11. 顔合わせ
一月後。
アルティミシアは両親とまた王都にいた。
今度は宵の明星亭ではない。メルクーリ家別邸だ。
メルクーリ家から、両家の顔合わせの招待が汽車の往復切符とともに届いたのは、アルティミシアがストラトス領に帰って、一週間ほど経ってからだった。
今は社交シーズン。
裕福な貴族や高位貴族は王都のタウンハウスでこの時期を過ごすが、弱小貧乏伯爵家のストラトス家は領地経営が精いっぱいで、社交シーズンだからと王都に滞在する習慣もない。
だがメルクーリ公爵夫人はシーズンが終わると領に帰ってしまう。その前に全員を王都に集めよう、ということだろう。
メルクーリ家には王都に本邸と別邸があるらしく、顔合わせをするのは公爵夫妻のいる本邸。
ミハイルからの直筆の書状には、一月もない急な招待であることの謝罪とともに、準備する時間もなく、またできたとして大荷物での大移動になるのを避けるため、手ぶらでメルクーリ家別邸に来てほしいというものだった。
公爵家の言うことは基本断れない。実際準備ができないストラトス家には、それはありがたい申し出だった。
そして今度は、出欠確認があった。
事実上公爵家からの招待より優先される用事などないので、まあ出席しますとはなるのだが、婚約の時は、アルティミシアが知る前に婚約誓約書ができあがってしまっていたこともあり、聞かれもしなかった。
断れはしないが、形だけでも聞いてくれる姿勢は、精神的にありがたい。
今回は、端々に気遣いが感じられた。
すべてこちらが準備しますというのは施しだととらえられかねないため、貧乏伯爵家の名誉を守るために「準備期間がないから」「大荷物になるから」「どうせなら一緒に本邸に向かおう」と、だからこちらで準備させてほしいのだと書状には書き綴ってあった。
流麗な文字で、最後にはミハイルの署名が入っていた。
顔合わせの前日に汽車で王都に向かい、待っていてくれた馬車でメルクーリ別邸に到着し、ミハイルに出迎えてもらった。
リラックスしてほしいからと、ストラトス家だけでの食事を提供してもらい、湯浴みと寝室をアルティミシアと両親にそれぞれ準備してもらった。
翌朝も家族だけで朝食を摂り、それぞれに侍女がついて身支度を整えてもらった。
アルティミシアについてくれたサリアという侍女は、ほっそりとした、落ち着いたきれいなお姉さんといった雰囲気だったが、彼女は妥協を許さない性格だった。限りある準備期間で、アルティミシアは磨き抜かれた。髪は見たこともない複雑な形に編み込まれ、年齢相応に少しおろされた。「素の良さを活かすため」化粧は最小限にとどめられた。アルティミシアはそれを「童顔が厚化粧しても似合わない」と解釈して納得した。
ミハイルの準備したドレスは、透明感のあるエメラルド色の目の細かい紗の布を何層にも重ねた、大人ぶりもせず、子供っぽくもない、絶妙なバランスを保ったデザインだった。
アルティミシアは銀の髪に黄水晶のような明るい黄色の瞳をしている。持っている色彩が薄いため、淡い色の服だとぼやけてしまうが、かといってくっきりしすぎると服に着られているように見えてしまう。
その辺りも考慮した、計算しつくされたドレス。
ただサイズがぴったり過ぎてこわい。既製服ではない。あとどう考えてもこれはミハイルの瞳の色だ。
両家の顔合わせにこれはいいのか?
いや顔合わせだからむしろいいのか?
アルティミシアがぐるぐる考えている時に、ノックが鳴った。
サリアが360度見回して、完成を告げたちょうどいいタイミングだった。
「開けますがよろしいですか? お嬢様」
サリアがアルティミシアをのぞきこむように声をかけた。
「はい、あの、サリアさん」
様付けを禁じられたので、さん付けで呼ぶ。
サリアはにこりと笑む。
「なんでしょう」
「こんなにきれいにしていただいたのは、初めてです。ありがとうございます」
アルティミシアが笑顔でドレスをつまみ小さく礼をとると、サリアはんぐ、と何かをこらえるような顔をしたがすぐに笑顔に戻った。
「私もまんぞ・・・んんっ、いえ、お気に召していただければ幸いです」
美しい礼をとって、ドアを開けに行った。
ノックをしたのはミハイルだったようだ。
「すまない、まだだったか」
戸口の方で声が聞こえる。
「いえ、完璧です」
サリアのきりっとした声が答える。
ミハイルが部屋に入って来た。ミハイルとは昨日別邸に到着した時に出迎えてもらって以来だ。
昨日の服装ももちろんちゃんとしていたが、礼装に近い服に身を包んで髪も整えたミハイルは、(イオエルとしての) 顔を見慣れているアルティミシアでも、まぶしくて直視しづらい。
だがここまで準備を整えてくれたミハイルに顔をそむけるなどと失礼なことはできないので、ちゃんとミハイルの顔を見て、淑女の笑みを浮かべる。礼をとって腰を落とした。
「メルクーリ様、このたびは」
「ミハイルと呼んでほしい。あと、ちゃんと立って見せて」
感謝の言葉はさえぎられてしまった。後にしよう。アルティミシアはぴっと背筋を伸ばした。
ミハイルはアルティミシアの少し距離をとった正面で、アルティミシアを見たまま固まっていた。
「サリア」
ミハイルが視線を動かさないまま控える侍女に声をかけた。
「はい」
「完璧だ」
「おそれいりいます」
サリアが目を閉じて小さく礼をした。
「あの、メルク・・・ミハイル」
アルティミシアがミハイルの直視に耐えきれずに目を逸らして呼びかける。
貴族同士はあまり目を合わせない、というのが一般常識的にアルティミシアの頭の中にはある。親しくなれば別だが、目の奥にある感情をお互いに読ませないための、それは言わばマナー。
でもミハイルは、いつでもアルティミシアをまっすぐに見る。まだ、親しくはないのに。
「ああ、すまない。見とれた。普段は普段でいいけど、今も雰囲気が違っていていいね」
「お・・・恐れ入ります・・」
その顔に言われても。とは思ったが、さすがに口に出して言えない。あとミハイルの知る「普段」の顔は、アルティミシアの寝顔と寝起きだ。あと昨日出迎えてもらった旅疲れの一瞬。それしかミハイルは見ていない。素顔ではないにしろ、あれを「普段」と認識されるのは若干いたたまれない。
「ソール様はもう少しで到着すると先触れがあった。忙しいのに申し訳ないが、出席いただけるのは嬉しいよ」
ミハイルは自然な動作でアルティミシアをソファに導き、座らせた。ミハイルはその向かいに座る。
視線でうかがうサリアに、ミハイルはお茶は時間がないからいい、と指示を出した。
メルクーリ家からの顔合わせの案内には、ソールの名前もあった。嫡子だから、というのはあるだろう。通常多少なりと家同士の付き合いがあってからの婚約となるはずが、今回すべてがすっとばされている。
ソールは、あれから一度も領に帰らず、ずっと王都にいる。店の経営が忙しいらしい。
だから、ソールだけは直接この別邸で家族と落ち合い、本邸には一緒に向かうことになっていた。
「あ、兄の汽車の往復切符、お返ししますね」
案内状に同封されていた汽車の往復切符には、兄の分も含まれていた。
「いや、それは・・・。今さらだけど、アルティミシアと呼んでも?」
そういえば今さらだった。前回のお茶会で、ミハイルはすでにアルティミシアを名前呼びしている。
けれど、こうやって改めて確認してもらえるのは、気遣いが感じられて嬉しい。
今日やっと初めて、一から話ができているような気がする。
婚約に至る事情がどうであれ、関係を育んでいけるならそれに越したことはないし、相手がそれを望んでくれるのなら、なおさらのこと、もう遅いということもない。
自然と笑みが浮かんだ。
「はい。でも私は、この後の顔合わせではミハイルのことメルクーリ様って呼びますよ? さすがにご家族の前では・・・ミハイル?」
なぜかミハイルが片手で顔をおおうようにして、何かに耐え忍ぶような顔をしているので話を中断した。
昨日の夕食と今朝の朝食には「家族水入らずでリラックスしてほしいから」と同席しなかったミハイルだが、実は自身の多忙のためにかなわなかったのだろうか。
「もしかして、ご多忙すぎてお疲れなのでは」
「いや、大丈夫。ごめん。破壊力が強すぎて意識がちょっと飛んだ」
「意識が飛ぶなんてやっぱり」
ミハイルの言葉遣いが素になっている。あと破壊力とは。
「いやほんとに大丈夫。あとサリア」
ミハイルが指の隙間からちらりと、アルティミシアの側に控える侍女に目を向けた。
「はい」
「予想以上だ」
「おそれいります」
サリアが小さく礼をとる。
ミハイルははー、と息をつくと、アルティミシアに苦笑した。
「ごめん。ちょっと緊張していたみたいだ。二人の時は素で話そう。その、笑顔を向けてもらえるとは思ってなかったから、刺さっ・・・いや、嬉しくて。嫌われても仕方がないとも、思ってたし」
アルティミシアにはミハイルが緊張していたようには見えなかったが、素の言葉で話してくれる方が気持ちを繕っていないようで、アルティミシアも嬉しい。
派閥にも中央の事情にも詳しくないアルティミシアにはまったく想像もつかないが、強引に婚約を進めなければならなかった事情が、きっとあるのだろう。一目ぼれだからと言ってしまった以上、ミハイルの口から本当のことは聞かせてもらえないだろうが、それでも、ミハイルは歩み寄ろうとしてくれているのは伝わる。事情があるから仕方なくの措置だと言って、形だけの結婚をするという選択肢も、あったはずなのに。
あと、この婚約は基本覆らないであろうことも、認識している。
イオエルの魂を持つミハイルが、手ひどい裏切りをするようには、感覚的にだが思えない。
それなら、受け入れて最善を尽くす努力をする方が、意固地になって立ち止まるより、きっといい。
気持ちが楽になった気がして、あふれるように笑みがこぼれた。
「まだ嫌いになれるほどの交流もしていません。ミハイルが言ってくれたように、たくさん話をしたいです。知って、いきたいです」
アルティミシアの言葉に、ミハイルは少し呆けたような顔をして、その後嬉しそうに笑った。
「ありがとう」
素直な笑顔は、ミハイルを年相応な少年に見せていた。
「余った手持ちの汽車の切符は、アルティミシアがそのまま持っていてくれていいよ。メルクーリ家は鉄道事業に出資してるから、言ってみれば乗り放題なんだ。俺は来年から学院だからここに住んでるし、ストラトス領は言っても遠い。俺も会いに行くけど、アルティミシアも気軽に使って、王都に来てほしい。王都にはストラトス領の特産物の販売店もあるしね。何なら見せるだけで乗れる乗車許可証みたいなものを作ろうかと」
「いえそれはさすがに!」
アルティミシアは固辞した。金銭の価値観が狂いそうでこわい。
本当にこのまま結婚するとなった場合、この公爵家クオリティにも慣れなければならない、のかもしれないが。
まだ早い。急に決まった婚約は、急になくなる、かもしれない。覆ることはないだろうと思いながら、信じきれない自分も確かにいる。
「でも・・・」
ミハイルが言いかけた時、ノックが鳴った。サリアが対応に行く。
サリアに促され、入室してきたソールをミハイルは立ち上がって迎えた。
「ストラトス様、ご足労いただき、感謝いたします」
「遅れて申し訳ありません。ストラトス伯爵家長男、ソールです」
向かい合い、背が高く体格もそこそこいいソールが頭一つ下のミハイルに礼をとる。ミハイルは慣れているのか、貴族の笑みで応えた。
「メルクーリ公爵家長男、ミハイルです。どうぞ楽になさってください。時間にはまだ早いくらいです。よろしければ、ご家族とご歓談を」
ソールはアルティミシアが見たことのない薄い笑みをして、今度は軽く礼をとった。
「恐れ入ります。そうさせていただきます」
「アルティミシア、時間になったら呼びに来るよ。ご両親のところに行く? それともこちらにお呼びする?」
貴族の笑みのままうなずいたミハイルが急に話を振ってきて、アルティミシアはうろたえた。
「え、あ、そうですね・・・」
「私たちが移動しましょう。ご案内いただけますか?」
ソールが引き取って答えた。ミハイルはサリアに案内を指示して部屋を出て行った。
「驚きました、お兄様」
アルティミシアがソールに近寄って顔を見上げる。
「何が?」
首をかしげるソールは笑みを含んで、いつもの穏やかな兄の顔。
「あんなきちんとした対応をされているのを見たことがありませんでしたので」
妹の言いように、ソールは苦笑した。
「一応嫡男だからね。学院でああいうのを習うんだよ。それよりアルティ、きれいにしてもらったね、誰かと思ったよ」
ソールはいつものように頭をなでようとして、髪型が崩れることに思い至ったのか、ぴたりと手を止めて下ろした。アルティミシアはこんな盛装をしたことがないから、とまどったのだろう。
その様子がおかしくて、くすぐったくて、照れくさくて。笑いが漏れる。
「私も驚いています。そちらのサリアさんの腕がいいのです」
ソールがサリアの方を向くと、サリアは目を伏せて小さく礼をとった。
「お兄様こそ、恰好いいです。実は少し心配しておりました。ちゃんとできるのかと」
ソールも、服装はきっちりと上質で品のいい上下に包まれて、薄茶の髪も自然に前髪を流し、形のいい額と紺の瞳が見えている。領でこんな格好をしているのを、見たことがない。
ソールは笑いながらアルティミシアの額を指でぴん、とはじいた。
「いたっ」
「ちゃんとって何だ。子供じゃないんだから。・・・あ」
ソールは視線を感じてサリアを見た。サリアは笑顔で固まっている。
「あ、あの、お化粧は取れていない、と思います」
少し赤くなっているであろう額を片手で押さえながら、アルティミシアがフォローする。
「後で、お直ししましょうね。ストラトス様、本日だけは、お嬢様にお触れになりませんよう」
「すみません、気を付けます」
ソールは苦笑した。
「そ、そろそろ移動しましょう。時間もそれほどないですし、サリアさん」
アルティミシアが促すと、サリアは柔らかい笑みに戻った。
「かしこまりました。どうぞこちらへ」
両親と合流したものの、さほど時間が経たないうちにミハイル自らが呼びに来た。
そのまま2台の馬車を使って移動し、本邸に着く。
顔合わせには公爵夫妻とミハイルのほかにミハイルの弟シメオンもいて、ストラトス家に紹介された。
持つ色合いはそれぞれだが華やかな印象の公爵夫妻とミハイルに対し、ずっと伏し目がちなせいか、シメオンの印象は少し暗い。
12歳というが、挨拶の時には緊張していたようで笑みもなく、ミハイルが歳のわりに堂々としているせいか、余計に幼く見えた。人見知りなのかもしれない。
アルティミシアも緊張していたが、両親がそれを上回りすぎていて、そちらにはらはらしているうちに、逆に冷静になれた。ストラトス家側で一番落ち着いていたのはソールだった。
学院を卒業しているし、最近は商談も多く、人慣れしているのかもしれない。
アルティミシアの中でもともと高い兄の評価が、さらに爆上がりした。
メルクーリ公爵は、蛇ににらまれたカエルのようなストラトス伯爵夫妻に配慮したのか、「どうか楽にしてほしい」を繰り返した。およそ貴族対応ではない、気さくな雰囲気で話題を振ってくれた。
さすがだと思うと同時に、申し訳ないというか、いたたまれない。
アルティミシアが早く終わりますようにと祈っていたのがだだ洩れていたのか、メルクーリ公爵は、
「うちには息子たちしかいないから、こんなに愛らしい娘ができるなんて嬉しいよ。どうか今後とも家族ぐるみの付き合いをお願いしたい」
と、公爵が弱小貴族相手に気遣いの塊のような言葉で場をしめくくった。
メルクーリ公爵は「また今度ゆっくり話をしよう」と笑顔でアルティミシアに言葉を残し、仕事のために王宮へ向かった。シメオンはそれに連なるように部屋を出て行った。
「アルティミシアさん」
場を乗り切った安心感からか、少し放心状態になっている両親をアルティミシアが視線で労っていると、メルクーリ公爵夫人から声をかけられた。
肩がぴくりと震えてしまったが、気力で抑える。
「はい」
貴族は優雅な動きを重んじる。ゆっくりと、意識して公爵夫人の方に体を向けた。
振り向いた先、公爵夫人の表情は、貴族の薄い笑み。
「少し二人で話がしたいの」
「母上」
アルティミシアが返事をする前に、ミハイルの制止が入った。
声だけでなく、公爵夫人とアルティミシアの間にミハイルがすべり込む。
公爵夫人は美しい顔に深い笑みを浮かべた。迫力がありすぎて怖い。
ミハイルの顔は、背を向けられているから、見えない。
「少しだけよ。でもご家族をお待たせすることになるから、あなた、くつろげるようにご案内して差し上げて? ストラトス伯爵、お嬢さんを少しお預かりしますね?」
「ど、どうぞ・・・」
ストラトス伯爵が答えたため、ミハイルの制止は黙殺された。
取って食われるわけではない。大丈夫。たぶん。
アルティミシアは自身に言い聞かせた。