姉弟
「紫の光!? 一体何が……!」
神殿から突然立ち昇った紫の輝きが、どんどんと周囲を覆い尽くして行く。
こんなのまるでさっきまでの選抜戦とおんなじだ。
遠方の光景を唖然と見守る私の周りで、周囲の人々のざわめきが耳に入る。
「聖女様の御務めが始まったな」
「ここのところ毎日だろう。ずいぶんと難儀してるようじゃねぇか」
「新しい聖女様は、まだお力が安定してないのよ。ゆっくり見守ってあげるべきよ」
(ど、どういうこと? みんなの反応からして、この光景は見慣れたものなの?)
驚きながら精神世界の住人たちに目を向ける。彼らは遠方の紫の光を見上げながら、足を止めることもなく動き続けている。
彼らにとってはすでに日常の光景となっているのだ。
「あ、あの。あの光って……」
軒先に果実を並べている恰幅の良いおじさんに思い切って話しかけてみる。
アルの精神世界の人間と会話ができるか不安だったけれど、返って来たのは明確な答えだった。
「なんだい、あんた余所から来た子か?あれは聖女様が御務めを行ってらっしゃるのさ」
「御務め……」
「そう。わしらが安全に暮らせているのも聖女様がこの国に現れてくれて、御務めを果たしてくれるからさ。あの光は聖女様が御務めをしている証しなんだよ」
「そうは言っても今度の聖女様はちょっとばかし苦戦してるみたいだけどねぇ」
光の方角に手を合わせるおじさんの横で、前かけで手をぬぐいながら奥さんと思われる女性が話しに入ってきた。
「おいお前」
「だってそうだろ? こんなに毎日御務めしてるっていうのに、成功したって話しは一回も聞きやしないよ。召喚されたって言ったって、姿も全く見せやしないし。今度の聖女様はどうなってるんだろねぇ」
「滅多なことを言うもんじゃねぇ」
「そうは言ってもねあんた。イリーシャの森にこないだ魔物が出たそうだよ。聖女様がいる時代にこんなことが起こるなんて前代未聞さね」
「おい、いい加減にしろ! 余所から来た人間がいる前でそんな言い方あるかオメェ! 悪いね嬢ちゃん。聖女様はさ、ここに来たばかりでまだちぃと調子が出てねぇみたいなんだ」
夫婦喧嘩が始まりそうになる直前で、なんとか私のことを思い出してくれたようだった。
私はぺこりとお辞儀をして、光の方角へと走り出した。
聖女の務め。そのことは聖女をサポートする私だって知っている。
細かな説明をしだすと長くなるので、簡単に言うと「御務め」の内容が聖女がこの国に召喚される大きな理由だ。
この国を魔物の干渉から守るため、世界樹に埋め込まれた扉を封じる行為を「御務め」と呼んでいる。
いずれはスバルもその「御務め」を行うことになる。
(でも今ここで御務めを行ってる聖女はスバルじゃない。スバルじゃないってことはここにいる聖女はつまり————!)
「殺された、前・聖女……」
魔法を使って脚力を強化する。遠くに見えていた森に囲まれた神殿は、今や目の前まで迫って来ている。 このまま森を突っ切れば、前・聖女のいる神殿にたどり着けるはずだ。
前・聖女に会ってどうしたいかなんて分からない。
アルを探し出すのが目的だし、犯人が特定できるとも思えない。
だけど、レオンが持たせた記憶が、神殿に近づくごとに熱を持つのだ。
「止まれ!!」
一瞬なんと言われたのかも分からなかった。
意味を理解する前に、足に縄が絡んで盛大に転んでしまう。地面にぶつかる前に、痛そうなんて思ってしまったもんだから、擦れた足が本当に痛い。
「い、いたた……なんなのよもぉ」
最近満身創痍になりすぎてるんじゃないだろうか。そんな思いにとらわれながら、なんとか起こした体の前に、無数の槍が突きつけられた。
「ひぇっ!?」
「何者だ!! 今日のこの区域は立ち入り禁止令が出ているのを知らなかったとは言わさんぞ!!」
いや本当に知りませんでした!
すくみ上がりながら周囲を見回すと、護衛歩兵の他に馬上の騎士が見える。ざっと見て、総勢30人足らず程だろうか。その中に旗手の姿も見えて、ハッとした。
レオンの服の肩に背負っている王家の紋章。それと同じものが旗の中でたなびいている。
私が手に持つレオンの記憶は、もう熱いくらいだった。
「あら、まだ子どもじゃない」
「姉上! 不審者ですよ! 簡単に声をかけるのはやめてください!」
緊迫した空気には場違いな、明るい声が不意に聞こえた。それに続く、まだ声変わり前の少年の声も。
「だってもう随分ここで暇してるのよ? 兄様ったらちっとも帰ってこないし。ねぇ、あなた、何しにここに来たの?」
「姉上!!」
馬上から声をかけて来たのは騎士の軍装に身を包んだ、二十歳にもみたないだろう男装の麗人だった。
すぐに女性であることに気付いたのは、燃えるような赤毛を高々と結わえた、いわゆるポニーテールの髪型のせいだったかもしれない。
その隣に、同じく馬の背から麗人を咎める声を発っしている少年の顔を見て、私は思わず息を飲んだ。
「レ……っ」
はっとして口を押さえる。これ以上面倒なことになってはいけない。
けれど、馬上で姉と思わしき人物に声をかけているのは、幼い頃のレオン・イザヤ・アレクサンドその人だ。
「答えろ! 何者だ!」
脅すように兵士の槍が喉元に押し付けられる。
たとえここで貫かれても、心を冷静に保ちさえすれば死ぬことはない。
けれど、このレオンはアルの居場所を知っているかもしれない。だってレオンはアルの幼少期を知っているのだから。
もしすでにアルを知っているレオンなら、アルの居場所が分かるかもしれない。
「人を、探しています」
一か八かで正直に答える。この精神世界にとどまるには、時間はさほどないのだ。
「人探し? どんな人を探しているの?」
レオンのお姉さんなのだから皇女のはずなのに、驚くほど気安く話しかけてくる。
「男の子です。白い髪をした、赤い瞳の男の子!」
レオンが姉の好奇心を咎める前に素早く答えた。
嫌そうにレオンが顔をしかめたが、知ったことではない。そんな顔なんて、大人になったあなたから嫌っていうほど浴びてるんだこっちは。
レオンのお姉さんは、少し考えるように唇に指を当てる。
「白い髪に赤い瞳ねぇ。随分珍しい色をしてる子なのね、その子。ねぇ、レオン見かけたことある?」
「銀髪ならともかく、白髪で赤い目だなんて、ウサギじゃあるまいし。見たこともないですよ」
「そっか……」
2人の返答に、思わずがっくりと肩を落とした。
このころのレオンはいくつくらいだろうか。10の歳は過ぎてそうで、でも声変わりはしてないから12歳前後くらいだろうか。
アルの幼少期を知っているとはいえ、年下のアルとはまだ出会ってなくても不思議じゃないのかもしれない。
「あらあら、可哀想に。そんなにがっかりしないでちょうだい。どの辺ではぐれちゃったの? いつから探してる?」
「姉上! 余計なことに首を突っ込まないで!」
「いいじゃない。文句なら神殿に行ったきりで帰ってこない兄様に言ってちょうだい。私を暇させたらどうなるか、分かりきってたことじゃない。ねぇ、その子はあなたの弟? 髪も目の色も随分違うみたいだけど」
レオンの制止をものともせず、その溢れる好奇心のままに疑問を投げかける。
「アルは……」
続けようとして、思わず涙ぐんでしまって言葉が途切れた。それでも言葉を振り絞って続ける。
「アルは、私の友達なんです。私のために沢山怪我して、それなのに助けるだけ助けて、そのままどこかに行っちゃったから、探しに来たんです」
ボロっと、思わぬ涙が一粒溢れた。
そう。私を助けるために、鎖につながれたまま大怪我をして、それからまた私を助けるために、正体不明の狼の姿になったりなんかして。そしてアルの心はどこかに行ってしまった。
ばかばか。アルの大馬鹿。みんなで一緒にいなきゃ、側にいてくれなきゃ意味なんて何もないのに。
「……ねぇレオン、私たちで少しその子を探してあげましょうか」
「はぁ!? 姉上何を言いだすんです!」
「あなたこそ今の話し聞いてたの? この子も、その白い髪の男の子も健気じゃないの! 力になってあげたいって気持ちにならないわけ?」
「ええ、僕はなりませんね。こんなどこの馬の骨とも分からない人間の言葉を簡単に信じるだなんて、姉上には警戒心ってものが欠落している!」
「何よ、さっきからいっちょ前な口ばっかり聞いて! レオンが一緒に行きたい行きたいって駄々こねるから一緒に連れて来てあげたのに!」
「なっ! それとこれとは関係ないでしょう!? それに僕は駄々なんかこねてない! 王家の人間としてこれから必要になる義務の予習をしようと思っただけだ!」
「何が予習よ、私たちに置いてかれるのが寂しかっただけのくせに!」
「お二人とも! お止めください!!」
ヒートアップする姉弟喧嘩に、周りの騎士たちが慌てたように止めに入る。
2人はにらみ合いながら、息の合ったタイミングでフンッと顔を背けた。
「もういい。そんなに言うならレオンはそこに残ってなさいよ。私はこの子を連れてそこらへんを探しに行ってくるから」
「馬鹿なことを!」
「ふん。もう決めたもの。姉様は弟の命令なんかに従いません。ヒューイ、ドミニク、あなた達は一緒について来て。他の者は引き続きこの場で待機! 兄が戻って来たら現状を伝えて鳥を飛ばしてちょうだい」
「フェリシア様、本気で仰っていられるのですか?」
「ドミニク、私が本気じゃなかったことなんてあった? ヒューイ、この子あなたの馬に一緒に乗せてあげて」
エライことになってきてしまった……。
フェリシアと呼ばれたレオンのお姉さんの勢いにタジタジになっていると、ヒューイと呼ばれた騎士が、どことなく私を気の毒そうに見ながら馬に乗るよう手を貸してくれる。
そんな彼の気の毒そうな眼差しは、私が友人を探していることよりも、このパワーあふれる皇女に絡まれてしまったことへの哀れみの眼差しのようだった。
「姉上!」
レオンが怒りながらフェリシア皇女を呼ぶのを尻目に、ヒューイの手を取った時、激しい揺れが大地を襲った。
「なっ!?」
激しい揺れに動揺しながらも、騎士たちはすぐに馬を制御し皇子たちを守るように円陣を組む。
激しい揺れが収まらない。
「違う……、地震じゃない……」
フェリシア皇女が激しい揺れの中でギラリと睨みつけた先は、まだあの紫の光を発する神殿だった。
「神殿で何かが起こってる……。グレイソン兄様!!」
その瞬間、空を覆い尽くすような花火が上がったのだと思った。けれど、それはすぐに勘違いだと気づく。
花火ではない。火の玉だ。
けれど花火のように昼の空一面に火花が散ったかと思うと、その火花は火の玉となり豪球のようにそこらじゅうに凄まじい勢いで降り注ぐ。
「【援護を求める!!】」
とっさに結界を張って火の玉から隊を守る。
騎士の中にも魔法を使えるものはいるのだろう。同じく結界を張って範囲と強度を補強する。
激しい轟音が続き、神殿へと続く森のあちこちで火の手が上がる。
「一体何が……」
「街が!!街の方まで火の手が上がっています!!」
「なんだと!!」
さっきの火球が街の方まで飛んだのだ。
最初にこの階層へ降りてきた時に見えた火の海は幻ではなく、街の未来の姿だったのだ。




