世界樹の下で
ほんの1時間くらい前は、これ以上扉が開かないように願っていたのに、まさか今度は自分たちから扉を開くために動くことになるなんて思いもしなかった。
深いため息を吐きたくなるけれど、それもこれも私の迂闊な判断が招いた結果だ。吐き出しそうになったため息をグッと飲み込む。
その隣でウォーレンが深いため息を吐いた。
「……」
私の重々しい眼差しに、ウォーレンが苦笑する。
「いや、悪い。でもまさか、世界樹に木登りすることになるなんてと思ってな。それも異界の世界を開くために」
ウォーレンの言う通り、私たちはフェリシア皇女の号令を受け、開きそうな扉を見つけるために世界樹によじ登っているのだ。
よじ登るとは言っても、幹の直径など想像もつかないほど巨大な世界樹にそう簡単に木登りできるはずもなく、尽きかけた体力を奮い立たせて浮遊の魔法で体を持ち上げているのが本当のところではある。
「皮肉だな。ドミニクを殺した魔物と同じ存在を、自分たちの手で呼び出そうとしてるなんて」
「……ごめんなさい。私がちゃんと指示をだしてれば……」
「おい、よせアンジェリカ。あの状況であの化け物を殺すなと言われても無理だろ。それにあの化け物はドミニクを殺したんだ。私たちの手で仇をとって正解なんだ」
そう言って、扉が開きそうな隙間がないか黙々と点検をくりかえす。
私が感じたドミニクの死より、付き合いの長いフェリシア皇女やウォーレンたちの方が辛いに決まっている。
けれど彼らは何一つ泣き言を言わず、今成すべきことを成している。
ウォーレンがちらりと私を見る。顔色から私が何を考えているのか読み取ったのだろうか。
「アンジェリカ。私たちみたいな職業は、いつでも死をどこかで覚悟してるもんなんだ。主を守れず自分だけが生きようなんて誰も思っちゃいない。だからドミニクのことも残念だが、きちんと心に落とし所はつけている」
「ウォーレン……」
「でもアンジェリカは騎士じゃないからな。だから、これが片付いた後、アンジェリカは悲しんでやってくれ。ちょっと泣いて、1回花でも手向けてくれたらそれだけで十分だ」
「うん……」
私を慰める優しい言葉に、エプロンの裾でそっと目尻を押さえる。
「それにしても、フェリシア様はなんだってあんな所から探すのかねぇ」
湿っぽい話はここで終わりだとでも言うように、若干の呆れを含ませウォーレンは眼下の光景を見下ろした。
そこには防具を脱ぎ捨てたフェリシア皇女が、泉の中へ何度目かのダイブをきめている所だった。
「泉の中の幹にも扉はあるあら、それを見てるんでしょ?」
「でもわざわざそっちから行くか? 見ろよこのどでかい樹を。扉がありすぎて、まだ開いてない扉がいくつあるのか検討もつかん。普通は分かりやすいところから点検していくもんだろ」
そういって首をかしげるウォーレンに、私も密かに同意する。
開きそうな扉を見つけるのはしらみ潰しの作業だ。なら、見えやすい、分かりやすいところから潰していった方が効率がいいに決まってる。
「でも……、フェリシア皇女のことだから、きっと何か考えがあるんだと思う」
潜水するのだって体力を使う。それでもあえて泉の中を潜っているのだ。
今度はウォーレンが私に同意した。
「確かに。こんな時に無駄なことをするお人じゃない。この世界樹のことだって、フェリシア様はしっかり把握なされていた訳だしな」
「隠された神話だっけ」
「ああ。一部の皇族と、一部の神官だけが知ってるんだろうこの国の本当の神話ってやつだな。とはいえ、その神話が今目の前に存在してるんだよなぁ」
目の前の世界樹が神話そのものだとは到底納得できなそうに、畏怖心のカケラもない動きでポンポンと木肌を叩く。
「異界に繋がる扉の実を持つ世界樹かぁ。神話ってどんな話なんだろうね」
「さあなぁ。私が子供の頃ばあちゃんから聞いた話は、泉から生まれた生命が、この国の初代皇帝に力を与え、そしてこの国が発展したって話だったけどな」
「ああ、泉神話。私も神殿は聖女が召喚される泉を御神体にして祀ってるんだとばかり思ってた」
「そうだよな。でも本当に祀ってたのは、泉の中に眠る、この世界樹だったって訳だ」
「泉神話って、世界樹の神話と全然違う話なのかな」
「どうかな。だがフェリシア様が私たちに世界樹の話をしたのは緊急時だったからにすぎない。詳細は聞いても答えてはもらえないし、私たちみたいな立場の人間は聞くべきでもない」
「つまり?」
「フェリシア様を無事王宮へお返しし、私たちは何も見聞きしなかったとして通常通りの業務を行う」
「なるほど」
国を守る騎士として100点満点の答えだ。
けれど現実世界で聖女をサポートする立場の私としては、おそらく聖女も絡むであろう世界樹神話の話はできるだけ知っていたいところだ。
それとも、現実世界に戻ったら、皇族であるレオンに尋ねてみようか。彼ならもしかしたら何か知っているかもしれない。
そう思いながら、私は祭殿の部屋に続く入り口に目を落とした。
そこには、障壁のギリギリに体を寄せて体育座りをする、レオンと聖女シオンの姿が見えた。




