第一章【Smile Again】P.4
――母親がいなくなった
僕にはその言葉の意味が理解出来ず、目をパチクリと繰り返していた。手に持ってた缶を思わず落としそうになる
「いなくなったって?」
僕はゆっくりとした口調で訊ねた
町田は小さく笑っていた
「言葉通りの意味だ。突然、失踪したんだよ。俺を置いてな」
やはり理解が出来なかった。何故、母親が息子を置いていなくなってしまうのだろう
置いていかれた子供のことが気にならないのだろうか
けど、なんとなくそういうのがあるというのは分かった。テレビドラマや小説の物語としてそういうのがある。以前、そういう境遇の男の子が主演をしていたドラマを見た
両親が失踪し親戚に預けられた少年がやがて高校生へと成長する
そしてヒロインの女の子と出会い、恋に落ちて、人間の愛を知ると言ったベタな展開の内容のドラマだ
「……俺の母親は、男癖が悪かったんだ」
町田は呟くように話す。いつの間にか、言葉遣いがいつもの町田らしくなくなっていた
「知らない男を家に連れてきては、見たくもないようなことをして……幼かった俺は部屋に閉じこもって、ただ堪えてた」
僕は先生の表情が険しいものに変わっていくことに気づいた。今町田の目の前に映るのは過去の幼き記憶なのだろうか……そして町田は母親に対して憎しみを抱いているのだろうか
町田は僕が見つめていることに気がつくと、ふっと表情を緩めた
「すまん。分からないよな。何言ってるのか」
僕はすぐさま首を横に振った。町田が言っていることは、意味としては理解できていた
町田の言う母親は男癖が悪いと言うのも分かるし、幼き彼が見たくもなかったことというのもなんとなく理解出来た
多分……実感出来ていないのだ。町田の過去にそんなことがあったことに驚き、呆気に取られているのである
町田はまた小さく笑った
「それでどうしたの?」
僕は話の先を促した
「それでな……いつの間にかいなくなったんだ。どこの誰も知らない男と……いなくなったんだ。書き置きもなく」
僕は胸の中に何かが突き刺さる感覚を覚えた
「最初は待った。母さんが帰ってくることを。三日、四日……一週間。そしてついに分かったんだ。自分は捨てられたんだと」
突き刺さる感覚がより深まる。胸の中に熱い……鼻の奥がまたつんっとした
自分は捨てられた
その言葉は今の自分と同じ境遇だと思えた……いや、本当に同じだろうか?
「そのとき、ものすごく悲しかった。今のお前と同じように……泣いて泣いて……あぁ、涙が枯れるって本当にあるんだなぁって思った。泣き止んだと同時に、笑うこともなくなった。もう二度と心から笑えなくなるんじゃないかって怖くなった。お前と同じように、過去に戻りたいって思った。出来れば父が死ぬ前よりずっと前の日までに……まだ幸せだった……あの頃まで……」
僕はそんな風に語る町田の目を見ていられずに俯いて下唇を噛み締めた
違う
僕と同じようになんて言うけど……全然違う
僕の悲しみなんて、先生の受けた悲しみの方が何倍も辛いはずだ
自分の悲しみなんてちっぽけなもんだ
なんて情けないんだろう……
「悲しみに大きさなんてないよ」
町田は僕の心の中を見透かすようにそう言った
「悲しみの大きさなんて人それぞれだ。先生、そんとき誰にも負けないくらいの悲しさを味わったって思ったけど……お前の悲しみだって、誰にも負けない」
「うん……」
「でも、だからこそ時には自分だけで戦わなくちゃいけないんだと思う」
町田はゆっくりと僕に笑いかけた
「誰にも負けない悲しみを負う分、自分だけで戦わなきゃいけないんだ」
「……戦うって……誰と?」
僕にはそれが分からず町田に訊ねた。町田は真っ正面を向きながら苦笑した
「分からない……」
「え?」
「きっと色々なもの戦うことになるんだよ。だから、辛いことを乗り越えなきゃダメなんだ」
先生は苦笑を浮かべていた口元を再び閉じた
「母親がいなくなってから、先生は親戚の人のとこへ行った」
そうなることくらい、僕にも分かる。身よりがない子供をほっておくわけがない
「新しい生活は……悪くなかったよ。むしろ親戚の人たちは優しくて……居心地が良かった」
「うん……」
「でもな、すごく辛いものだった」
僕はゆっくりと町田を見た
「どんなに優しくされても、どんなに楽しいことがあっても……笑うことが難しくなってた。自分は捨てられたと思い返すと、自分がいなくなるような気がして、怖かった。だから……すごく辛かったよ」
町田の言っていることを僕には分かっていた。僕も同じだった
笑うことが難しくなるというのがやけに胸に響く
そしてそれが恐怖へとかわる
言うなれば暗いどん底の海に沈んでいき、自分の存在そのものが消えていくような……
でも僕には一つ分からないことがあった
「先生は……もう乗り越えることが出来たの?」
僕はそう訊ねると、町田はしばらく口を閉じた。目の前の先の一点を見つめている
すると小さく笑った
「あぁ」
町田はそう答えた
「俺はな、先生になったから、やっと乗り越えることが出来たんだ」
町田はそう言って、軽く頷く
「お前たちに囲まれて、お前ら見てると……何だか暖かいというか……不思議な感覚だよ。嫌なことなんか全部忘れることが出来る」
そう言って町田は僕の頭を撫でた
「だからお前も今は辛いかもしんない。けど、いつかきっと強くなれる。辛いこと乗り越えて……きっと見えてくるものがあると思うんだ」
僕の髪の毛をくしゃくしゃとしてから町田はまた優しげな口調で言った
「そしたらお前は今よりずっと強い人間になってるから」
僕はしばらく何も言うことが出来なかった。町田に撫でられたまま、俯き加減で視線を爪先にやる
町田の言葉が胸に響く。そして悲しみが少しだけ晴れていくような気がした
その瞬間鼻の奥がつんっとなった。堪えようと思ったが、無駄だった
「僕……強くなれるかな……」
震えた声で僕はそう言った。次第に缶を持つ手が強くなる
町田はゆっくりと笑った
「あぁ……」
涙が溢れた。出て行った父に対する思いや、残された母の思い、そして何も出来ない僕……
色々な思いが混ざった
「僕……また笑えるかな……」
「あぁ……」
町田は何度も頷いた。その数だけ僕の心は温まる
僕は声を上げて、泣いた
明日になって 空が晴れたら
自分を好きになって また歩き始めようよ……
それから五年の月日が経った。僕は中学三年生へと成長していた。僕と母は変わらず今のままの家に住んでいる
父は二年前にその女の人と再婚をしたという。しかも子どもも一人出来ている
父は僕の学費や生活費などを払い続けている。家庭裁判で出た結果だった。慰謝料ではなく、僕らの生活費を賄うのが離婚の条件になった
が、母は離婚してから吹っ切れたように急に元気になった。以前は専業主婦だった母も今ではバリバリのキャリアウーマンだ
「大変っ!もう出なきゃっ!今日帰り遅くなるから、何か冷蔵庫の中適当に食べて」
母は僕にそう告げると、家を慌ただしく出て行った
僕は軽く返事をして、母を見送る。僕も早く家を出ないと遅刻する
家を出て、いつものように自転車を出す。すると……家の前で誰かが待っていた
「おはよ」
僕はにっこりと笑った。それは佳奈だった。僕と佳奈は中二の冬のときに付き合い始めた。佳奈がバレンタインデーでチョコをくれた
僕はあれからもずっと佳奈のことが好きだったのだが、まさか彼女も自分と同じ気持ちだったとは驚きだった
同時に言い表すことの出来ない喜びを感じていた
「おはよう。行こうか」
僕は彼女に後ろに乗るように促した。付き合い始めてから、これが僕らの毎朝の日課になっていた
彼女は鞄を背負いながら僕の後ろに乗り、僕に掴まる。僕はそれを確認するとゆっくりと自転車を漕ぎ始めた
「昨日何してた?」
「特に何も……受験勉強しか何もやってない」
「受験かぁ……まだうちは実感出来ないなぁ……どこ行くの?」
「ん~……まだ決めてない」
「そっ。あ~あ、いっしょの高校行きたいけど、うちじゃ君のレベルについていけないもん」
佳奈は皮肉を込めて僕にそう言った。確かに僕は成績が優秀な方で高校だってそれなりにレベルの高いとこを目指すつもりだった
僕は苦笑した
「ねぇ、今日帰りにどっか行かない?」
佳奈が僕にそう言った。でも僕は首を横に振る
「ごめん。今日は大事な用があるんだ」
「え~?何の用?」
「それは秘密」
そしてその放課後、僕はまた自転車に跨りある場所へと向かった。向かった場所とは、以前僕が通っていた小学校
僕はためらいなく校舎に入ると、廊下を渡り、ある教室へと向かう
教室の目の前で、何人かの子どもたちが誰かに挨拶をして、僕とすれ違う。そのときに懐かしい声がした
僕はゆっくりと教室の中を覗いた。そこに彼はいた。昔と変わらず、僕に笑いかけた
「よう。久しぶりだな」
昔と変わらない、寝癖だらけの髪に眠そうな半開きの目……
彼は笑う
僕も笑う――
♪~♪~♪
自分がとてつもなく
ちっぽけに見えることがあるよね
自分だけが悪者みたいに思えるときがあるよね
もう二度と心から笑えなくなるんじゃないかと
怖くなるくらい悲しくなることがあるよね
明日になって
空が晴れたら
自分を好きになって
また歩き始めようよ
Smile Again.
Smile Again.うつむかないで
Smile Again.
Smile Again.
笑って見せて
Smile Again.
Smile Again.
どんなあなたも みんな好きだから
Smile Again.
Smile Again.
うつむかないで
Smile Again.
Smile Again.
笑って見せて
Smile Again.
Smile Again.
どんなあなたも みんな好きだから
優しい言葉なんて
役に立たないことがあるよね
自分だけで戦わなくちゃいけないときがあるよね
辛いこと乗り越えて
いつか見えてくるものがあるよ
そしたらあなたは今より
きっと素敵になってる
明日になって
空が晴れたら
自分を好きになって
また歩き始めようよ
Smile Again.
Smile Again.
うつむかないで
Smile Again.
Smile Again.
笑って見せて
Smile Again.
Smile Again.
どんなあなたも みんな好きだから
Smile Again.
Smile Again.
うつむかないで
Smile Again.
Smile Again.
笑って見せて
Smile Again.
Smile Again.
どんなあなたも みんな好きだから…
【Smile Again】
ありがとうございました
ラストは少し雑になってしまいました汗
どうだったでしょうか、第一章【Smile Again】
父の不倫、家庭の崩壊、幼い「僕」の心は深く傷つけられました
しかし、それでもまた笑えるんだと教えてくれた町田先生
「僕」に教師が教えてくれた大切なこと
みなさんにどう伝わったでしょうか?
とりあえず次は第二章に行きたいのですが、テーマはまだ考えていません
なのでとりあえず、完結にして次のテーマが決まるまで更新いたしません
あと読者のみなさまの感想や評価でこの作品の続きを書こうかを決めたいと思います
これは“あなた”のための物語です
“あなた”の今の気持ちがこの作品に反映されます
ぜひあなたの気持ちを僕に教えてください
ありがとうございました