船の上の女王
皇帝が失踪した。ことの真相は誰にもわからない。なぜ消えたのか、今どこにいるのか、無事なのか、妻の死に落ち込んで自殺したのか、それとも単に皇帝という地位にうんざりして投げ打っただけか。
帝都は大混乱におちいった。ジョン・トルナドーレ卿はなんとか収拾をつけようとする。
奇妙なのは皇帝の失踪のすぐ後にテリー公とその一人娘のノーラも姿を消したことだ。
そうなると、この混乱はテリー公が意図して引き起こしたのか。ジョンはエル城のリリィに手紙を書いた。
リリィへ
アレックスが失踪した。テリー公とその相続人のノーラ・イシルドもその直後に消息を絶っている。兵士たちは大混乱だ。このまま放っておいたら反乱が起きるだろう。レイドゥーニアの援軍も来ない。イリヤ城は遅かれ早かれ敵の手におちるだろう。
アーサー・ロンドがサキュドの戦いで死んだ。俺はアレックスと同じで迷信家ではない。だけど予感がするんだ。きっと俺はこの戦いを生き延びない。
エズラはいずれエル城にも侵攻しようとするだろう。イリヤ城は陥落させれてもエル城は鉄の要塞だ、そう容易にはいかない。
エル城には君とメアリーがいる。マティアスの子どもも、あまり話す機会はなかったがウィリーも。君たちに守り抜いてほしい。あの子たちはイリヤの未来そのものなのだから。
妻と息子は俺が死んでも生きていけるだろう。ウージェニーは賢い女だ。領地を相続するのはマッツではなく、俺の息子だ。
もう一度息子に会いたい。もう一度ウージェニーと話したい。走馬灯のように過去の思い出が走ってゆく。
アレックスと肩を並べ、草原で馬を走らせて競争した……リリィ、君はいつも俺の冗談に天使のように笑っていたものだ。みんなで〈崖の家〉にみんなで泊まって、船遊びに夜を明かしたっけ……。
ばかげているかもしれないが、俺はメアリーに恋していた。ウージェニーと婚約していたけれど、いずれメアリーと結婚するんだと思っていたものだ。
君たちの無事を祈る。そして君の幸せも……
ジョン
トルナドーレ卿は手紙を折りたたむと呼び鈴を鳴らして、使いの少年を呼んだ。
「この手紙をエル城のリリィ様のもとへ届けるんだ。秘密の出口を知っているな?絶対に敵軍には捕まるな。そしてこの手紙もなくすな」
ジョンはそう言って少年を送り出した。
大地が揺れていた。くぐもった音がする。喉が渇いていた。
恐る恐る目を開ける。狭くて薄暗い部屋だ。天井は低く、ランプが下がっている。小さくまるい窓があった。波しぶきが窓に打ちつけているのが見える……
アレックスは慌てて飛び起きた。なぜ船にいるのか。なぜ海に出ているのか。
何もかもまったく記憶になかった。浅黒い肌の美しい少女が杯を差し出してきたことだけを、おぼろげに覚えている。
寝台のまわりに剣を探した。剣はない。それどころか、武器という武器はすべて剥ぎ取られていた。
船室を飛び出して甲板に向かう。すれ違う者みな肌が褐色だ。何かがおかしい。まるで悪夢の中にいるようだった。
青い空の美しい、天気のよい日だった。船員がアレックスを振り返って見つめる。
浅黒い肌の少女が甲板の上に立っていた。肩やおへそを露出した白い衣装を着て、風になびかせている。アーモンド形の目に黒い愛らしいまつ毛。まるく美しい肩。かなりの美少女だ。
「アレックス、起きたのね!」
少女が微笑んで言う。
「なぜこんなことをした?雇い主は誰だ?」
アレックスは叫んだ。
「陛下、この方はドレントの女王、モード様ですぞ」
老人の声がしてゆっくりと振り返る。テリー公だった。
モードはアレックスと結婚したいのだと言う。自分ならエイダとイリヤの間に平和をもたらすことができるのだ。さらに叡智をもってして、イリヤ帝国にかつての栄光を取り戻すこともできる。
「失礼ながら姫君、ドレントの女王など聞いたことはない。ドレントには国王とその王妃がいるはずだ」
アレックスが反論した。
「父はそう主張します。でもドレントの民にとってはそうではありません。父はドレントを滅亡に向かわせているのです」
モードはたおやかな様子で言う。
アレックスにはどうしてもモードが奇妙にうつった。どこか不自然なのだ。人形じみていてるというか、心の内が読めないというか。
モードはドレントの女王としてアレックスをもてなしてくれた。豪勢な食事や音楽、怪しげな魅力をもつ踊り手たち、即興で作った詩の読み合い、花火。
もてなし上手だった。メアリーにこの少女を見せてやりたい。彼女ならきっと面白がるだろう。
それにしても厄介なことになったものだ。




