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27. シメオン

 学院では教室でミハイルと毎日顔を合わせていたのに、二人きりになれない現状で込み入った話をするわけにもいかず、結局話ができないまま、あっという間に長期休暇に入ってしまった。


 胸騒ぎはなくなるどころか小さな不安となって、胸の中に少しずつ澱のように降り積もっている。ただの杞憂であればいい。そうに違いない。思うのに、心がどこか晴れない。


 ミハイルは昨日、パヴェル領(野営訓練)に向かう移動のために王都を出たはずだ。訓練を兼ねて馬で移動するのだという。目的地がカナル領からパヴェル領に変更になって、距離は遠くなっているが、パヴェル領までの直通の線路はないからどのみち汽車も使えない。



 アルティミシアは本邸の庭園を歩いていた。

 浮かない顔をしているアルティミシアを心配して、気晴らしに散歩してはどうかと提案してくれたのはサリアだ。


 太陽が天に届く少し前、空はきれいに晴れている。庭園の花は鮮やかに咲いて、心地よい風に吹かれて揺れている。暑くもなく、寒くもなく。隣ではサリアがしっかりと日傘を傾けてくれている。自分で持つと言っても「私がお嬢様と歩きたいだけです」と言って日傘が譲られたことはない。後ろには少し離れてダリルがついてきている。

 いつもの本邸の散歩の風景だ。


 アルティミシアはこの庭園を散策するのが好きだ。庭師とも仲良くなって、庭師はアルティミシアの好みの花を多く植えて整えてくれている。ディスピナはさほど花には興味がないらしく、こうしてほしいと希望を伝えてもらえるのは楽しいのだという。


 ここは本邸だが、別邸にあるあの大きなガゼボに似たガゼボがここにもある。これを見るたびに、別邸での、意を決して婚約解消を申し出た、ミハイルとの最初のお茶会を思い出してくすりと笑ってしまう。

 サリアの提案を受けてよかった。少しだけ気分が上向いた気がする。


「ありがとうサリアさん。とっても気持ちがいいです」

 サリアを見て微笑むと、サリアはいつもの無表情から少しだけ表情をやわらげた。

「少しでも気分が」

「アルティミシア」

 聞き覚えのある声が、サリアの言葉をさえぎった。アルティミシアは声のした方向、通路の斜め前を見る。壁のようになっている木の茂みの影から現れたのは、ミハイルの弟シメオンだった。


 長期休暇に入る少し前、ちょうど女子会の後くらいに、シメオンはメルクーリ領から本邸に移動してきた。まだデビュタントを終えていないため公式な行事には参加できないが、シーズンに入ると、公爵家ともなるとそれなりに個別の交流がある。それに参加して顔なじみを増やすために、毎年この頃に本邸に来ている。


 本来ならディスピナとともに移動して、帰るときもディスピナと帰っていたのが、アルティミシアのためにディスピナが昨年から本邸にとどまっているため、シメオンが単身で移動してきた形だ。


『シメオンには気をつけて』

 最後にミハイルに会った時に、そう言われている。自分が野営訓練に行っている間は、距離をとって帰省してほしい、とも。


 シメオンとは、両親の顔合わせの時に会ったのが最初だったが、おとなしく無口な印象だった。

 ミハイルがそこまで言うのは珍しい。

 理由を聞いたら『俺とあまり仲がよくないからね』と苦笑していたが、シメオンの方は婚約者のアルティミシアに対して、それほど嫌悪感はないようだ。


 同じ本邸にいるからかすれ違うことも多く、よく話しかけられている、気がする。

 アルティミシアが本邸に移り住んでからずっと同じ邸に住んでいるはずのマヌエル(ミハイルの父)より、つい最近来たシメオンの方が会話をしているくらいだ。



 でも庭園で会うのは初めてかもしれない。

 アルティミシアは小さく略式の礼をとった。

「ごきげんようシメオン様。気持ちのいいお天気ですね。シメオン様もお散歩ですか?」

 けれどアルティミシアが尋ねた答えはかえってこなかった。


「礼なんかとらないでよ。普通に話してよ。様も付けなくていい」

「シメオン様?」

 シメオンの表情が硬い。様子がおかしい。気軽に話してほしい、と会うたびに言われてはいたが、こんな風に言われたことは今までにない。


 立ち止まっているアルティミシアに、シメオンは歩み寄ってくる。

「兄上みたいに名前だけで呼んで。僕を見て、笑って」

「いったいどう」

「兄上は帰ってこないよ。そしたら君はあいつにとられちゃうんだ。そんなのは許せない」

 どくん、とアルティミシアの心臓が鳴る。

(今、なんて?)


「お触り厳禁ですよ~」

 いつの間にかそばに来ていたダリルが、シメオンとアルティミシアの間に入った。

「うるさいどけよ! 僕だって何も死んでほしいなんて思ってなかっ」

「どういうことですか」

 自分が思っている以上に低い声が出た。足元から震えが這い上る。


 シメオンは気圧されたように押し黙ってうつむいた後、泣きそうな顔でアルティミシアを見つめた。

「だってあいつが」

「・・・王太子殿下ですか」

 声が震える。それが恐怖なのか、怒りなのか、アルティミシアにもわからない。


「そうだよ! あいつが聖女は自分にこそふさわしいって」

「聖女?」

 何の話だ。貧血の時のようにくらくらして、頭が回らない。

「アルティミシアには聖痕があるんだって。それは女神の加護を授かった聖女の証だって」

「まさか」

 アルティミシアはつい口走った。


 こんなところでなぜそんな話(アトラスのこと)が出てくる?

 自分(アルティミシア)にもあったのか? アトラスに授けられたものが?

 誰が、何を、どこまで知っている?

 そもそも王太子(マリク)がそのことをなぜ知っている?


(あの時)

 デビュタントで、ドレスを着替えさせられそうになった。あの灰色の髪、紅い瞳の女性は、自分に対して怯えを見せた。あれは、アルティミシアが何かを弾いたから。ではなくて、聖痕を見たから?

 あの時リボンを解かれて背中は見える状態だった。じゃあ、今世は背中に聖痕がついている?

 あの女性が聖痕を知っていて、王太子に伝えた?

 聖痕を持っていたら聖女?

 そんな話は聞いたことがない。


「お嬢様」

 知らず後退っていたのか、ふらついたのか、サリアに背を支えられる。

 マリクがミハイルを敵視していると知らないはずがないシメオンが、どうしてマリク側のこれほどの詳しい情報を持っている? マリクとシメオンは親密な関係なのか?

 だから、ミハイルは気を付けて、と言った?


「あいつは野営訓練を『より現場に近いところで実用的な訓練を』とか何とか言って国境に場所を変更させたんだ。兄上を『事故』で消すために」

「ど・・・して」

 息が詰まってうまく声が出ない。


「アルティミシアの婚約誓約書を無効にするためだよ。相手が死ぬか行方不明になれば無効になる。行方不明だと3年待たなきゃいけないけど、死んだら即日だから」

「何で国境なんですかね~?」

 いつもは許可がない限り会話に口を挟まないダリルが、いつもの調子で投げかけた。

 シメオンは感情が昂っているせいか、「無礼だ」とは言わなかった。


シャンツ(隣国)の警備兵とニアミスして事故が起こったことにするためだよ」

 そんなことをしたら。

 アルティミシアは血の気が引いていくのを感じた。


 外交問題になって、下手をすれば戦争が起こる。そんなこともわからないのか、王太子は。

 もしくは、それをそそのかした者がいる、か。

 国内で事を起こしたら必ず犯人が必要になって、それを口封じしなければならなくなる。

 だから隣国にそれを押し付けてしまえば、自分に火の粉はかからない、と。

 隣国との戦争を望んでいる者がいる?


(マリク)

 怒りでどうにかなりそうだ。こんなに怒りを感じたのは、アトラスの時ですらなかったかもしれない。

「だからアルティミシア。僕と婚約誓約書を結び直せばあいつの所になんか行かなくても」


とっ


 軽い音がして、シメオンが崩れ落ちた。

 いつのまにか来ていた騎士隊隊長エドムントが、シメオンの意識を落とした音だった。

「何でミハイル様がやられる前提で話進めてんだこのお坊ちゃんは」

 エドムントが呆れたように言う。


「隊長~証言は取れたんでそれ回収してください~」

 ダリルの声に、エドムントがうなずいた。くい、とあごを倒れているシメオンに向けると、いつの間にいたのか、茂みの裏からわらわらと騎士隊の騎士が出てきてシメオンを運び出していった。


 シメオンに証言を吐かせるために仕組まれていたのかとも思ったが、アルティミシアがここに来たのは偶然。シメオンはたぶんそれを追ってきた。そもそもサリアがアルティミシアを囮にすることを許すはずがない。


 警戒していたところ、騒ぎを聞きつけて騎士隊がきてくれた。それを察知したダリルが証言を誘導した、というところか。

「よくやったダリル。お前は引き続きお嬢様につくように。こっちはこっちで対処する」

「はい~」

 エドムントがアルティミシアに労わるように弱い笑みを向けると、会釈してそのまま立ち去った。


「お嬢様、戻りましょう」

 サリアに促されて、あまりの情報過多にゆるゆると空回りしていた頭が、ふいに正気を取り戻した。


「サリアさん」

「はい?」

 固まっていたアルティミシアに急に呼びかけられて、サリアは驚いたように返事をかえす。


「ダリルさんを連れてパヴェル領へ行きます。往復で2週間ほど、ダリルさんをお貸しいただけないでしょうか」

「はい?」

 明らかにサリアが動揺した。無理もない。女が恋人を連れ去ろうとしているのだ。


「もちろん一切手は出しませんし、五体満足でお返しできるよう鋭意努力いたします。なのでどうか」

 深く頭を下げたアルティミシアに、いつも無表情で沈着冷静なサリアが珍しく慌てた。

「お嬢様! いろいろおかしな発言がありましたがとりあえずなぜ私に?」

「そうですよ~。そういうことはまず本人に了承を得てほしいです~。行きますけど~」

 ダリルが苦笑している。

 サリアの後で聞こうと思っていたが、行ってくれるらしい。ありがたい。


「ダリルさんとサリアさんのことは申し訳ありません、ミハイルから聞いていました。メルクーリ家の七不思議の一つだと」

「言い方~」

「・・・!」


 ダリルは騎士隊に入って間もなく、別邸にエレンに引き抜かれるまでは本邸で訓練を行っていた。

 その時にサリアと出会った、らしい。本人たちは非公開(のつもり)なので、裏でじわじわそのことが広がって、まさかの組み合わせに七不思議の一つとして数えられるようになった、と。

 少しだけ顔を赤らめるサリアが萌え倒したいほどかわいいが、今はそういう状況ではない。


「騎士隊が動くにしても、おおっぴらに動けば王太子側に気付かれるでしょう。その前に先発として私が行って各所、騎士科とパヴェル家に知らせます。馬、乗れますので」

 アルティミシアは田舎育ちの貧乏貴族だ。領土の移動にいちいち馬車など使えないため、自然と馬に乗れるようになった。


 立ち直ったサリアが小さく首を横に振る。

「お嬢様とダリルだけで行くなんて心配です」

「絶対に手は出しません」

「そこは心配していません」

 サリアに食い気味に否定されて、アルティミシアはぐっと押し黙った。


「奥様の許可が先だと思います~」

 ダリルに言われて、アルティミシアははっとした。

「そうでした。二人とも、一緒についてきていただけますか」

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