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18. 夜会の裏で

 ソールはユリエと一曲踊った後、壁の端へと歩いて行った。盛装した自分がそれなりに見栄えがする自覚はある。間違って声をかけられないように、気配を消した。


 ユリエはすぐに別の男性にダンスに誘われたため、「楽しんでおいで」と手を離した。

 アルティミシアにできた最初の学友、ユリエ・バラーシュ。

 あの世界に名だたるバラーシュ商会のご令嬢だが、庶民の一代男爵の娘というだけで、学院入学当初は苦労したというのをアルティミシアから聞いている。無理もない。学院は貴族社会の縮図だ。


 今回のエスコートが決まってからのささいな会話しかしていないが、それだけでも彼女の空気を読む力が長けているのがわかった。学院のトップクラスに入るほどの努力家でもある。

 普段は庶民らしい口調や態度でも、公共の場では使い分けができている。


 今はミハイルが嫌がらせに関わっていた家を割り出し、逆に弱みを握って抑えをかけているようだが、ああいう手合いは後から後からわいてくる。なくなることはないのだろう。

 でも今日は無礼講。

 普通の夜会とは違い、よほど高い身分とわかっている場合でなければ誰に声をかけても失礼にはあたらない。

 婚約者が決まっている場合でも、社交という意味合いで、ダンスに誘うことくらいは許される。

 楽しんでほしいと思う。

 妹の友人だからなのか、エスコートをしたことで妹のように情が湧いている。


 デビュタントは出会いの場。

 王宮ではなかったが、アルティミシアの下の姉のシルフィーヌは、デビュタントで将来の伴侶と出会っている。そういう意味ではなくとも、ユリエにとっていい交流があればいい。

 ソールは学院の卒業生。デビュタントはもちろん王宮だった。ただその頃にはすでに組織に所属するはめになっていたため、お相手を探すような初々しい気持ちで迎えるようなことはなかったが。


 今日、アルティミシアはデビュタントを楽しんでいるように見えた。

 当初婚約そのものに懐疑的だった妹を見守るために、ミハイルの情報を集めるために、ソールは王都に残った。

 アルティミシアが学院に入学して王都に住むようになって、定期的に会うたびに笑顔が増えるようになった。メルクーリ家の人間には大切にしてもらっているらしい。


 ミハイルは、たたいても埃は出なかった。

 あやしい行動をとってはいたが、アルティミシアの婚約自体に、メルクーリ家の思惑は絡んでいないようだというのが現時点の見解だ。


 今日見た、ミハイルといるアルティミシアは楽しそうに笑っていた。

 ミハイルが、このまま本当にアルティミシアを大切にしてくれるのなら・・・

「!」


 物思いにふけっていた視線の先、まるで内緒で抜け出すかのような自然な動きで、二人の女性が人の間をぬって早足で歩いていくのに目を留めた。

 手を引いている女性が誰かわからないが、引かれているのはアルティミシアだ。遠目ではあるが、どん引きするほどミハイルの独占欲と威嚇の詰まったあの装いを見間違えるはずもない。


(どうする)

 すぐにでも追いかけたいところだが、今はユリエのエスコート。

 すぐには戻ってこないかもしれないが、自分が姿を消してしまったら、彼女は困るだろう。


 婚約者を放って「国の至宝」は何をしている。ミハイルに毒づきながら考える。

 ここは王宮。人目もある。まさかここで、この日に、手を出されるとは思っていなかった。

 逆に王宮だったことが裏目に出たか。アルティミシアに対するこちら側の警護が薄くなる。


「ソール様!」

 下品にならないぎりぎりの早足で近づいてきたのはユリエだった。

「アルティが」

 ユリエが騒ぎにならないよう、声を落としてアルティミシアが連れていかれた方を目で促す。

 ユリエも見ていたらしい。ソールはわかっているとうなずいて示した。


「ダンスは?」

 ソールの問いに、ユリエは大丈夫、とうなずいた。

「ちゃんと踊りきりました」

 お相手に失礼はしていません、言葉には出していなかったが伝わった。

 たしかに音楽は別の曲に変わっている。


「少しだけ一人にしても大丈夫かい?」

 ソールが申し訳なく思いながらもそう言うと、ユリエはぶんぶんと首を横に振った。

「いやこの状況でダンスを楽しむとか無理でしょ。私を一人にするのが心配なら」

 ユリエがぐい、とソールの腕を引いた。

「私が一緒に行けば問題解決。行きましょう」

 迷いなく進む後ろ姿に、ソールは苦笑をもらした。


***


 1曲目を踊り終え、レギーナはエレンとホールの端に寄った。

 わざとエレンにすり寄るような歩き方をして、レギーナは周りからの誘いを牽制した。


「いいの? みんな誘いたそうにしてるけど」

 エレンが小声で言う。踊っている間に、レギーナが敬語はやめてくれと頼んだ。

 最初に聞いたのがミハイルやアルティミシアに対する気安い会話だったからかもしれない。


 エレンは、レギーナには一応伯爵家の令嬢ということで丁寧に接してくれていたが、レギーナはなぜか逆にぞわぞわした。

 本当の名前は知らないが、彼はおそらくメルクーリ家の影だ。

 ミハイルを「お前」呼ばわりしていたが、身にまとう空気の作り方、ダンスをしていた時に一度もぶれなかった体幹、たぶん間違いない。レギーナ自身、騎士としての鍛練を行い、辺境伯家にいる影のことも知っている。この人は、今日うっかりミハイルの無茶ぶりによって「表」に出されてしまったのだ。


「今はいいわ。お相手をありがとう、カイル。体調がよくないのでしょう? 部屋で休んだ方がいいのでは?」

 暗に「ダンスも終わったし、本物のカイルと入れ替わって戻った方がいいのでは」と提案してみたが、エレンはにこりときれいに作った笑みを見せた。

「いや、もう大丈夫。ここで待ってるから、行ってきたら?」

 どうやら本物のカイルは復帰不能らしい。寝ているのか。寝かされているのか。退場したか。

 何のために来た、あの男。


「そう、じゃあお言葉に甘えて・・・って、ねえあれ」

 他のメンツはどうしているか、と姿を探していたレギーナが気づいてエレンに声をかけた時には、エレンももうそちらに目を向けていた。


 ミハイルが男にからまれて話し込んでいる。あからさまに「迷惑」と顔に書いてミハイルは接しているが、男は動じる様子もない。それを少し下がって見守っていたアルティミシアが、急に女性に手を取られて歩き出した。後ろ姿で表情までは見えないが、アルティミシアがミハイルの側を離れようとするはずがない。


「レギーナ嬢。申し訳ないけどちょっとここで」

 言いかけたエレンをレギーナが制した。

「あなたがここで待ってて。もしくはアルティを追いかけて。あなた公の場で顔出し厳禁でしょ? 私が行ってミハイル様を救い出して来るわ」

 ミハイルの様子を見ながら小声で言ったレギーナが、返事がかえってこないことをいぶかしんでエレンに目を向けると、エレンは目を丸くしていた。


「何」

「お嬢さんもかっこいいけど、友達もかっこいいんだなあと思って」

「ちょっと何言ってるかわかんないわね。行ってくる」

 呆れたように言うレギーナに、エレンは口角を上げた。

「ソール様が動いたね。動いたってか引っ張られてるけど。俺は待ってる。ミハイルと合流するよ」

「わかった。ミハイル様をここに連れてくるわ」


「あれはアール公爵家三男ドミニクだ。だからミハイルもはねつけられない。扱いには気を付けて」

 レギーナは歩き始めた足をぴたりと止めて、エレンに振り向いた。

「危ないとこだったわ。情報ありがとう」

 言うだけ言って、またレギーナは歩き出す。その背を見送って、エレンは苦笑した。

「どんな手使うつもりだったんだか・・・」


***


 こんな奴だっただろうか。

 ミハイルは目の前で空気を読むこともなく話し続ける男を観察していた。

 1曲目が終わり、アルティミシアの嬉しそうな顔も見られて幸せな気分に浸っていたところに突然水をさされた。


 まだ移動中だった。ダンスをする人たちの邪魔にならない程度の場所にまでは来ているが、人目がそこそこあるからぞんざいには扱えない。しかも、声をかけてきたのはアール公爵家の三男だったか四男だったか。家格としては同格だけに、下手な対応をすればこの男にではなく対外的に、見ている者たちに、メルクーリ公爵家嫡男が失礼と受け取られる。それは避けたい。


 この男は、名前も覚えていないが、ミハイルよりは年上だ。

 なんでこんな所(デビュタント)にいる。

 どうでもいい話を嬉しそうに、しかもなぜか親し気に話す男にさすがに違和感を覚え始めた頃、アルティミシアがこの男と同伴していた女性に連れ出された。ごく自然に。


 アルティミシアがミハイルを追い越すようにして、手を引かれて通り過ぎる一瞬、彼女の不安そうな目と合った。

(シア)

 夜会での、ましてや年に一度のデビュタントでの騒ぎはご法度。大声を出して止めることもできない。


 アルティミシアも、強く拒んでミハイルに迷惑がかかることかもしれないことを考慮して動いている。

 素知らぬ顔で話し続ける男。遠ざかるアルティミシア。

(待て)

 アルティミシアが奥に入ってミハイルの視界から消えた。

 こんな男、放置して追いかけたい。

 騒ぎを起こしてもいい。もしアルティミシアに何かあったら・・・


 ぴしっ


 ミハイルの目の前で、事故が起こった。いや、レギーナが近づいてきて事故を起こした。

 大きな手振りで話し続けていた男に、レギーナが近づいてつまずき、男の手が見事にレギーナのほおにぴしりと音を立てて当たった。レギーナがよろけて座り込みそうになるのを、あわてて男が支えた。


(ありがたいが・・・)

 力技がすぎないか。ミハイルはつい助け起こすのが遅れてしまった。

「すまない! こんな近くにご令嬢がいるとは気づかなかったんだ」

 男がレギーナを立ち上がらせて、小さな声で平謝りする。騒ぎはご法度なのだ。なるべく小さく、そして早くおさめたい、と男がレギーナに目で訴えている。


 レギーナも「同感だ」という風に小さくうなずいて、

「こちらこそ失礼いたしました。ご歓談中のところ、止めてしまいましたことも重ねておわび申し上げます。慣れないヒールにつまずいてしまいましたの」

 と男にすまなそうに弱く微笑んだ。少し赤くなった頬が痛々しい。


「足も少し痛めてしまったようです。悪目立ちするのも本意ではありませんし、あの壁際にあるソファのところまででかまいませんので、申し訳ございませんが、お手をお貸しいただけないでしょうか」

 騒ぎはご法度。いくら公爵家令息であっても、はたから見れば加害者なのだ。断れるはずもない。

 もっと嫌がるかとも思ったが、男はあっさりとうなずいた。

 熱に浮かれたように上機嫌でしゃべっていたのが嘘のようだ。


「もちろんだ。歩くのもつらいようなら抱き上げ」

「いえ。目立つことは避けた方がよろしいかと」

 レギーナが男の言葉をさえぎって、手だけ貸せとでもいうように、自力で歩き出す。


「では私はこれで。どうぞお大事に」

 ミハイルは前半は男に向けて、後半はレギーナに向けて言った。

 レギーナは一瞬だけ目でエレンがいる方を促すと、淑女の笑みで目礼だけミハイルに返し、男の手を取りながら歩き出した。

(助かった)

 後で礼をしなければ。思いながらミハイルは早足でエレンのいる方に向かった。


***


 早歩きで追うユリエに追い付いて並び、ソールはそっと腕からユリエの手をはずした。

 ユリエは、アルティミシアのことが気になって夢中で追いかけてきてしまい、ソールの腕をつかんで引っ張ってしまっていたことに、今さらながら気が付いて慌てた。


「も、申し訳ございませんっ」

 早歩きしたまま、ユリエはソールにだけ聞こえるような小さな声で、並ぶソールの耳元に向けて言った。本当はちゃんと礼をとって謝りたいが、そんなことをしている場合ではない。

 人当たりがいいから忘れてしまいがちだが、ソールはアルティミシアの実兄、つまりストラトス伯爵家の嫡男なのだ。


 よく振り払わずに従ってくれたものだ。ユリエのしたことは不敬きわまりない。

「謝るのはこちらの方だ。君を巻き込んでしまった」

 ソールは申し訳なさそうに言う。

 本当にできた人、というのはこういう人を言うのだろう、とユリエは思う。

 巻き込ませたのはユリエで、下手をすると足手まといになる可能性もあるのに。


 見ているだけで伝わるくらい、ストラトス家の兄妹は仲がいい。妹のことが心配でたまらないだろうのに、ユリエにまで気遣って。

「!」

(いた)

 追っていき、大きな柱を曲がった先、奥まったところにアルティミシアはいた。

 ソールとユリエは柱の陰に隠れた。


 アルティミシアの手を引いていた女性はアルティミシアから離れている。だが、アルティミシアの前にいるのは。

 アルティミシアがカーテシーをとっているのは。

(王太子!)

 なぜ、こんな所に。周りを見ても護衛はいない。まさか、一人で?


 ふいに冷気のようなぞわりとする感覚に体が震えて、ユリエは隣にいるソールを見た。

 そこには見たこともない鋭い瞳で王太子を見つめる横顔があった。

 別人だと言われても、納得しそうなほど。


 その時向こうで小さな水音がした。何か話しているのが、声としては聞き取れず音として漏れ聞こえた。

 見ると、アルティミシアのドレスに飲み物がかけられて、アルティミシアは王太子に呼ばれてあっという間に集まって来た女性たちに囲まれて、半ば強引に連れていかれようとしている。

(一体、何が)


「こっちに」

 ソールが低い声でユリエの両肩を優しく支えて柱から遠ざけた。

 視界の端、マリクが一人で歩き去るのが見えた。

 ユリエを隠してくれたのだ、というのがわかった。


「行ってください。私はここで待ってますので」

 ユリエは様子をうかがっているソールに言った。

 自分は足手まといだ。王太子を見て思った。

 商人の娘ごときが関われる案件ではない。

 何か大きなことに、アルティミシアが巻き込まれている。


 ソールはユリエに振り向いた。

 先ほどの鋭い空気が嘘のように、いつもの、穏やかな笑みで言う。

「君をここに残していくのは心配だ、そういえばさっき『一緒に行けば問題解決』、って言ってたね。今から行きたいところがあるんだが、ついてきてくれるかい?」

(言ったけど! 勢いで言ったけど!)

 それは現時点でもアリなのか?


「いいいいいいんですか? 足手まといになるだけじゃ」

「だとしても、ここに置いてはいけない。ここは敵地だ」

「敵地」

 ユリエは繰り返した。デビュタントで王宮に来ていたのだと思っていたが、違ったのか。


「足手まといにはならないが、後で少しの面倒はかぶってもらうことになるかもしれない。先に謝っておくよ。あんまりな時はフォローする」

 穏やかな笑みのまま、ソールがゆっくりと言い聞かせるように、物騒なことを言う。

 面倒って何ですか。あんまりな時ってどんな時ですか。あとフォローって。

 聞きたいが、聞ける空気でも状況でもない。


「わ、わかりました・・・」

 ユリエの返事に、ソールはうんとうなずいて、人差し指を自分の唇に当てて、いたずらっぽく笑う。

「今から行くところも、会う人も、内緒だよ。アルティにもね」

 どうして今ここでそんな無駄な色気を出すかな。

 ユリエは言葉もなくこくこくとうなずいて、ふらふらとソールについていった。

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