未知との遭遇
背後から聞こえた扉の軋む音に、ハッとして振り返る。また一つ、世界樹の扉が開かれようとしていた。
扉の隙間から見えるのは巨大な一つの目玉だった。
その目を見た瞬間、えも知れぬ恐怖に襲われて反射的に魔法を繰り出した。
得意の雷魔法は扉の隙間の目玉に刺さったが、それでも扉はゆっくりと開かれ続けている。
逃げ場もないこんなところで、まだ閉まったままでいる扉が次々に開かれでもしたら私たちは全滅してしまう。
「みんな! みんな気をつけて!! 扉がまだ開いてる!!」
「なんだと!?」
緊急事態をすぐさま察知して、騎士たちはフェリシア皇女を囲むように円陣を組む。
「くそ! この見えない壁さえ崩せれば!」
ドミニクが忌々しげに剣の柄で障壁を殴りつけた。けれどそれがいかに難しい事なのか、私だけは正確に理解している。
「よそ見しないで! くる!!」
「うっ、うわっ! なんだこいつは!」
空に浮いた扉からぼとりと落ちて来たのは、さっき私が見た巨大な目そのものだった。ただし、直径は成人男性を遥かに超え、そして眼球からは青白い血管の浮いたブヨブヨとした生白く細い腕を何本も生やしている。見るからにおぞましい生物だった。
「気色の悪い!!」
「よせっ! 突っ込むな!!」
動きの鈍さにいけると踏んだのだろう。ウォーレンが止める間もなくドミニクが斬りかかって行く。
細い無数の腕が、痛いのを避けようとする子供じみた動きで目玉本体をかばう。そしてまだ残りの数ある腕が敵の動きを止めようと襲い掛かるが、ドミニクはその腕を容赦無く切り捨てていく。
「腕も細いし本体の動きも遅い! これなら楽勝だ!」
そう言って目玉を覆う腕まで切り落とし、本体に斬りかかろうとした時だった。
「ぎゃっ!」
切り落とされた腕の間から覗く目玉から、信じられない速度の液体が発射され、ちょうど目玉へと斬りかかろうとしていたドミニクはもろにその液体を浴びてしまう。
「ドミニク!?」
「フェリシア様! 行ってはなりません!!」
フェリシア皇女がドミニクの元へ駆けつけようとするのを、ヒューイとウォーレンが引き止める。
「ドミニク!!」
ドミニクの体は、ゆっくりと地面へ崩れ落ちていく。
そして地面に両膝がつくと、そこからドロリと溶け落ちた。
「……!!!!」
「ドミニク!!!!」
フェリシア皇女の悲痛な叫びをあげる。
「そ、そんな……」
目の前のあまりの光景に、残された私たちは声を発することもままならず、唖然とその怪物を見た。
ブヨブヨとした不健康な腕は、瞬く間に元の数を取り戻す。そしてか弱い力を無数の腕でカバーしながら、腕の力だけでゆっくりと這って進み出した。
「けっ、結界を! アンジェリカ、結界を張れ!!」
ウォーレンの声にハッとして、私はすぐさま結界を張った。そして私たちは何を打ち合わせることもなく、無意識に一つになって固まっていく。
結界は分散するよりはまとめた方が強度が高くなる。その結界の中で、残されたヒューイとウォーレンが、フェリシア皇女を守るように前に立った。
私は、私は初めて人が死ぬところを見て、足が棒になったように立ち竦んでしまっていた。
祭壇の部屋で大量にに見た死体よりも、ついさっきまで一緒に行動していた人が目の前で死んでしまった衝撃の方がはるかに私の精神を揺さぶった。
「うっ、うぷっ、げほっ!!」
そしてとうとう我慢ならなくなって吐き戻してしまう。
「アンジェリカ!」
フェリシア皇女がすぐさま私の背中をさする。
吐くものが何もなくなって胃液で喉が焼けるようになると、まだ口元は胃酸で汚れているのもかまわずに私を強く抱きしめた。
「フ、フェリシア皇女……」
「今は気をしっかり持つのよアンジェリカ! ここで死ぬわけにはいかない!!」
涙に濡れた視界のなかで、フェリシア皇女のレオンと同じ赤い髪が、まるで燃えているように見えた。
「そうだアンジェリカ、しっかりしろ! お前の魔法で皇女をお守りし、友人を探すんだろう?」
ウォーレンの言葉に遠ざかりかけていた意識が引き戻される。
そうだ、私、アルを探すためにここまで来たんだ。
「そう……、わたし、探さなくっちゃ……」
けれど一体こんな地獄みたいな場所のどこにいるっていうの?嘔吐の生理的なものとは違う涙が滲んでくる。
その時だった。
「うわっ! どうなってるんだ!?」
背後で少年の声が聞こえ、私は反射的に振り返る。けれどそれよりも早く反応していたのがフェリシア皇女だった。
「レオン!? あなたどうしてここに!!」
「姉様!? なんだって言うんです、この死体の山は!!」
背後から聞こえた少年の声にアルを連想して振り返ったが、そこにいたのはレオン・イザヤ・アレクサンドの少年期に他ならなかった。
祭壇からすぐに奥の部屋に続く入り口に駆け出してくるレオンに、フェリシア皇女が悲鳴をあげる。
「来ちゃダメ!! レオン! 何をしているの! 戻りなさい!!」
「もう町の避難誘導もあらかた済みました! 姉様と兄様の戻りが遅いので僕が迎えに来たんです!」
「いいから帰りなさい!! 今すぐ!!」
どんな事が起ころうとも冷静さと周囲を気にかけるだけの余裕を持っていたフェリシア皇女が、今は完全に冷静さを失っている。この部屋に入らせるわけにはいかないと、しきりに追い返そうと言葉を発するが、レオンは一向に足を緩める気配がない。
「レオン!!」
「姉様、何をそんなに……。なんだ? なんで通れないんだ?」
紫の障壁は、やはり私が体験したものと同じ種類のものだったらしい。
内部のものが出られなくなれば、もう外部からの一切の干渉は受け付けないのだ。
こちらの部屋に入ってこられないとわかったフェリシア皇女は一先ず安心したようだった。
「レオン、あなたまさか一人でここまで来たの?」
「避難誘導はあらかたって言ったでしょう。人員を割くのは効率的じゃないので、僕だけが先に来ましたけど、後から皆僕を追いかけてやって来ますよ」
この様子だと、レオンは護衛騎士の目を盗んでフェリシア皇女を追ってきたのだ。
正直に言えば反対される事が分かっているから、先に自分一人で抜け出して、ただその後に騎士たちが自分を追ってこれるよう、避難中の市民の一人にでもこっそり言付けを託したのだろう。
「なんてことなの……あなたって子は……」
フェリシア皇女は座り込むように頭を抱えた。
「それよりも一体何が起こっているんです。どうして神官たちは死んでいるんです。それよりも姉様、どうしてそっちへ行けないのですか!?」
レオンのまだ育ちきっていない手のひらが、見えない障壁に押し付けられる。
「ダメよレオン! 無闇にそれに触らないで!」
「フェリシア様」
警戒心のない行動に思わずといった様子で悲鳴をあげる。その隣で、ヒューイがフェリシア皇女に警戒するように告げた。
そう、ドミニクを殺したあの目玉が、ゆっくりと私たちに向かって這いずってきているのだ。
「な、なんだ、あの気持ち悪いのは」
レオンの唖然とした声を背中で聞きながら、私たちはジリジリと障壁の縁へと後ずさる。
障壁の向こう側にいる限り、この目玉はレオンに手出し出来ない。けれど、レオンのいる部屋にだって、あの蠢く「何か」たちがいる。ましてやレオンは今や単身だ。
あの気丈なフェリシア皇女が、レオンの身に迫る危険に恐れをなしている。
人は不思議と自分よりもパニックになっている人間を見ると、自然と冷静さを取り戻せるものだ。
私はぎゅっと皇女の手を握った。
「フェリシア皇女、しっかりして。あの目玉は、私が遠距離魔法を放って近付けさせないようにするから」
「アンジェリカ……」
「私、この障壁に覚えがある」
「なんだって!?」
思いがけぬ言葉だったのだろう。ヒューイとウォーレンが覆いかぶさるように距離を詰め、私は彼らに向かって頷いた。
「一体どこで…、いや、そんなことは今はどうでもいい!」
「この障壁を解除する方法もわかっているのか!?」
私たちは一刻も早くこの場所から逃げ出す必要がある。ウォーレンたちが間髪入れずに問いただしてくる中、私はフェリシア皇女の目を見つめる。
「この障壁は破れる。でもそれは、聖女の力がどうしても必要なの。聖女じゃなきゃ、この障壁は崩せない」
「聖女の力が?」
「アンジェリカ……? あなた一体何者なの?」
皇女の目に、初めて私に対する疑念の光が灯る。
この短い期間ですっかりフェリシア皇女のことを好きになってしまっていた私には辛い光だ。けれど、私はゆっくりと首を振った。
「話せば長くなるし、それにきっと言っても信じてもらえない」
「アンジェリカ」
握りしめていたフェリシア皇女の指に、ぎゅっと力がこもった。
「信じるわ。あなたはちょっと変わってるけど、強くて優しい子だから」
「フェリシア皇女」
「だから話してちょうだい。あなたが何者なのか。この窮地を脱したら」
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