策士
真夜中、寝台の上で身を起こした。部屋には煌々とあかりが灯っている。きっとこの明かりのせいで目覚めてしまったのだ。静かだった。
音もなく、扉がひとりでに開く。青銅の重たい扉だ。リリィは怖がるわけでもなく、不思議な気持ちで見ていた。レイドゥーニアの王城に魔法の力がはたらいているとは知らなかった!
扉の上から青年が姿を現す。きれいな着地だ。
「まあ、トゥーリーン!」
リリィがにっこりと笑って言った。
「姫君」
トゥーリーンはリリィの笑顔に安堵したように言う。
「レネーはこの宮殿の中であなたと僕を会わせないつもりだ。だからこんな手を……」
「いいのよ。イリヤ城でもおんなじことをしたでしょ。夜中に窓から忍び込んできたものね……。レネーとの婚姻をやめて、一緒に遠くへ行こうって」
リリィがそう言って微笑む。
トゥーリーンはリリィが心配だった。レネーの宮殿で、エズラのときと同じようになるのではないか。
リリィはレネーを警戒していなかった。過去の幸せな結婚生活を思い出して、夫を信じきっていたのだ。
どうして気づかないのだろう?レネーは今リリィを監禁し、イリヤに二度と帰れないようにすることもできるのだ。
「姫君、そのことは二人だけの秘密にしてください。特にレネーに聞かれてはよくない」
トゥーリーンが厳しい声で言う。
「わかってるわ。レネーは援軍を出す気はない。義兄がカリーヌを殺したんじゃないかって疑ってるの。でもそんなはずがない。私まで疑い出したらイリヤの勝利の望みは潰えるわ。そんなことにはさせない」
「レネーにも同盟は必要なはずだ。あなたが帝国の大使として同盟を提案するんです」
トゥーリーンが静かに言う。
「彼の望みがわからないわ。もし、レネーが帝国を乗っ取るつもりだったら?」
リリィが不安になってたずねた。
「イリヤはレイドゥーニアには乗っ取られない。レネーには何の権利もないし、イリヤの領土など興味ないはずだ」
リリィはレネーにエズラに勝利したあかつきには、北エイダをのぞく全てのエイダの領土、エイダの王位を返還すると約束した。
「エイダなら我々だけでも取り戻すことができる」
レネーが冷ややかに言う。
「ええ、そうでしょうね。今、イリヤと共に戦ったら兵を失わないで取り戻せるわ。もしイリヤがエズラに敗れたら、エズラはますます勢いを増す」
リリィの発言は核心をついていた。
「カリーヌの死を忘れろというのか?」
レネーはなおも固辞する。
「いいえ。カリーヌはウィゼカ家のお墓に埋葬してあげましょう。もう一度彼女の死について調べることを約束します。もし、故意の殺害だったのなら、犯人を引き渡しましょう。これは皇帝からの約束です」
リリィは真摯な態度で言った。
「いいだろう。援軍を送ろう。だが、イリヤとレイドゥーニアが勝利したら貴女は我が妃として一緒に暮らす。それをわかっているな?」
レネーが妻を見つめて言う。
「ええ、わかっています。それに私たちのリシャールも一緒に」
リリィが優しく言った。
トゥーリーンとリリィはレネーの軍より先に出発した。希望の知らせをもって道を急ぐ。行きのように焚き火越しに二人見つめ合うこともなかった……
エル城に着くとハーバートが出迎えてくれた。馬を飛ばせばイリヤ城から二日の道のりだが、馬車も徒歩の女子どももおり、病人や老人まで大勢いたので、一週間ほどかかってしまった。
「大勢いるな」
家財道具をつんだ農民たちの列を見てハーバートが言う。不安そうな顔だ。
「帝都から食糧と火薬を持ってきたわ。あなたが私たちを受け入れてくれて感謝してる。戦場にも出ないでここにとどまってくれて」
メアリーは活き活きとした表情で言った。
「皇帝からの命令だよ。君が戻ってきてくれて嬉しい。ここの領地に君は必要な存在なんだ」
ハーバートが言う。
「ウィリーは?」
闊達に走り回る男の子のかげを探して言った。
「元気だよ。戦士になりたいそうだ。その子は?」
メアリーの傍にいるヤング・ジョンを見ていた。
「ヤング・ジョンよ。アストレア貴族のマティアス・トルナドーレの息子。ウィリーと遊ばせたらいいんじゃないかしら」
「その子も貴族の子なの?」
ヤング・ジョンが質問した。
「ええ、そうよ。皇帝の弟なの」
メアリーが屈んでいう。
「なら遊んであげてもいいよ。だって母上に農民の子や奴隷とは友達になっちゃだめって言われてた」
領地には時々、あの得体の知れない怪物が出没した。メアリーの治療でもどうにもならない。腹を裂かれ、正気を失った病人の死を待つだけだ。家族でさえ怪物に襲われた傷病人の引き取りを拒否した。共同墓地にはだんだん遺体が増えてゆく。
メアリーは遺体と向き合って調査を続ける日々だ。ハーバートは避難民たちの寝床や食事はなんとかしてやっているらしい。
「奥様、こんな夜遅くまで起きてたら体を壊してしまいますよ」
ジゼルはそう言って、真夜中に部屋にやってくるなり、蝋燭を吹き消してしまう。
「私は若いもの。大丈夫よ」
メアリーはうんざりして言った。
「大丈夫が聞いて呆れますね」




