ」という口をした。
「ミ、ミハイル。私です。私がダリルさんに旅の間はミーシャと呼ぶようにと命令したんです。不自然だから敬語もなしで、と。ミーシャはミハイルの愛称でもありますし、こうやって攪乱するにもミーシャ呼びが使えると思って」
慌ててアルティミシアがミハイルに弁明すると、ミハイルが憑き物を落とすかのようにふううぅ~と長くて深いため息をついた。
「俺のこと愛称で呼んでくれたことないのに」
「えっ」
それは『ミーシャ』がアルティミシアとミハイル両方の愛称だからだ。そう話したではないか。
それにそもそもダリルが「ミーシャ」呼びしたのであって、アルティミシアは誰のことも愛称で呼んでいない。
「『うん』なんて返してくれたこともないし」
「そうでしたっけ?」
『はい』じゃだめなのか? そちらの方が自分としては自然な受け答えなのだが。
「ミハイル様~」
ダリルが言葉を挟んだ。
「何だ」
不機嫌にミハイルが答える。
「重鎮来られてます~」
「「え?」」
ミハイルもアルティミシアも、ダリルが向いている方向を見た。
エレンと、あと2人が歩いてくるのが見える。まだ少し遠いが、あれは。
「お兄様!?」
ソールだ。
アルティミシアが立ち上がろうとしてふらついた。ミハイルがとっさに受け止める。
「だめだよ、急に動いちゃ」
アルティミシアが自力で立ったのを確認してミハイルは手を離した。
「ありがとうミハイル。でもあれって」
「うん。おかしいね。いるはずのない人達がいるね」
ミハイルはそれほど驚いていないように見えた。ただ、少し怒っている?
ミハイルが先を見つめる瞳は鋭かった。