25. 密談
デビュタントから3日後。
ミハイルは再び王宮に来ていた。今度は離宮、ではなく本宮。ご招待という名のお呼び出し、だ。
通された王弟の私室にはやはり、ソールもいた。
ソールが王弟ルドヴィークの「裏の」懐刀だということは、両親の顔合わせの時にエレンに調べてもらっているから知っていた。
デビュタントでアルティミシアを救うためにソールは動いた。ミハイルに隠す必要はもうないということだろう。
「久しぶりだなミハイル。まあ座れ」
ルドヴィークに促され、ミハイルは礼をとってソファに座った。ルドヴィークが仰々しい挨拶の口上を好まないことは知っている。
ミハイルにはちゃんと「ご招待」が来て、ここに通じる道の衛兵はもちろん顔パスだったが、これは非公式。
侍女が茶を持ってこない。そもそもこの部屋には人払いがされている。エレンすら近寄れない。
「最初に言っておくが」
ルドヴィークは切り出した。
「デビュタントの災難自体に俺が口を挟むつもりはない。説教なら、お兄ちゃんからしてもらえ」
ミハイルは視線を感じてソールをちらりと見ると、ソールは貴族の笑みを返した。
「貸し一つ、と申しました。それ以上でもそれ以下でもありません」
ルドヴィークに向けてか、ミハイルに向けてか、ソールはそう言って目を伏せた。
これ以上ここで口を出すつもりはない、ということだろう。
この貸しを、いつか返せる日が来るといいのだが。この有能な将来の義兄に、隙が見当たらない。
義弟と認めてもらえる日は遠い、気がする。
「じゃあ本題だ。話を始めるぞ。ミハイル、お前聖痕、って知ってるか」
ミハイルは心臓がどくん、と跳ねるのを自覚したが、気力で抑え込んだ。
「せいこん、ですか?」
違う成婚かも、精魂かも、生痕かも、しれない。とりあえずははぐらかす。
「女神の加護、聖なる紋様、聖痕だ」
「そ・・・れが、何か」
ミハイルは失敗した。あまりにも変化球で、まさかルドヴィークから聞かれることを想定しておらず、思わず反応してしまった。
「知ってたな。何で知っている?」
ルドヴィークの目が鋭く細められる。
何で。何でって。そりゃ。直接女神から授かったことがあるからだ。イオエルが、だが。
でもそんなことは言えない。
ルドヴィークは、何を知っている?
「失礼を承知で、どうして俺にそんなことを尋ねたのかを、先にうかがっても?」
王弟に対する言葉遣いをあえてしなかった。遠戚のミハイルとして、話をさせてもらう。
ルドヴィークに怒る様子は見られなかった。むしろ興味津々、な表情に変わっている。
好奇心旺盛な上に、いたずら心の度が過ぎて周りの大人を困らせていた王弟だ。おとなしくなったとは聞いていたが、本質的なところは変わっていないのかもしれない。
「聖痕については極秘事項だ。そのこと自体もだが、紋様の意匠に至っては王族の直系しか知らん、はずだ」
「それをもうあなたが崩しましたけどね・・・」
ソールが、死んだ魚のような目をしてつぶやいている。ミハイルと同じ質問をされ、紋様まで見せられたと思われる。気の毒に。
「なぜお前たちにこれを聞いたのかというとだな。姉上がストラトス嬢を助けた時に見つけたらしい。ストラトス嬢の体に、聖痕を」
「っ!」
まさか。ミハイルは言いかけて、口をつぐんだ。
どういう状況だったんだ。それは身体のどこにあったんだ。反射的にまずそれが気にはなったが、それはとりあえず置いておく。
(うそだろ)
聖痕が、ある? 本当に?
あれは1個人の人格に紐付くものではなかったのか。ミハイルの、体の可視範囲のどこにも聖痕は見当たらなかった。
(けど、ってことはつまり)
あれは、個人ではなく、魂に紐づいている?
「聖痕を持つ者は女神の加護を受けている。500年前、歴史上では魔族は数が先細りして自然消滅したことになっているが、実際は聖痕を持った者が現れて、最後に残っていた魔族を滅ぼして消滅させた。その後、その奇跡の力で国に繫栄をもたらしたという。その持つ力はあまりにも強大で、パワーバランスを崩しかねない。その存在は秘されて王族だけに語り継がれてきた。この500年、聖痕を持つ者は現れなかったようだが、本当は現れてはいたのかもしれんな。ソールに確認したが、おそらくストラトス嬢自身、聖痕のことも、聖痕が自らにあることも知らないはずだという。王家が脅かされないため、対抗勢力に悪用されないために伏せすぎたのが仇になって、本当は何人か生まれていたのに見出されることなくスルーされていたのかもしれん。まあ、大きすぎる力は争いの元になる。本人が力を発現させない限りはその方がよかったのかもしれんが」
ルドヴィークの説明を聞きながら、ミハイルは極力表情を動かさないようにして考えていた。
なんかいろいろ、おかしなことになっている。
さすが一千年の歴史。侮れない。
「ただ見つかってしまったものは、それなりの対処をしなければならない。ミハイル、お前はストラトス嬢を、聖痕を持つ者と知って、婚約を」
「違う!」
ミハイルは反射的に叫んだ。
(これは、もう)
隠し通せない。相手は王家だ。下手をしてアルティミシアが危険にさらされることになったら目も当てられない。
話せるところまでは、話すしかない。話がからまり過ぎている。
(やらかしてくれたな、ベラ)
記憶を持って転生したのが、500年前にももう一人いた、ということだ。
下手に伝説作りやがって。
怒りたいが、思い出すのはあのからりとした屈託のない笑顔。パーティーの紅一点ながら、誰よりも強い信念を持って男たちを引っ張った、頼もしい姐さんだ。怒るに怒れない。
女神の祝福のこと、イオエルの思いまではさすがに言えないが、それ以外のところは、話すしかない。
ミハイルは、ふう、と息をついた。顔を上げる。
「結論から言うと、聖痕を持つ者が繁栄をもたらすなんていうのは、嘘だ」
ルドヴィークは片眉を上げた。
「何でそんなことを知っている?」
ルドヴィークは「何を言い出すんだ」とは言わなかった。聞いてくれるつもりなのだろう。
「聖痕は女神の加護。それは合ってる。でもそれは、聖武具を授かる時に受ける印であって、聖武具そのものとも言える。奇跡の力の付与じゃない。500年前に現れたのは、魔王を倒した勇者一行の一人、魔導師ベラの記憶を持って転生した、ベラの魂を持つ者だ。おそらく聖武具を使って、最後の魔族を滅ぼした。国を繁栄させたっていうのは、魔族がいなくなってもまだ世界に魔力はわずかながら残っていただろう。それを使って、魔法で何かを成し遂げたか創ったかして、『奇跡』を起こしたんだと思う。彼女は魔導師だから。でもたぶん同じことはもう起こらない。ベラの魂を持った人間がまた記憶を持って転生する可能性は限りなく低い。ちなみにシア、アルティミシアはベラの転生者じゃない」
「ミハイル・・・?」
ルドヴィークがさすがに困惑している。それは、驚くだろう、いきなりこんな話を始めたら。
一番説得力があるのは。
(出せるかな)
アルティミシアに聖痕があるということは、たぶんミハイルにも体の見えないどこかに聖痕があるんだろう。だとしたら。
しゅん
小さな音を立てて、それは左手におさまっていた。
(ああ)
やっぱり出るのか。久しぶりだな、お前。
ミハイルは懐かしい思いで左手に光るメイスを見つめた。
「「!」」
ルドヴィークとソールは、メイスを見て固まっている。
無理もない。ミハイルは苦笑した。自分でも出せるとは思わなかった。
「聖痕は魂に紐付いているらしい。だから女神の加護を受けた千年前の勇者一行4人の魂が転生したら、必ずどこかに聖痕はある。でもこの聖武具を出せるのは、そのうち記憶を引き継いで転生した者だけ。記憶がないと、聖武具の出し方がわからないし、そもそもそんなものが出せることも知らないから」
ミハイルは記憶を持っていても、聖武具が出せるとは思わなかった。聖痕は自身に見当たらず、個人に紐付いているのだと思い込んでいたからだ。エレンに護られたおかげで、出す必要に迫られる非常事態に今まで遭遇しなかったことも要因の1つだろう。
「これはメイス。聖痕は、聖武具を授かった証であって、ただそれだけのもの。俺はミハイルの前は、勇者一行の1人、僧侶イオエルだった。俺も聖痕を持つ者ってことになる。だいぶ前に探したことがあるけど見当たらなかったから、たぶん俺の可視範囲にないどこかにあるんだと思う。・・・ソール様」
ミハイルはメイスを出したまま、ソールに顔を向けた。
驚きすぎて返事がないが、聞いてくれてはいる。目の焦点は合っている。大丈夫。
ミハイルは尋ねた。
「シアに・・・アルティミシアに聖痕があることを知らせましたか?」
「いや。現段階で知らせるべきではないと判断して、伏せている」
やっぱりいいお兄ちゃんだ。ミハイルは小さく微笑んだ。
「お願いします。そのままで。彼女は知らない方がいい」
「なぜだ」
ルドヴィークの問いに、ミハイルはメイスを持ち上げて見せた。
「俺は今世で今初めてこれを出しました。出せると思っていなかった。出してわかったんですけど、聖武具は魔力依存なんです。もともと対魔族仕様だから、魔族の出していた魔力を吸ってその能力を発揮するようにできてるんでしょう。魔王戦の時の威力はすさまじかったから、たぶん間違いない。今このメイスに、ほとんど力は感じない。500年前、ベラの記憶と魂を持つ転生者が魔族を滅ぼして、今空気中に魔力は存在しなくなったから。このメイスで魔法は、俺の体内魔力でしか使えない」
「体内魔力?」
「魔族ほどではないですが、一応人も微々たる魔力を保有しています。その程度の魔力では、聖武具なしに魔法は使えませんが、シャンツの『幻術』という形でわずかに今でも技術は残されている。『幻術』も、聖武具も、体内魔力だけではたいしたことはできない。体内魔力を使いすぎると命を削ることになる。だから、シアには知らせてほしくない」
ミハイルはメイスを消した。
「それはつまり、ストラトス嬢には前世の記憶がある、ということか?」
ルドヴィークは察しがよくて助かる。ミハイルは苦笑してうなずいた。
「シアには、勇者アトラスの記憶がある。ただ記憶が戻ったのは最近です。俺と同じように、記憶はあるけど聖痕が身体にあることを認識していないなら、聖武具を出したことはないはずです。聖剣も、同じく魔力を消費します。あれは使用者の動きを自動で補助する機能を持っている。シアにはアトラスほどの体力も筋力もない。たぶん動くだけでも魔力を消費するから、絶対に使わせたくない」
ソールは目を閉じて聞いていたが、目を開けてミハイルを見た。
「わかった。知らせない。あと、一つ確認しておきたいことがある」
「はい」
ソールはミハイルに敬語ではなくなっている。こんな状況だが、少し嬉しい。
「君が、アルティが勇者アトラスの転生者であると知っているように、アルティは君がイオエルの転生者だと知っているのか?」
それは今ミハイルの抱える問題の核心だ。
この話の流れだけで、妹の気持ちを慮るあまりに、ソールはこのことに気付いた。
すごいよお兄ちゃん。
「シアは、俺がイオエルの転生者だということは認識しています。何せ見た目がそっくりなんで。転生しても、魂が同じなら見た目は酷似するんです。だから俺は銀の髪・金の瞳を探した。アトラスの転生者の特徴です。まさか女性に転生しているとは思いませんでしたが」
どうしてアトラスの転生者を探そうとしたのか。同じ時代にいると確信していたのはなぜか。
ミハイルがわざとぼやかしてはぐらかしたことを、幸運にも言及されることはなかった。
「じゃあ」
ソールが言いたいことを察して、ミハイルは制した。そこだけは、勘違いしてほしくない。
「違います。出会うきっかけは確かにそうでしたが、シアがアトラスの転生者だから婚約したわけじゃありません。婚約誓約書をシアの合意なく提出したのは、マリクの介入を阻むためでした。俺は、イオエルの記憶を持っただけのただのミハイルとして、アトラスじゃないアルティミシアを愛している。婚約が一方的で横暴な行為だったことは否めませんが、シアの望まないことはしないし、幸せにする努力を惜しまないと約束します。ソール様、俺はただのミハイルで、シアはただのアルティミシアです。記憶を持っているだけで、今と前世は関係ない」
尊敬する兄の、自分を見る目が変わってしまったら、きっとアルティミシアは悲しむ。
ものすごく悲しむだろう。それだけは。
ミハイルは祈るようにソールを見た。
ソールは間を置いて、何かを飲み込んで、小さく息をついた。
「わかった。・・・今までと、何も変わらない」
「ありがとうございます。ああ、あと一つ」
ソールはお腹いっぱい、というように目を閉じたが、静かに目を開いた。
「聞こう」
「シアは、俺にイオエルの記憶が戻っていることを知りません。単に俺がイオエルの転生者だと知っているだけです。通常の命の循環で、記憶がない転生者。だから、シアは自分がアトラスの転生者だということを、俺に話していない」
ソールは珍しくややこしい、と表情に出して渋い顔をした。
「わかった。心に留めておく」
「ありがとうございます。そんなわけでルドヴィーク様」
ミハイルがルドヴィークに向き直ると、ルドヴィークは苦笑していた。
「よかったよ、俺の存在が忘れられていたわけじゃなくて。何だ」
「今後聖痕を持つ者が見つかったとしても、何の恩恵ももたらさない。もたらせない。ただの無力な一国民です。新たな歴史の1ページを刻んで、どうかこれを王族に周知してください」
「いやこれを誰が信じる?」
は~~ と大きく息を吐きだして、ルドヴィークはソファにもたれ込んだ。
「俺とシアが表に出る気はありませんよ。大騒ぎする奴がいるんで」
「めんどくさいのは俺に来るようになってるんだよなあ・・」
ルドヴィークがうなだれた。