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17. デビュタント

 王宮の敷地内にある離宮のホールは、よく夜会に使用される。

 屋内だけでなく外の庭園にもいくつもの照明が灯され、ライトアップされた風景は昼間とは全然違った優雅な雰囲気を醸し出す。

 ただ、今夜は少しだけ趣が異なる。今日は年に一度の、王家主催のデビュタント。


 デビュタント自体の参加は基本成人年齢を過ぎればいつでも、どの夜会でもいいのだが、王家主催はその一番規模の大きなものになる。

 集うのは若年層ばかり。普段とは違い、ざわめきもどこか甲高く、緊張感のある初めての大人の空間に、浮足立つような、落ち着かないような初々しい空気が漂っている。



 ホールの隅。アルティミシアたちは、夜会が始まるのを待っていた。

「ふえー。緊張したー。もう帰りたい」

 ユリエのぼやきに、アルティミシアは苦笑だけをかえした。緊張したというのは同感だ。アルティミシアもすでに一仕事終えた気分でいる。


 学院の生徒はほとんどが王家主催の夜会でデビュタントを迎える。

 それに倣って、ミハイルとアルティミシアも参加している。ユリエも、レギーナもだ。

 王家主催のデビュタントに限り、王との謁見、挨拶が夜会の前に行われる。

 人数が多いため行列を作って順番を待ち、一言があるかないかくらいの流れ作業だが、緊張することには変わりがない。


 ミハイルは公爵家のためその順番は早く、エスコートされるアルティミシアもそこに同伴することになったため、謁見は早かった。

 さすがに王家と遠戚にあたるメルクーリ家は一言挨拶では済まなかったが、ミハイルが対応してくれたためにアルティミシアは楽なものだった。特におかしな質問をされることもなかったし、定型の質問をされてもディスピナに教わった通りの返事をした。ただ、王に並んで座る王太子マリクの視線を謁見の間中ずっと感じて、目を合わせることはなかったが、少し怖かった。マリクはミハイルを敵視しているというから、その婚約者が気になったのだろうか。


 辺境伯家であるレギーナはその少し後、ユリエは男爵家のためほとんど最後の方の謁見になり、ユリエは慣れない空気と緊張感で、並んでいる間に消耗してしまったらしい。謁見が終わってホールの隅に集まった時には、もう弱音を吐いていた。


「何言ってるの。謁見は王家主催の時だけのオプションよ。夜会(デビュタント)はまだ始まってもないのに」

 レギーナが呆れたように笑う。王家の挨拶をオプションと言いきるところがレギーナらしくて、アルティミシアはくすりと笑う。


 今日はレギーナもユリエも、制服とは違って盛装していて、別人のようだ。

 レギーナは目鼻立ちがくっきりしているし、鍛えていて所作もきれいだから、盛装すると映える。

 ユリエも「誰これ」と自分で言うくらい、普段と全然雰囲気が違って、かわいらしい。

 謁見が終われば夜会が始まる。そうしたら、きっと二人はひっきりなしに声がかかる。


 アルティミシアはミハイルと踊れればそれで充分だった。明らかにミハイルの持つ色を多用した、それでいてうるさくなく上品にまとめた装いをしているアルティミシアに、声をかけることのできる男性はそうそういないだろう。この状況でミハイル以外に踊るとすれば、ここにいる・・


「せっかくだから、帰る前に1曲はお願いしたいかな」

 ユリエの『もう帰りたい』発言をいじって苦笑するソールに、ユリエは真っ赤になって恐縮した。

「申し訳ありませんっ。そういう意味じゃないんです!」

「一生に一度だから、楽しい思い出を作るといい」

 わかってるよ、という風に穏やかに笑うソールに、ユリエは言葉も返せずにこくこくとうなずいた。

 今日のユリエのエスコートが、ソールだった。


 ユリエには恋人も婚約者もいない。

 その場合、親兄弟や親戚の男性がエスコートするのが通例だが、ユリエの父は『世界のバラーシュ』大商会の会長でもある。

 単純にスケジュールが合わないというか、この国にすらいなかった。

 ユリエは一人っ子で、他の親戚は庶民だ。


 そこで、王都に滞在しているソールに、アルティミシアが頼んだ。

 ソールは23歳、適齢期ではあるが、いやもう若干過ぎているが、まだ婚約者は決まっていない。打診はそれなりにあるようだが、なぜか断り続けているらしい。今は王都の特産品店が好調だが、ストラトス家の経済状況があまり思わしくなかったせいかもしれない。


 アルティミシアの既に嫁いでいる二人の姉の内、上の姉のダナはデビュタントの時すでに婚約者が決まっていたためエスコート相手はいたが、下の姉のシルフィーヌのデビュタントの時は、王宮ではなかったが、ソールがエスコートをしている。


 普段夜会に出席することはないソールだが、エスコート慣れはしているだろう。そう思って声をかけてみたら、快諾してくれた。

 事前に知らせていただけあって猶予もあり、ちゃんとドレスやアクセサリーもユリエのために準備したらしく、ユリエは「エスコートを引き受けてくれただけでもありがたいのに」とひどく恐縮していた。


 やはり兄は格好いい。盛装も、緊張をほぐす優しい言葉も、こういう気配りのある振るまいも。アルティミシアの中でまた兄の評価が爆上がりする。

「全部持っていくんだよな・・」

 隣にいたミハイルが小さく何かつぶやいた。周りのざわめきのせいもあって、聞き取れない。

「え?」

 アルティミシアが首をかしげると、ミハイルは同じように首をかしげるだけで、何も言わなかった。



「ねえカイル大丈夫? 焦点合ってないけど」

 レギーナが、今日のエスコートをしにわざわざ辺境から来てくれた従兄を見上げる。

「いや、危ういな・・」

 カイルは顔色が悪い。青いを通り越して白い。聞けば王宮どころか王都に来るのも初めてだという。辺境で騎士隊にいるのだから無理もない。その彼が王の謁見で緊張のピークを振りきったらしく、体調がすぐれないまま回復しない。


 レギーナにも婚約者はいない。

 レギーナの父、パヴェル辺境伯は遠い王都までの往復で長期間留守にすることができない。そしてレギーナに、幼い弟はいても兄はいない。


 辺境伯家ではずっと男子が生まれず、七女レギーナまできて、あきらめかけたところに待望の男子が生まれた。上の姉たちは領内の騎士と結婚しているが、弟が生まれなければ跡取りを婿にとる予定だったレギーナは、騎士としての鍛練のほかにもいろいろな教育を受けた。それが弟誕生によりお役御免になり、レギーナは学院入学を志望した。


 弟が生まれて、少し自分の居場所を失ったような気がして、逃げ出したかったのもあるかも、と苦笑まじりにアルティミシアとユリエに話してくれたことがある。

 なので、エスコートは苦渋の従兄、ということらしい。


 謁見の時、話すのはデビュタントの本人だが、エスコートする者も同伴する。その時にユリエと同じく気力を使い果たしてしまったようだ。ユリエと違い、王とは何も話していないはずだが。

「ダンス以前に立っているのもつらそうだな。カイル殿、こちらへ」

 見かねたミハイルがカイルを連れて行こうとする。


「ミハイル?」

 アルティミシアが声をかけると、ミハイルはにっこりと笑った。

「大丈夫。任せて」

 数分後。ミハイルが連れて戻って来たのは変装したエレンだった。


「むちゃくちゃだよ・・」

 エレンは渋い顔をしてアルティミシアに小さな声でぼやいた。

 エレンはミハイルの護衛で影だ。王宮は警護が厳しいが、どこかしらに潜んでいたところをミハイルにつかまったのだろう。


 いつもの黒髪を隠して、髪質も違うからかつらだろう、栗色の髪をしている。どこで調達したのか気になる。

 カイルと同じ髪型でも髪色でもないが、まあ寄せてはいる。

 服は交換したのか、カイルが着ていたのと同じ服を着ている。


「背格好が似ていてよかったですね」

 アルティミシアは小声でささやいた。

 純粋に「うまく似せている」とほめたつもりだったが、エレンはため息をついた。


「お嬢さん。知らないかもしれないけどここ王宮だよ」

「知ってます」

「俺はここにいるべき人間じゃないんだよ」

「よくお似合いです、カイルさん」

 アルティミシアがにっこり笑うと、エレンは脱力した。


「普通の夜会だと難しいだろうけど、デビュタントのエスコートなんて、お互い顔も名前も知らないのがほとんどだから。謁見すませてれば問題ないよ」

「お前が言うな」

 ミハイルの言葉をエレンがくいつくように否定する。


「久しいな、カイル殿」

 ソールも乗っかった。そういえば、アルティミシアの無事を知らせるために宵の明星亭に行ってくれたのはエレンだ。面識はある。

「私は辺境にて騎士をしている者です。おそれながら、あなた様にお会いしたことはないかと」

 エレンは薄い笑みで、優雅にソールに礼をとった。若干やけくそ気味だが、そんなこともできるのかとアルティミシアは感心した。ソールがくすくすと笑っている。


「体調は戻ったのね? カイル」

 レギーナがカイルに、いやエレンに微笑みかけた。レギーナはエレンを知らないが、助っ人だと認識してやり通すつもりだ。さすがレギーナ。


 その時喧騒が、しん、とおさまった。

 謁見が終わり準備が整ったのだろう、いいタイミングで曲の演奏が始まった。

「踊っていただけますか?」

 ミハイルがアルティミシアの手を取った。アルティミシアは返事のかわりに最上級の笑みを返した。



 1曲踊った後、ミハイルは男性に声をかけられた。アルティミシアは面識がないが、知り合いなのだろう、ミハイルも驚いた様子はない。

 見た目の年齢的にデビュタント、というには少し年上の感があったが、女性を同伴している。婚約者だろうか。


 明らかに好意的でない態度で男性に対応するミハイルにはらはらしていると、同伴の女性が

「殿方のお話はもう少しかかりそうですから、こちらに」

 と、アルティミシアが返事をする間もなく手をとって自然な動作で歩き出した。

「あの、どちらに」

 取られた手を振り払うわけにもいかない。相手が誰かもわからない。不敬にあたってはいけない。

 人波をするするとすり抜けて、あっという間にホールから出てしまった。


 抵抗できないままにアルティミシアが連れてこられたのは、会場内の端、少し照明の落とされた、人気のない一角。壁際のテーブルには飲み物やつまめるものが置いてある。休憩所のようなスペースだ。

「まだ喉は乾いておりません。戻らせて・・・」

 女性の手が離れたため、アルティミシアが少し強い口調で言いかけたところに、

「ストラトス嬢?」

 後ろから声がかかり、アルティミシアは振り向いた。


(何で)

 そこにいるのは王太子マリク。しかも、見たところ一人だ。供をつけていないなど、いくら王宮内でも今は夜会、ここは会場。あり得ない。

「こんなところで何を? ミハイルは?」

 マリクは笑みを浮かべて問いかけてくるが、アルティミシアは背筋がぞわりとして立ちすくんだ。

 不自然だった。その表情も、言葉も、状況も。

 でも、ここで礼を失すれば、困るのはミハイル。ひいてはメルクーリ家。


 アルティミシアは気力で淑女の笑みを浮かべた。

 最上級の礼をとる。

「先ほどの謁見にてはご臨席賜りましたこと、ありがたく存じます、殿下。また名を覚えていただきましたこと、光栄にございます。殿下こそ、お一人でいらっしゃるのは危険です。どなたか・・・」


 その時、アルティミシアを連れてきた女性が、持ってきた二つのグラスを持ったまま、足をひねらせてアルティミシアに寄りかかった。

 ぱしゃり。

 グラスに入っていた濃い色の果実水が、小さな音を立ててアルティミシアのドレスの前面にかかる。

「申し訳ありません! ご歓談にと思いお持ちしたのですが」

 おろおろする女性と、見事に広範囲にかけられた果実水を交互に見ながら、アルティミシアは呆然とした。

(やられた)


 ここから早く逃げなければ。思ったが、マリクがそれを許さない。

「これはいけない。そのままで帰らせるわけにはいかないね。こちらへ。誰か」

 マリクが声をかけると、見計らったように女性が何人か早足で近づいてきた。


「いえ、私は」

(ミハイル)

 アルティミシアは振りきって戻ろうとした。が、回り込んだ女性たちに進路を阻まれる。

「これでは戻れませんよ。さ、こちらへ」

 口調は優しいが、女性たちの表情は少しうつろでアルティミシアは息を呑んだ。


 王宮でのデビュタント。しかも王太子の御前。騒ぎは起こせない。大声は出せない。

「心配はいらない。ミハイルには伝えておこう。じゃ、頼んだよ」

 マリクは薄く笑んで、そのまままた一人で歩き去った。


 アルティミシアは腕を取られ、女性たちに囲まれるようにして、会場から少し離れた控室のようなところに連れていかれた。

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