22. それぞれの思惑 ③
マリクは私室にいた。
アルティミシアには「ミハイルには伝えておく」と言ったが、そのつもりはない。
彼女が着ていたあのミハイルの独占欲丸出しのドレスを、マリクの髪色のドレスに着替えさせてホールに帰したら、ミハイルはどんな顔をするだろうか。その顔が見たい。その頃にはマリクもホールに出向くつもりだ。
ミハイルが探していたという「銀の髪・金の瞳」のアルティミシア。
1年ほど前、警備兵が取り逃がしたと思ったらあっという間に婚約誓約書を交わされて、マリクは手を出せなくなった。
なぜ探していたのかという理由までは結局探り当てることはできなかったが、言い寄る女に対してするすると貴族対応で交わしていたあのミハイルが、彼女に執着していることだけは確かだ。
その彼女がドレスを着替えて、自分に振り向かなくなったらミハイルはどんな顔をするだろう。
想像するだけでも楽しい。マリクは昏く笑う。
少し前に、おもしろい女を手に入れた。
隣国シャンツで使われる『幻術』を扱うことができる、術者の血を引くバルボラと名乗る女。
シャンツの国籍ではなく、カレンドの貴族がたわむれに術者の女に手を出して産ませた、私生児らしい。
いまシャンツとは緊張状態にあるが、あの女は王都の端、いわゆる花街の娼館にいた女。スパイなどではない。
娼館にはたまに、そういう稀有な能力を持った女が娼妓としてではなく奥にかくまわれ、裏稼業の者に重宝されているのだという。
王族として育ったマリクはそんなことを知らなかったが、最近マリクにやたらすり寄ってくるベーム侯爵が、この女を買って献上してきた。
灰色の髪に、紅玉のような鮮やかな紅い瞳をしたこの女は、目を合わせた人間の意思を一時的に奪い、操ることができる。だから、マリクはこの女とは目を合わせない。
この女、バルボラを使って、アール公爵家の三男とその婚約者をミハイルの足止めに使い、アルティミシアを連れてこさせた。そして侍女たちにも術を使わせた。今頃アルティミシアは赤いドレスに着付けられていることだろう。
(俺の色の)
マリクはその姿を想像して、口元に笑みを浮かべた。
アルティミシアは学院で言えば1学年下にいる。普段学院内ですれ違うこともないが、遠目に見たことはある。
彼女は有名だ。ミハイルの婚約者として。成績優秀者として。あと、ミハイルに並び立つにふさわしい美しい少女として。
銀の髪も珍しく、歩いていると側近候補の取り巻きたちがすぐに遠目でも所在を教えてくるから、何となくその容姿は知っていたが、今日、王の謁見に同席して、初めて間近に真正面から見て、驚いた。
ミハイルもそうではあるが、それとは持つ雰囲気が全然違う、思わず息が止まるほどの美貌。
王を前にして、淑女の笑みを絶やさずにいたこともあるだろう。父である王ですら、一瞬吞まれていた。神々しくさえあった。
もともとは、このデビュタントでミハイルに恥をかかせてやろうという思惑があって、自分の髪色だと見てすぐわかるドレスを作らせておいた。
でも今は。
(欲しい)
ドレスを着替えさせている時に、アルティミシアの意思を一時的にでもいいからと、奪う指示をバルボラに出した。
婚約誓約書がある限り、現状では手に入れることが難しい。
でも自分の髪色のドレスを着せ、彼女を傍らにして歩くことが、踊ることができたら。
当初の予定通り、ミハイルに恥をかかせることも、マリクがアルティミシアを意識していることを周りに認識させることもできるだろう。
ノックが鳴った。
アルティミシアの着替えが終わったら呼びに来るように指示してあった。
(来たか)
マリクは侍女が対応するのを待たずに自らバルボラを招き入れた。
バルボラの表情が暗い。見た目にわかるほど震えている。
マリクは部屋に控えていた侍女を外に追い出した。目を合わせずに問う。
「どうした」
「王妹殿下・・・ブラダ公爵夫人が部屋に入って来られて」
「鍵は!」
「もちろんかけていました! それでも『部屋を間違えて入ってしまった、すまない』と言われれば、鍵をこじ開けただろうなどとは言えません」
マリクは顔を歪ませた。
父の異母妹、マグダレーナ。マリクにとっては叔母にあたる。マリクの父シュテファンは正妃の子だが、マグダレーナとその弟ルドヴィークは側妃の子。祖父王が側妃を娶ったのが遅かった関係で、叔父と叔母はマリクと歳が近いが、もちろん仲がいいということはない。
「それで」
「お嬢様を見て着飾りたいからと、連れて出られました」
つまり、失敗した。
(くそっ)
マリクは衝動的にバルボラの頬を平手で殴った。バルボラが床に倒れ込む。
確かに、マグダレーナにはそういう性癖があった。
間違えて入ってしまった部屋に美しい少女がいて、着飾りたくなったからと連れ出した。
そう聞いても王宮関係者はああまたか、で終わらせるだろう。何も不自然はない。
マグダレーナは着飾らせた衣装やアクセサリーをすべてその『人形』にプレゼントする。
だからマグダレーナが降嫁する前、王宮にいた頃は、自ら『人形』になることを希望する女性すらいたほどだ。
だが。
内鍵を開けてわざわざ入って来たのだ。それは『たまたま間違えて』ではない。
誰かに頼まれたか。
(ミハイル)
ミハイルは筆頭公爵家。遠戚ゆえに、王族との親交も深い。
今でこそそうでもないが、幼い頃はマリクと一緒に遊ぶこともあった。
もちろん、歳の近いマグダレーナやルドヴィークとも、それなりに付き合いはある。
むしろ、マリクよりミハイルの方があの二人と仲がいいだろう。
(また、あいつに)
邪魔をされた。憎悪が膨らむ。
マリクは力なくふらつきながら立ち上がるバルボラを見下ろした。
「術は」
かける前だったのか。かけた後か。
その言葉に、バルボラははっと顔を上げた。
「お伝えすることがございます」
マリクは目を合わせないように少し顔を上向けた。
「何だ」
「お嬢様に、術は効きませんでした」
「失敗しただけじゃないのか」
「いいえ。お嬢様の背に聖痕がありました。あの方は、女神の加護を持った方です」
マリクは眉をひそめた。
「何を言っている?」
「術者の間では常識なのですが、術者の術が効かない理由は2つあります。1つは術者よりも意志が強い場合、もう1つは女神の加護を持つ者である場合、です。女神の加護の印、聖痕を持つ者は術が効きません」
「聖痕とは何だ」
「女神の加護を表す紋様です。500年ほど前に聖痕を持つ娘が現れ、当時まだわずかに生き残っていた魔族を不思議な力で滅ぼし、魔族をこの世界から消滅させ、国を繁栄に導いたとされています」
「その『国』は、シャンツか」
「そうとも言いますし、カレンドとも言えます。500年前は2国は1つの国でしたから」
「ふ・・・ん」
マリクはもともとあまり勉強に熱心ではないが、中でも特に歴史は大嫌いだ。だから、言われてもそうなのか、としか思えない。
「聖痕を持つ者が他者に悪用されることを防ぐために、紋様は我々術者か王族にしか知らされていません」
「俺はまだ知らされてない。王太子教育も始まって間もないしな」
「ではもう少ししましたらお耳に入る内容だと思います。私は嘘は申しておりません、ということをおわかりいただきたいのです」
バルボラは術の失敗は失敗ではなく致し方ないことだ、と主張している。
娼館から買い上げられ、ベーム侯爵により王宮に持ち込まれた。今は衣食住、何不自由ない暮らしをさせてやっている。それをここで失いたくはないのだろう。
バルボラが言うことが嘘だとは思わなかった。
これが本当なら。
「聖痕を持つ者は、銀の髪・金の瞳をしているのか」
マリクの問いに、ふる、とバルボラは首を横に振った。
「わかりません。500年前に出現した聖痕を持つ者の外見について、口伝にはありません」
「わかった。もういい。下がれ」
「はい」
バルボラは小さく一礼をして、部屋を出て行った。
マリクはソファに腰かけた。
(ミハイルは)
アルティミシアが聖痕を持つ、女神の加護を持つ娘だと知っていたのか。
銀の髪・金の瞳の者を探していた、その意味は。
女神の加護を持つ者は、奇跡を起こし、繁栄をもたらす。
ミハイルが、もしそれを探し求めていたのだとしたら。
(排除しなければ)
マリクの地位が脅かされる。しかも。
(排除したら)
婚約誓約書は、無効になる。相手が死んでしまえば、書類は無効化される。
そうすれば、アルティミシアと婚姻を結ぶことも可能になる。
あの、美しい女神の加護を持つ娘と。