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 夜など女の声が聴こえるような気がする。優しい、歌うような声が。


 ジョンは背中を木に寄りかからせて座っていた。向かい側の木に小石を投げている。


「眠れないのか?」

 レネーはたずねた。


「ああ」ジョンが言う。「ここまで来るのに大勢が死んだ」


「あのキラキラ光る粉は悪魔の発明品だな。奴らは風向きをちゃんと読んでいる」


「大した奴らだ。いまいましい」

 ジョンがつぶやく。



 それでもあと少しでエル城にたどり着けそうだった。援護に行くのだ。リリィやメアリーのもとへ。あんなにもはっきりとしていた死の予感は結局、気のせいだったに違いない。メアリーと会って言葉を交わせる。彼女はきっとエル城にやってきたジョンに笑いかけてくれるだろう。そうして、長いまつ毛の縁取ふちどる黒い瞳を見つめる。あの、なんとも言えない魅力をたたえた瞳を。



 湖の上に石橋がかかっていた。


「見ろ、いい眺めだ」

 ジョンが横を向いて言う。


 それはたしかに美しい景色だった。青く風にさざめく湖と、むこう一帯に広がる森、岸辺の近くには崩れかかった廃塔が建っている。


 レネーは橋の前で立ち止まってジョンを見た。二人馬首を並べていた。


「エル城に着くのにあと一日もかからない。この橋は罠じゃないだろうな」

 レネーが言う。


「念には念を、か」

 ジョンは恐れ入った、というふうに言った。


「こざかしい連中だからな」

 レネーがうなずいて言う。


 馬一頭と人間の男が一人、橋の上を歩いた。皆が見守っている。


 最後まで無事に渡り終えると歓声が上がった。兵士たちは列を整え、男のあとに続く。


「風向きが変わったな。空を見ろ」

 レネーは声をひそめた。


「これはまずい。嵐だ」

 ジョンが空を見て言う。


 嵐ではなく、竜巻だった。はるか遠くに小指ほどのかげが見えたと思ったら、次の瞬間にはすぐ後ろにある。逃げる余裕もない。大地ごと、空に巻き上げられてゆくのだ。


「逃げろー!竜巻だー!」

 レネーが叫んだ。


 兵士たちが四方八方に駆けてゆく。廃塔が根こそぎ崩れ落ちてゆくのが見えた。朦々《もうもう》と砂埃がたつなか、きらきらと空気が輝いている……




「レネーたちは無事なのかしら。イリヤ城はなんとか持ちこたえているかしら。母は死んだ。皇帝はいない。でもジョンは?」

 厨房でメアリーが黄色いチーズをひとかけら口に放り込んで言う。


「きっと無事だわ」

 メトシェラが優しく言った。


「メトシェラ、あなたも何か食べないと。負傷兵の命を救いに行くのよ」

 メアリーがメトシェラにパンとチーズのかたまりを押しつけて言う。



 二人は速足で屋外の手当てのためのテントに向かった。患者は少ない。まだエズラの攻撃がイリヤの兵士たちに届いていないのだ。


 安堵して包帯を作っていると、担架が運び込まれてきた。男がのっている。意識を失っているようだ。見たところ外傷はない。


「どうしたの?」

 メアリーが運んできた男にたずねる。


「竜巻きですよ。敵軍の不思議な呪いにもあたったみたいでね」

 男は皮肉な調子で言った。

「山あいで見つけました。レイドゥーニアの援軍がイリヤ城から戻ってきました」


「レネーが?」

 メアリーが思わず顔をほころばせる。


 担架の上の男が咳き込んで意識を戻した。慌ててメアリーが男の近くにかがみ込む。


「もう大丈夫よ。あなたは味方の城にいるの」

 メアリーが落ち着いた声で言った。


「メアリー!願いがかなった。死ぬ前に君と会えたんだ」

 男がメアリーの腕をつかんで言う。かすれた声だ。


 ジョンだった。


「まあジョン。まあ、なんてこと……。死ぬなんて馬鹿なこと言わないで。メトシェラ、ワインを」

 メアリーがジョンの頬に触れて言う。


 ジョンはメアリーの手に手を重ね、やさしく微笑んだ。

「いや、メアリー、俺は死ぬんだ。あの忌々しい粉を吸い込んでしまったからね。でも君がいてよかった。俺のそばにいてくれ」


「ジョン、だめよ。そんなのいや。あなたが死ぬはずがないわ」

 メアリーが泣きそうになりながら言う。


 だが、終わりはいつもあっけない。メアリーの無我夢中の祈りも無下むげにされた。


 ジョン・トルナドーレはメアリーの膝の上で死んだ。安らかに。



「救いだったのは」

 メアリーがボロボロと涙を流しながら言う。

「彼の死が痛みを感じる暇もないほど、素早かったことよ。あの忌まわしい粉を吸い込んだのに」


「戦士よ、安らかに眠れ」

 レネーは戦友の遺体を前にして言った。

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