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彼女は雑草


「聖女の力が必要と言っても、ここに聖女がいないんじゃ話しにならないぞ」


 目玉に牽制の魔法を放ちつつ、ウォーレンが額に滲んだ汗を拭う。

 さっきから放つ魔法が目玉の薄気味悪い腕に撃ち落とされている。目玉本体に届くよりも先に、腕を伸ばして魔法に着弾させることで致命傷を防いでいるのだ。その避雷針のような扱いに腕が消し飛んでも、次から次へと腕は再生する。

 これじゃあ私たちの体力が尽きて、魔法を使えなくなるのが先かもしれない。


「そう。だから呼んで来てもらうの」

「……レオンに、なのね」


 苦しげなフェリシア皇女のつぶやきに、私は頷いた。

 この状況下で聖女を探し出し、そして再びここに連れ戻ってくる。それがどれほど危険なのか、皇女は十分理解している。そして今はそれしか道がないことも。


「……アンジェリカ。信じてるわよ」


 そして強く目を瞑ったかと思うと、号令のような勢いでレオンを呼んだ。


「は、はいっ!」

「レオン、いいこと。あなたは今から聖女を探し、ここに連れて戻って来なさい」

「聖女を探しに?」


 皇族とはいえ、騎士の一人としてレオンも訓練されているのだろう。上官の命令に反射的に体が動いてしまうように、レオンも騒ぐのをやめ、フェリシア皇女の言葉に耳を傾ける。


「彼女の特徴はストレートロングの黒髪。聖女の印である紫の瞳。異界からやってきたときに着ていた、変わった服を着用しているそうだから、一眼見ればすぐに分かるはず。その彼女を連れて、ここに戻ってきなさい。上級神官たちと共に避難しているなら、おそらく西側の森に張られている聖結界に向かっているはずよ」

「そこに行って、またここに連れて来ればいいんですね!」


 障壁に阻まれ、できることもなかったのがもどかしかったのだろう。与えられた任務に、レオンが勢い勇んで応える。


「そうよ。そしてもし聖女が見つからなかった時は……」


 フェリシア皇女は一瞬息を詰め、そして吐き出した。


「そのまま逃げなさい。あなたが置いて来た騎士と合流し、このことをお父様にすぐに知らせるのです」

「何を言って……!」

「いいから言う通りにしなさい!! これはあなたの姉ではなく第2皇女としての命令です!!」


 レオンは頬を打たれたように、びくりと体を震わせた。


「グレイソン第3皇子もどうなったか分からない中、このまま私たち全員が行方をくらます訳にはいかない。あなたも解っているでしょう。私たちは皇族で、その与えられた権力と同じだけ、責任を持つ一族でもあるのです」


「ね、ねえさま……」


 どんなに大人びた言動であっても、今のレオンはまだ10を過ぎた程の少年なのだ。ペリドットの瞳に、みるみるうちに大粒の涙が溢れ出す。

 それをみて、フェリシア皇女は母親のような顔で笑った。


「早く行きなさいバカ弟! とっとと聖女を連れてくるのよ!!」

「!!」


 その激励に背中を強く叩かれたように、レオンは弾かれた雄鹿のように俊敏に駆け出した。


「待ってて!! すぐに聖女を連れて戻ってくるから!!」

「……いいの。戻ってこなくても。あなただけでも逃げてちょうだい」


 その背中にそっと呟く。届くことを願われないその小さな囁きは、きっとフェリシア皇女の心そのものだ。


「……ごめんなさい。勝手な事を言って」

「いいえ。フェリシア様。皇族として、あなたは正しい事を仰られました」

「アンジェリカも。本当にごめんなさい。あなたは友人を探している途中だったのに」


 ヒューイとウォーレンが慰める中、フェリシア皇女は深々と私に頭を下げた。


「フェリシア皇女……、顔を上げて下さい。私、まだ諦めてないので」

「アンジェリカ」


 驚いたように3人が私を見つめた。

 レオンに聖女を探すように頼みはしたものの、この混乱の中でそれを叶えて戻ってこられるとは誰も思っていないのだ。

 けれど私は彼らを見返すこともなく、目玉の動きを睨み続けていた。

 だってそうなのだ。まだ結末はわからなくて途中なのだ。私はこの窮地を脱して、絶対にアルを見つけてみせる。そして、現実世界で私のために大狼となって理性をなくしたアルに、自分を取り戻してもらうのだ。


「フェリシア皇女も、まだお兄さん探してる途中じゃないですか。死んだかどうかも分からないのに、ここで諦めちゃうんですか?」


 皇女が大きく目を見開く。形の良い唇が、小さく戦慄いているのが分かった。


「私、アルを探しにここまでやって来た。だから絶対、アルフレッドに会うまでは諦めないんだ」

「アンジェリカ……」


 フェリシア皇女が私の隣に並び、静かに剣を青眼に構える。剣の正面に目玉を見据えながら言った。


「本当、あなたって雑草みたいな子なのね」

「ざっ、雑草!?」


 突然の暴言に、私はたまらず皇女を見やる。私を見るフェリシア皇女は、燃えるような瞳で微笑んでいた。


「そうよ。押し潰されて、もみくちゃにされて。それでも諦めないで立ち上がる。あなたの強さに、私感動してるのよ」


 フェリシア皇女の剣先に魔力が集まる。


「【灼熱の獅子の嘶き、死者の骨を焼く愚者の血。終末の焔!】」


 目玉に業火が襲いかかる。けれどその炎も、おなじみの無数の腕を焼くだけで本体までには届かない。


「早く次を撃つのよ! 腕を全て焼き払って、あのクソ目玉を蒸発させる!!」


 猛々しい指示に、私たちは一斉に詠唱を開始させた。

 たまらず目玉が強酸を発射させるも、それも次に迫った炎に飲み込まれて相殺される。


「【終末の炎よ!!】」


 最後の詠唱は誰のものだったのだろうか。

 腕を全て吹き飛ばされた目玉が、炎に包まれて蒸発していく。それに追い打ちをかけるように何度も繰り返した詠唱を、私たちはようやく止めることにした。

 目玉の燃える音。4人の荒い呼吸音と、泉の湧き上がる音が、この広々とした空間を満たす。


「ようやく、動かなくなったな」


 ヒューイが荒い息継ぎの合間に何とかといった様子で言葉を紡ぐのに、私たちは無言で頷いた。

 けれどそうは言っても相手は得体の知れない化け物なのだ。どれだけのダメージで絶命するのか分からないから、私たちは警戒は解かないまま、けれど体力の限界を感じてズルズルとその場に座り込んだ。


「はぁ、はぁ」

「はぁ。どれくらい時間が経ったかわかる?」


 地面に突き立てた剣を杖のようにして、フェリシア皇女が汗にまみれた顔を持ち上げる。


「魔法の連続使用でこの疲労度……。1時間以上は優に超えているでしょうね」

「そう……。そうね、それくらいにはなるでしょうね。アンジェリカ、大丈夫?」

「ええ、はい……。はぁ、はぁ。何とか、無事です……」

「あなたはここに来るまでにもずっと魔法を使ってたから苦しかったでしょう。よく頑張ってくれたわね」


 私はもう体力が完全に枯渇してしまい、座りながらほとんど上半身を地面に寝そべらせているような状態だった。

 ヒューイやウォーレンはもとより、騎士の軍装をまとうだけあって、フェリシア皇女もしっかり鍛えているのだろう。

 同じだけ長時間魔法を撃っていても、目に見える疲労度が違う。


「崩れていく……」


 ふと、ウォーレンが独り言のように呟いた。

 その視線の先には水分を枯らし尽くした目玉が、灰のように崩壊していく姿があった。

 私たちの身長以上あった巨大な目玉なのに、灰は軽々と周囲に散らばっていき、静かにその痕跡が消えていく。まるで存在していた事実を悟らせないとでも言うかのように。

 私たちはその痕跡が消え切るのを息を詰めて見守り、そして目玉が無に帰った瞬間に詰めていた息を解放した。

 ようやくこれで一つ、目先の危機から回避できたのだ。


「よ、よかったぁ〜〜〜〜」


 思わず気の抜けた声が出てしまう。

 持ち上げようとしていた上半身から完全に力がぬけ、全身地面の上に横たわった状態となる。

 そんな私を、3人が笑いながら見下ろした。


「本当にお疲れ様!」

「アンジェリカ、本当によくやってくれたな!」

「無駄に諦めない雑草根性、見事だったぞ!」

「ありがと……って。なにその雑草根性って。褒めてないでしょ」


 ウォーレンの激励にムッとしながら体を起こすと、そんなことはないと反論が返って来る。


「私も見習わなければと思ったんだ」

「それでももうちょっと言いようがあるでしょ。雑草って完全に悪口じゃないの」

「ネバーギブアップの泥臭いド根性だろう? 俺たちにとっては必要なものだ」

「ヒューイまで。ねぇ、もうちょっと良い例えないの? 2人とも、いつもそんなんなの?」


 私たちがワイワイと言い合ってるのを微笑ましく見ていたフェリシア皇女は、ふと立ち上がり泉の方へと歩みを進めた。

 中心の世界樹にぶら下がるようにして存在する数々の扉の中で、開かれたものは未だ紫の光が放っている。その輝きが収まる様子は一向に感じられない。


「どうして急に、こんなにも多くの扉が開くことになったって言うの……」


 その全長を見渡せない巨大な樹を見上げ、そしてフェリシア皇女は泉に視線を落とし、ハッとした。


「泉の中にまで、扉は存在するのね」


 泉の奥底まで根をはる世界樹は、その泉の中の幹でさえも無数の扉の実を結ばせていた。

 数多くの扉が開かれたが、それでもまだ開いていない扉は数え切れないほど存在している。

 この扉全てが開いた時、この国は、この世界はどうなってしまうのか。

 忌々しい考えに思考が引っ張らるのを振り切るようにして、泉の水で汗で汚れた顔をすすぐ。

 揺れた水面の奥に、チラリと何かが見えた。


「なに……」


 身を乗り出して確認しようとした時、遠くで人の声が聞こえた。




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