黄色い薔薇
レイチェル・トルナドーレは寝室の円いテーブルに黄色い薔薇を生けていた。毎年五月ごろになるとミダス・アポッロの領主館の庭園一面に、黄色い薔薇が咲き乱れる。
庭園を見ると満ち足りた気持ちになった。マッツと結婚してから幸せな人生を送ってきた。夫は誠実でレイチェルのことを誰よりも愛してくれている。可愛い子どもたちが四人もいた。夫の大叔母はお金持ちで親切だ。マッツを次の領主にしようとしている。まるで理想の女の人生だ。
「レイチェル、ジョンはきっと大丈夫だ。アレックスがきちんと面倒を見てくれている」
夫は寝室で荷造りを進めるレイチェルに言う。
「戦場に安全なんて言葉はないわ。私があの子を連れ戻す」
レイチェルは耳を貸さない。
ミダス・アポッロの領地にやってきた行商人がイリヤとエイダの間で戦争が起こったと教えてくれたのだ。
レイチェルは遠く離れた地にいるヤング・ジョンのことを思うといても立ってもいられない。
「だがアレックスが息子の無事を約束したんだ。だいたい帝都から離れたところに避難していて見つからないかもしれないじゃないか。君だって危険だ」
マッツはなんとか思いとどまらせようとする。
「私は息子のためなら人殺しだって怖くないわ。もし皇帝がジョンをメアリーに任せていたら?メアリーは信用できないわ。七年前、何をしたか覚えているでしょう?」
レイチェルは静かに言った。
「ああ、覚えている。君がどんな目に遭ったのかもね。だから僕はイリヤに行って君に二度とひどい目に遭ってほしくない。考え直してくれ」
マティアスがレイチェルの手を止めて言う。
レイチェルは夫に優しくキスした。それから毅然と手を離し、白いシルクのハンカチに短剣を包む。刃が銀色に光る、シンプルな短剣だ。
「あなたを愛してる。あなたも私を愛してるなら行かせて。あの子を守りたいの」
子どもたちに別れの挨拶をすまし、外に待たせてある馬車へ向かう。大叔母は杖に寄りかかって待っていた。銀製の鷲の持ち手がついている。レイチェルはくっきりとした笑顔を浮かべると大叔母の両頬にキスした。
馬車は領主館を離れ、道を進んでゆく。レイチェルは窓の外に流れる景色を見ながら、回想のなかへと旅立っていった。
たしかに幸福な人生だ。優しい夫も財産も愛する子どもたちもいて。過去を思い出さない限りは幸福だ……
メアリー・トマスを庇う言葉を聞くのが嫌だった。マティアスはあれは誤解だったのだと言う。でも全てはメアリーが仕組んだことなのだ。メアリーはレイチェルに嫉妬し、きらっていた。それで当時の皇妃ヘレナにあることないことを言いつけて誘拐させ、隠し部屋に監禁したのだ。
隠し部屋でされたことが、今でも目に浮かぶ。おぞましい記憶だというのに。夜中に目覚めて泣くこともあった。暗闇の中を永遠に落下しつづけるみたいだ。
皇妃は隠し部屋に部下の男を数人呼んでレイチェルを拷問した。水責めの合間に尋問されたが、皇妃が何を知りたがっていたのかは覚えていない。何度も殴られ、朝まで自分は生きていないと震えていたこと、それに皇妃のあの強烈なお香の匂いを覚えている。
最悪だったのは強姦されたことだ。それも何人もの男に。男たちは無力なレイチェルをせせら笑い、殴りつけた。アレックスが救出に来てくれて男たちは全員殺されたけれど、起きたことは消えない。
傷ついていたレイチェルを励まし、ミダス・アポッロまで連れてきてくれたのはマティアスだ。当時はメアリーの婚約者だった。アストレア行きの船に乗りこんだとき、やっと安全な場所にいけると安堵したものだ。
治療薬の入った瓶を巻きつける紐の色で組み分けてゆく。戸棚に瓶をしまうと今度は針仕事にかかった。避難民の間で服が不足しているのだ。
「メアリー!ウィリーがまた意地悪するよう!」
ヤング・ジョンが部屋に駆け込んできて言った。栗色の髪に花びらがからまっている。
「まあ、どうしたの?ウィリーはきっと意地悪なんかするつもりないのよ。ただ、あなたと遊びたいだけ」
メアリーが椅子から立ち上がって言った。
「違うよ、ウィリーが僕のこと、木の棒で叩いてきたんだから!メアリーはウィリーのことが好きで僕は嫌いなんだね」
ウィリーが悲しそうに言う。目をうるうるさせていた。
「ジョン、そんなことないわよ。こっち来てご覧なさい、キスしてあげるから。今度ウィリーに言い聞かすわ。剣の稽古でもないのにお友達を叩いちゃだめだって」




