白いドレスの女
意識が朦朧としていた。
「兄さん」
女の声がして、白くやわらかい手が頬にふれた。疲れ切って眠っていたエズラを、その手が優しく揺り起こそうとする。
母だろうか。
だが、母がこうしてエズラの寝顔を見守ってくれたことは、ほとんどなかったのに。
「エズラ、……兄さん」
目を開けるとフラニーがいた。優しい目をしている。慈しむような目でエズラを見上げていた。
亜麻色の髪に色白の頬。はかなげな笑み。妹のことを初めて美しいと思った。天使のようだったのだ。
「フランシス、お前は天使みたいだ。美しい」
エズラが微笑んで言う。
「兄さん、エズラ」
フラニーがこの上なく優しい声音で言った。長い冬の一日の終わりに、母親が幼い子どもに向けて子守唄をうたってやる。優しい、やさしい、温かい声だった。
妹の白いドレスが赤くそまってゆく。惜しいことだ。白はずいぶんと綺麗な色なのに。みるみると、どんどん。赤い色は止めようがない。痛みさえ感じなかった。
「兄さんはね、女に殺されるのよ」
誰か女の声がきこえた。怒りと憎悪に満ちた声、冷酷さと内なる激情のまじった声。それは悲しいほどの憎しみだった。
目の前に立って短剣を手にしている女が誰だかわからなかった。妹はどこに行ったのだろうか?
大勢のレイドゥーニアの戦士たちが見ている前で、宮殿の門が開いた。女が一人、出てくる。白いドレスの女。血が染みて、胸の前に広がっていた。
レネーは戦士たちの前で女を見つめている。女はゆっくりと近づいてきた。手にエズラの首をもって。
誰も何も言わなかった。息さえつかない。
フラニーはレネーの足もとにエズラの首をおいて、低い低いお辞儀をした。
宮殿はついにレネー・ウィゼカの手に戻ったのだ。
「フラニー、大丈夫なの?」
リリィはフラニーが屋上でぼんやりしていると、わざわざそう訊いてくれる。
「ええ、平気よ」
機械的に答えた。
「顔色が悪いわ。ねえ、ここは寒いでしょう?宮殿の中に入りましょう」
リリィが顔をのぞきこんで言う。
「いいえ、ここがいいの。ここが好きなのよ。高い峰の上がね。ほら見て、雲が下を流れてゆくわ」
フラニーが夢見心地で言った。
リリィは義妹に言われた通りに下をのぞいてみる。霧のような雲が流れ動いていた。遥か下に山麓が見える。めまいがした。
「めまいがするわ。高いところは苦手なの。見れないわ。ほら、足がふらふらする」
フラニーはよろめくリリィの肩を支えてくれた。
寝室で白湯と肩掛けを出してくれる。リリィはベッドの上に座ってありがたく頂戴した。
「領地に帰るわ。娘たちが心配なの。もしよかったら、あなたも来る?」
フラニーが暖炉の近くに立ってきく。
「リシャールもいるのね?」
「ええ」
フラニーが答える。
「レアの子どもたちも?」
「ええ」
リリィの顔が一瞬こわばった。
「エズラののこした子どもの命は、あなたとレネーが握っているのよ。レネーは謀反をおそれて排除しようとするかもしれない。でもあなたは、そうはしないでしょう?一度だけ会ってあげて。もし許してくれるのなら、子どもたちの面倒は私が見る。娘はあの子たちのこと、友達だと思ってるのよ」
フラニーがすがるように言う。
兄ののこした子どもたちのことを可哀想に思っていたのだ。ひょっとしたら、兄殺しの償いをしたかっただけかもしれない。娘と一緒にいるところを見て、母親らしい愛情にとりつかれたのかもしれない。
「そのことならもう決まってるの。レネーが決めたのよ。クローヴィスは宮殿で育てるわ。ちゃんとした教育を受けさせるの、一流のね。アンヌとオデットは、まだ決まってないわ。でも、レネーもあなたが育ててもいいって言ってくれるでしょうね」
レネーはクローヴィスには一切会わなくてよい、と言ってくれた。幼い子どもには申し訳なかったけれど、安堵してしまう。クローヴィスは父親にそっくりなのだ。
だが、フラニーの甥っ子や姪っ子への女らしい愛情を見ていると、気持ちが揺らいだ。つまるところ、子どもに罪はないのだ。父親のことをかんがみると、やはり彼には庇護が必要だった。ひょっとしたら、自分があの子を守ってやるべきなのかもしれない。
「フラニー、甥っ子が心配なのね。私やレネーに邪険にされるんじゃないかって。でも私はあの子のことをちゃんと面倒を見るわ。人が尊敬するような子にしてみせるから」
フラニーは領地への旅路を急いだ。領主館はエズラの死の混乱に乗じて、襲われ、破壊されているかもしれない。
館の女主人を家令のフィメルと幼い女領主のヴァレンティーヌが出迎えた。書斎には思いがけぬ人物もいた。
稀代の悪女、メアリー=ジェインである。




