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隠された神話


 そこに広がっているのは確かに祭壇だった。

 結婚式でバージンロードを歩くみたいな、左右に長椅子が行儀よく並べられ、その奥の中心には教壇のような祭壇が祀られている。

 祭壇にかけられた布には大樹の絵が刺繍されていて、それと同じ絵が祭壇の後ろに巨大な額縁で飾られていた。

 神殿の御神体は聖女を召喚する泉だとばかり思っていたけれど、この祭殿では違うようだった。

 ここではこの大樹に人々は祈りを捧げているのだ。

 そんな神聖な場所で、私は込み上げてくる吐き気と、必死で戦っていた。


「うっ、うっぷ…」

「なんだこれは……。どういうことなんだ!!」


 ウォーレンが混乱の声を上げる。

 その眼前には、惨殺された神官たちの遺体があちこちへと散らばっていた。

 祭壇中が血で染まっている。私が見た扉から溢れるオレンジ色の光は、この部屋の血の色が反射していた色だったんだ。


「おいっ! 誰か生きている者はいないのか!」


 その必死の呼びかけに答える者は誰もいない。

 影に潜んでいる「何か」だけが、嬉しそうにさざめいていた。


「お前らの仕業かっ」


 カッとしたドミニクが剣を抜く。だがその腕をフェリシア皇女がはっしと押しとどめた。


「フェリシア様……?」

「奴らを刺激するのはやめなさい。あいつらは私たちの反応を見て笑っているだけよ」

「ですが……っ」

「冷静に、なりなさい。ドミニク」


 一言一言区切られる言葉に、ドミニクは無言で剣を下ろした。

 フェリシア皇女の額に浮かぶ青筋に気付いたからかもしれない。


「ここで死んでいる神官は全て階級が低い者たちよ。身を呈して上級神官たちを逃したのか、それとも……」


 上級神官たちが逃げるための囮にされたのか。

 心の中だけにとどめ、フェリシア皇女は気遣わしそうに私を抱き寄せると、そっと背中を撫ぜた。


「アンジェリカ。酷いものを見せてごめんなさい」

「うっく。フェリシア皇女が謝ることじゃないです」

「私たちはまだ先へ行くわ。でもあなたをここに置いて行けない。一緒に来てくれる?」


 私は喉に込み上げるものを抑え込みながら、必死で頷く。意識しない涙がボロボロと溢れていた。

 ここはアルとレオンの記憶が共鳴する場所。ここまできたなら、私はこの結末を最後まで見届ける。

 ああでも、こんな悲惨な場所に、アルがいるかもしれないなんて思いたくもない。


「あなたって本当に強い娘なのね。ここから帰ったら、私あなたを譲ってもらうようスバルに交渉するわ」


 一層強く私を抱きしめた後、フェリシア皇女はゆっくりと腕を解いた。


「奥に御神体といわれている泉がある。そして、この神殿の本当の御神体である、世界樹も」

「世界樹……?」

「そう。もうここまで来たら隠すこともないわね。一部の者しか知らない神殿の秘密がこの先にあるの。行きましょう。グレイソン兄様もきっと、そこにいるはず」


 フェリシア皇女は私の手を握り、もう片手で抜き身の剣を構える。


「ヒューイ、ドミニク、ウォーレン。あなたたちもこの先に行くのは初めてね。秘密を共有する覚悟は良くって?」

『はっ!』


 間髪入れず全員が、フェリシア皇女に何ら変わらぬ忠義を捧げた。

 血塗れのバージンロードをフェリシア皇女と私は手を繋ぎながら歩く。その後ろを3人の騎士たちが守るように続いた。

 バージンロードのその先の祭壇も血で染まっていたが、フェリシア皇女は何の迷いもなくその祭壇に手をかける。

 そして先ほどの廊下の行き止まりで石像に手をかざしたのと同じように、何かを弄ったかと思えば、背後の巨大な額縁がガクンと落ちた。

 そしてその額縁が真ん中で割れた時、先には眩しいばかりの紫の光が溢れていた。


「この光は……」


 ゾッとした。この光に見覚えがある。

 私がこの精神世界にやってくる事になった元凶。スバルをフィールドに閉じ込め命を狙った光。そしてアルフレッドを不本意な獣の姿に追い込んだ。

 額縁を割って現れた部屋は、何百人も収容出来そうな広い空間だった。その真ん中に、空間をほぼ埋め尽くすようにしてこんこんと巨大な泉が湧き上がっている。

 そしてそのさらに泉の中心には————


「あれが世界樹よ」


 紫の輝きで顔を染めながら、フェリシア皇女は真っ直ぐ中心を見据えながら言った。

 それは巨大な大樹だった。

 気ままに枝分かれしているどの枝も、そこらの森の幹よりも太くたくましい。そして、その全長は全く把握できなかった。

 地下なのだから天井があるはずなのに、その大樹の先は、空間が歪んいるようにぼやけてよく見えない。

 そして、この大樹の最大の特徴。それは。


「な、何なんですか、この扉たち。それにこの光……」


 木々の間に、大小の無数の重圧な扉が、まるで世界樹の果実のように浮かんでいるのだ。そして扉の大半が開いていて、その扉の奥からあの紫の光を放出しているのだった。


「世界樹の扉が開いているなんて……。聖女は一体何をしていたの!!」

「フェリシア皇女?!」

「……っごめんなさい。驚かしたわね」


 初めて見せるフェリシア皇女の激昂に驚いて顔を見やると、すぐさま我を取り戻したようだった。

 けれど苦々しい顔は変わらないまま、あたりを見渡す。


「この光が立ち上って、上空から神殿を包んでいたのね。最悪の展開だわ……」

「フェリシア様、一体何が起こってるのですか?」


 ウォーレンが光景に圧倒されながらも疑問を投げかける。


「この世界樹の扉は異界と繋がっているのよ。誰も確かめた事はないけど、神話でそう語り継がれているの」

「神話で? ですが我々の知っている神話にはそんな記述は……」

「ええ。意図的に隠されてるのよ。この国を守るために」

「この国を守るため?」


 思わず復唱した私に、フェリシア皇女は一つ頷いてみせた。


「そうよ。この扉の奥には、この世界と繋がりたい異界の生き物たちで溢れているの。そんな事、他国に知られたら真っ先にここが狙われて私たちの国は内から滅ぼされてしまう。見たでしょう。森の異形と、ここに潜むモノたちを」

「な、ならこの世界樹を倒木してしまう事はできないんですか?」


 ヒューイが黙っていられないとばかりに口を挟んだ。その顔は紫の明かりに照らされながらも青ざめているのが見て分かった。自分が守る国に、恐ろしい爆弾が隠されていた事に動揺を抑えられないのだ。


「……できない。この世界樹は、伐採することも燃やすこともできないの。過去の先人たちが記述に残している」

「でも、だからと言ってこんな危険なものを……」

「だから、聖女が必要なのね」


 ハッとしたような騎士たちの目が私に集中した。

 何となく分かったような気がしたのだ。異世界から召喚される聖女。聖女に課せられるお務めと呼ばれる行為。

 フェリシア皇女が見せた聖女への激昂。

 その意味は。


「そうよ、アンジェリカ。この世界樹の扉を閉ざし続けるのは、異世界から来た人間にしかできないの。この爆弾だらけのような世界樹に、聖女だけが希望を宿す事ができると言われているのよ」

「開かれた扉を閉ざすのも」

「そう。聖女にしかできない。異界からやって来た聖女だけにしか」

「なら聖女を探しましょう! 聖女ならこの事態を収束できるのでしょう!?」


 扉を閉ざしていないならここに聖女はいないと判断したのだろう。ドミニクが血濡れた祭殿の部屋へと駆け出す。

 そして巨大な割れた額縁をくぐりぬける事なく、ぶつかった。


「な、なんだ!?」

「ドミニク!? どうしたんだ!?」

「なんなんだ? 入り口にまるでガラスでも嵌められてるみたいだ」

「どういう事?」


 心当たりはフェリシア皇女にもないようで、目の前に見える祭壇の部屋に戻ることができないでいる騎士たちに走り寄る。

 それを私は、痛いほど打ち付ける心音を感じながら見つめていた。


(なんで……? なんでこんなところに来てまで……)


 グラグラと目眩がおさまらない。

 その障壁には覚えがありすぎる。少しでも遠ざかりたくて無意識に後ずさっていた。

 その背後で、キィ、と。扉の軋むような音が聞こえた。





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